きゅんたまScreamingと猥褻風俗史とキリスト教的風教心

宮武外骨は「明治・大正の猥褻の巨人」でもあって、猥褻風俗史の他にも「猥褻と科学」とか、「此花*1」とか、猥褻に事欠かない。

とはいえ、「猥褻風俗史」は今の人向けではないので……w
竹の子書房の2013年最後の一冊は、夏ぐらいからずっと延び延びになっていた、「本当にあったエロい実話怪談」こと【きゅんたまScreaming】


気まずいシチュエーションで気まずい幽霊が現れて、というシモ怪談・エロ怪談といえば、拙著「弩」怖い話3がその代表格、と自負しているw

「弩」怖い話〈3〉Libido with Destrudo (竹書房文庫)

「弩」怖い話〈3〉Libido with Destrudo (竹書房文庫)

考えてみればこれも結構エロい実話怪談ばかりだったけど、18禁になってないな(^^;)
この「エロい実話怪談」というのは、「大人で男でおじさんを実話怪談の読者として開拓する」というのが狙いの一つでもあったんだけど、体験者の気まずい怪談の多くは実際のところ「大人で男でおじさん」には随分評判が良かった。
が、「若い女性の赤裸々な体験談」が多かったせいもあって、女性読者はウケは最悪だったと思いますorz


先だって、久々に怪談トークライブのお座敷が掛かった。
トークライブでは「本に書いてない話」「あまり聞いたことのない話」をやるのが礼儀だろうなーと思うので、シモ怪談を(ry
終わってから御客さんお見送りの挨拶のときには、なんでか美人女性客の方々から「すごく面白かった!」と絶賛をいただき、やっぱこの分野は本当は「皆大好き」なんじゃん? という確信を深め(ry


そういうわけで、2013年最後の一冊はこちら。


きゅんたまScreaming

加藤AZ 著
RAY'S. イラスト

漫画ホットミルクの巻末の読み物連載分に書き下ろしを加えた構成。
「猥褻風俗史」同様18禁ですが、猥褻風俗史の時代(明治44年)に、「なぜそれまで卑猥・猥雑ではあっても違法ではなかったものが、猥褻という違法なものになったのか?」をなぞったものであることを踏まえた上で、昨今の表現規制非実在青少年問題などが「なぜ猥褻と指弾されるのか?」を考える材料としてみるのもおもしろいかもしれないし、家族親兄弟に見つからない秘蔵のオカズとして見るのも実用的wかもしれないし。



……「猥褻風俗史」と同時代に宮武外骨が出した(出そうとした)「猥褻廃語辞彙(猥褻用語事典)」は、今風に言えば「エロワード辞書」で、ほぼ全て文字のみ(一部春画などから拝借の挿絵あり)にも関わらず、出して三日も待たずに発禁になってる。
「きゅんたまScreaming」も一部挿絵ありだけど基本的には文字のみで、条件は同じはず(ry そこらへんを考えると現代はエロ表現に対して非常に寛容な社会になってるな、とは思う。その寛容さは、猥褻風俗史を紐解く限り「暴走」ではなくて「元々日本の性風俗意識は伝統的に野放図」なのであって、昨今の状態は「奔放にすぎる」のではなくて「伝統的状態に回帰しているだけ」なのではないのかとすら思えてくる。

明治初頭頃、外骨が憤懣やるかたなく不平を抱く「猥褻を取り締まる法律」は、「洋行帰り」が西洋の価値観に準えて、「これからは国際基準にならねばならぬ」と息巻いて造った。
この西洋の価値観というのはキリスト教的風教心という奴で、「女性は慎ましやかに」「汝姦淫するべからず」というアレ。
平成の昨今、表現規制非実在青少年をモデルとした児童ポルノの規制を口やかましく訴えているのも、実はキリスト教系婦人団体であったりする。
要するに、「性風俗の乱れ」「性風俗表現の過激さ」に眉を顰めてそれを諫めるのは、今も昔も「西洋・キリスト教的価値観」への従属を強いる人々なのだなあ、とかなんとか。


きゅんたまScreamingは「実際に体験者がいる実体験談」を聞き拾った*2ものを集めたという意味では、普通の実話怪談本と同じです。
普通の実話怪談本の著者と版元が避けるが故に、読者にもあまり知られていないケースの「マジかよ、あんのかよ」みたいな話が多めです。
エロい、ってだけです。


では最後にもう一度。


きゅんたまScreaming

加藤AZ 著
RAY'S. イラスト

2013年もお疲れ様でした。
あと4日あるけど。4日しかないけど。
次は2014年1月末日の「超」怖い話 午】でお会いしましょう。



皆様、良いお年を!

*1:浮世絵・春画研究誌

*2:或いは、同業著者が「僕は書けないので奉納します」と投げ寄こしw

猥褻風俗史

まず、古書のスキャン。ドキュメントスキャナー(ScanSnap)が使えないような状態の古い本(外骨の本は和装和綴、黴びたり染みたり劣化したりでしたorz)に、連続して用紙を吸い込むスキャナを用いた破壊スキャンは困難。
非破壊スキャナは高いw(あとスキャンデータをOCRするのにはスキャン後素材としては不向き)。
ドキュメントスキャナーを使って取り込んだものは若干の「ぼやけ」があり、これが後のOCRの成果品質を下げた。LEDフラットベッドスキャナーを用いたものはそれよりは鮮明になったけど、それでも現在の一般的なフォントと異なる「明治・大正時代の活字」からのOCRは困難を極めた。まず、旧字体の問題。
実は、第三水準、第四水準として今も多くの「旧字」そのものはフォントで使えるのだが、OCRソフトがそれらを正しく認識できないケースが多かった。
また、異体字という問題もあって。
例えば「半」「尊」などの上に付いてる逆ハの字。現在はこれらの文字では、払いは「下がせまく、上が広い。外側から内側に向かって払う」という字形になっているのだが、明治・大正・昭和前期くらいまでの活字では、これが逆になっていて、逆ハの字の払いは「上が狭く、下が広い。内側から外側に向かって払う」という字形になっている。
これは旧字ではないので、今のフォントを探しても出てこない。
他に、「教」という字の偏の「孝」という字。これは「土」「ノ」「子」の合体でできている、と我々は字形から理解しているけど、明治頃の活字だと「土」ではなく「メ」「一」でしたorz
土じゃないんだよ! だけどこれ第三水準第四水準にはないんだよ!

だけど、「説」の異体字の「說」は三水四水にあるんだよ!
ただこれ、SJISだと表示されないんだよ! UTF-8じゃないと表示されないんだよ!
OCRソフト「読取革命」はSJISで出力しやがんだよ!

とまあ、そういう問題がぞろぞろと……。


結局、絶版古書電子復刻の第一弾・猥褻風俗史宮武外骨)は、「スキャンデータを手本として、目で見てタイピングする【総手入力】」になった。
しかも、この本は総ルビ。
OCRは実は総ルビと圏点には極めて弱くて、ルビと圏点を避けて細かく指定するか、スキャンデータの時点でルビと圏点を取り除く画像加工をしてからでないと、ルビ、圏点、ついでにスキャンノイズであるゴミなども全部「文字として認識」しようとしてしまい、結果、OCR認識成果はぐだぐだになるorz
結局、ルビも全て手入力になりました。
なんだこの手の掛かりすぎる本は!!!!!
誰もが「原本があるんだし、スキャンしてOCRすればそれだけでポンとできる。それで金を取る気か」と思うだろなと……。だけど違うんだよ。本番はルビ入力、さらに大本番は校正なんだよ!*1


猥褻風俗史は10月下旬頃に話が持ち上がり、11月の上旬に神沼三平太氏が手に入れた原本からスキャンデータを起こし、そこから須藤安寿氏、加藤一で入力を始めて、途中それぞれの本業で中断した時期もあり、12月に入ってからは主に須藤安寿氏が校正を行い、kindleでの頒布のために必要となる「独自コンテンツ」を加藤が書き下ろして、ようやく形になったのが12月25日。のべ二カ月。
実働時間を一日6時間労働くらいでカウントすると2〜3週間かなあという気はするけど、それにしたってああた。


という労作が、これです。


猥褻風俗史 全(注釈付き+総ルビ本)
宮武外骨

18禁扱いになってるのは、この本は、明治期にできた「猥褻を取り締まる新法」によって、それまで、つまり江戸時代以前には違法ではなかった日本の伝統的な性的風俗・信仰などが取り締まりの対象になってしまい、次第に廃れていくに至った、というようなことをまとめた本、だから。
同書の原本が非アダルトとして流通してるのだから別に18禁じゃなくてもいいんじゃん? とは思ったけど、kindleは一応「審査」があるそうなので、念には念をで18禁扱いにしました。

古文だけど全編に魂を注ぎ込んで造ったルビが入っているので読みやすいです。
内容については、当時は「猥褻物を販売すると官憲に逮捕されるかもしれないから、売らない。予約者と書店主にのみタダで配る」と、同時刊行の「筆禍史」という本の景品として、百部だけ造られた稀覯本中の稀覯本
過去に抄訳や影印本は何度か出ているんですが、いずれも研究用だったり掻い摘み過ぎだったりルビなしだったり、何より値段が高かったり……。
というわけで、今回「学術資料としては大変お求めやすい金額」、読みやすいリフロー版にして、ついでに「電子復刻作業のときに使ったスキャンデータ」を無料付録で付けてみました!*2


……正直、掛かった人手を回収できるかどうかも怪しいのが、こうした古書電子復刻がなかなか進まない最大の理由であるということが改めて理解できた。
なお、kindleでは「活字のみの画像データを束ねたスキャン本(フィックス本/レプリカ本)」は販売できないルール。kindle Paperwhiteなどのビュアーに不向きであること、スマホなどでの閲覧に不向きなことなどがその理由なんだけど、加えて「活字のみのスキャン画像」を判読可能なクオリティの解像度で保存すると、40頁弱程度でも70MB近くになる。Kindleの回線を大幅に圧迫する可能性があるため、コミック以外についてはこのような仕様にしてるんだろなあとは思う。
これだって、やってみなきゃわかんなかった話で、研究という意味ではひとつの成果である。


なお、この宮武外骨は2005年7月に著者死亡から50年が経過しており、日本の既存法では著作権消失したパブリックドメイン文書に辺り、著作権者・遺族の権利が消滅している。青空文庫でも外骨の著書の電子化が試みられているが、現状では「一圓本の害毒」のみが完成しており、「賭博史」は作業途中のまま中断している。
外骨の本は「量が多い」「馬鹿馬鹿しいw」「出刃亀根性的に面白い話題」「学術的には評価されない分野の取り扱い」「何度も発禁を受けたり投獄されたりしている内容」*3などから、読み物としても大変面白い。
是非他の人々にも電子復刻を手がけて貰いたいところだけど、「よほどの物好き」か「研究者が高い金出して買ってくれる」かでないと無理だろうなあということも痛感した。

ちなみに、竹の子書房としては、

  • 私刑類纂(和装和綴原本)
  • 奇態流行史(和装和綴原本)
  • 雑誌スコブル全巻(全27号、影印本縮刷版)
  • 變態知識 上下巻(原寸影印本)
  • 面白半分(和装和綴原本)

などを、それぞれ底本として確保している。
既に「私刑類纂」はスキャン作業+OCR作業を終えて校正と組版作業中。
「奇態流行史」はスキャン作業は終えているが、圏点とルビを取り除いてOCRを行う作業が進行中。どちらも100頁近いのでまだ暫く掛かるだろうが(これから本業が忙しくなるので)、どちらも「とにかく面白い」のでどうにかしてもう一度世に出したい、出すべきだ、と考えている。
面白半分はさらに面白いんだけど、これ外骨本としては超有名なので、いずれ河出書房が出すんじゃないかなあ、と(1980〜90年代に河出は外骨の著書をかなり出してるので、復刻するとしたらあそこだろうと)期待して、敢えてまだ手を付けず、原本をときどき取り出しては(・∀・)ニヤニヤしている。
スコブルもやりたいんだけど、「総ルビ」「50頁の本が27冊」「縮刷影印本しかないので判読が困難」という理由で足踏み中。
「變態知識」は古川柳の集成本なんだけど、猥雑だったり和算クイズになってたり、これまた知的娯楽の粋を極める。なんだかんだで当時、外骨のファンが多かった理由がわかる気がする。

というわけで、大切なことなのでもう一度。



猥褻風俗史 全(注釈付き+総ルビ本)
宮武外骨

Amazon Kindleで絶賛発売中。

Kindle専用端末でなくても、

などの携帯端末で大概閲覧可能です。
PCやスマホなどでAmazonのストアサイトから買って、自分のスマホなどで閲覧、というスタイル。PCでは(今の所は)閲覧できないんだけど、PCで読む方法もあるらしいので、これはいずれまた。

*1:須藤さん、猥褻風俗史の校正ありがとうございます

*2:付録のダウンロード方法はkindle本巻末に掲載

*3:猥褻と政府批判が主なのだが、現代では差別と見なされる話題なども多く、これが復刻の妨げにもなっている

電子書籍の種類(制作スタイル)

電子書籍については、

  1. 「自己の新作を造って頒布する」
  2. 「自己の旧作(絶版)を再頒布する」
  3. 「他の著者から新作の編集制作の委託を受けて作成する」
  4. 「他の著者の著作権消失古書(著者の死後50年経過したもの)を電子復刻する」


などが考えられる。
他にも色々あるだろうけど、目下はこのあたり。

(1)は校正を考えなければ、原稿さえあれば或いはモチベーションさえあればすぐに誰でもできる。「個人による電子書籍出版」で誰もが思いつくのはまず(1)だろう。

次に、「昔出したけど今はもう売っていない本をもう一度出せばまた売れるんじゃないかな」という、作家ならではのスケベ根性wが(2)。これについても、(1)同様、元原稿は自分の手元にあるんだからすぐ出せるじゃないか、と思ってしまう。これはたぶん、商業作家でも同様に考えてる人多いんじゃないかという気がする。
実際には前述したように「校正・編集作業」を、一番最初の草稿に戻ってイチからやり直しをしなければならないわけで、その労力たるや尋常なものではない。

(3)は(1)に近いんだけど、「校正・編集その他の作業」を外部委託先として引きうける、というもの。やってみるとやはり紙の商業書籍を造るのとさほど変わらないだけの労力が掛かることが理解できた。「何日間で何工数で仕上げるか」「品質保証をどこまでするか」で大きく金額が変わる世界だと思う。

(4)の古書の場合、「完成品(底本)があるんだからスキャンしてOCRかければ簡単だろ!」とはよく言われるのだが、本当に簡単なのかどうかを実際にやってみようということで、宮武外骨の古書について電子復刻に取り組んでみたのだが、全然簡単じゃなかったよ!!!

という苦労話を聞いて貰いたい(`;ω;´)

今年の竹の子書房の活動とその感想

今年の3月くらいから竹の子書房密林支社と題して、「電子書籍を有償頒布する」という課題に取り組んでいる。詳しくは、密林支社のWebページ http://www.takenokoshobo.com/kdp/ に譲るとして、将来的に「電子書籍個人出版するためのノウハウ」の獲得は、執筆を生業とする同業者の間でも興味と期待と懸念の材料にはなっていることと思う。


これから執筆する新作を展開すること、旧作を改めて電子書籍化すること、絶版本の電子書籍化、著作権の消滅した古書の電子書籍化などなど、一口に「電子書籍化」「電子出版」と言っても抱えている問題は様々。
特に「著者」としてやってきた人達は「原稿さえあれば簡単に本が出せる」と考えがちだし、そのように煽っている電子書籍ハウツー本も少なくない。
だがしかし。実際には「編集作業、校正作業」があり、できあがった本を店頭(Amazon)に並べるだけでは売れないわけで、さらには「販促活動」というものも考えていかなければならない。
特に、著者としてのみ本作りにかかわっている人にとって、「書いて並べれば勝手に売れるもの」と思っていた本が、「売ろうとしないと驚くほど売れない」ことに気付かされることは多いのではないだろうか。
常々「電子書籍はとにかく売れない」と繰り返してきて、まあ実際売れないんですけどw、それであるが故に「紙の本を電子書籍にするために掛かるコストを、電子書籍の売り上げでは回収できない」「売れるように工夫(宣伝)をしても、その宣伝コストを電子書籍の売り上げでは回収できない」という、なんとも逃げ場のないジレンマから脱する方法が見当たらないのもまた事実。

電子書籍は紙の商業誌に比べて少人数で動けるから、紙の本より売れなくても収益は確保できるはず」
と誰もがそう思う。まあ、僕も昔はそう思ってましたw
実際にはどうかというと、紙の本と電子書籍の大きな違いは「完成したデータを、紙に印刷するか電子データとして配布するか」という完成品の頒布方法の違いなんだけど、それ以前の「データを完成させる」っていう工程は、紙でも電子でも実は言うほど大きく違わない。
つまりは、「データができあがった後」ではなく「できあがるまでに掛かる手間暇とコスト」には大きな違いがない。
元々薄利多売でそうした制作費を確保してきた出版という産業形態から見た場合、電子書籍は少なくとも桁二つくらい市場規模が小さい(2013年でもそういう感想は変わらなかった)以上、紙の書籍と同じだけの制作コストを掛けられないのが実情だった。
しかもこれ、「著者の印税」とは別枠の、編集・制作コストの話だからね。


校正をかけない本のクオリティは「誤字が目について内容が頭に入ってこず読むに堪えない」になってしまうわけで、そのために校正が必要なんだけど、よい校正仕事は「完成品のどこに問題があったのかまったくわからない状態に仕上げる」ということであって、完成品だけ見ると校正要らないじゃん、と逆に思えてしまうのが素人の浅香光代という奴で。
実際、その校正に掛かる手間暇は「著者単独」ではどうにも軽減できない。
おそらくやはりここがネックなのだなあ、というところに何度も何度も立ち戻った。

多分今年最後の更新

今年は6回しか更新しませんでした(´Д`)
すっかりTwitterに主戦場がシフトしているためで、今までブログで書いてきたようなことのほとんどはTwitterでやってる。
その主立った理由は、ブログに比べて思考修正・不足知識の補足がされやすい点にあるようには思う。誰かの意見を見て閃いたり、誰かからの追補・補足を受けて自分の主張に修正を入れたりといったことについては、Twitterのほうが向いている。ブログは「邪魔が入らない」けどその分、偏りや思い込みによる偏向の修正がしにくい。
「コレ以上は変化しない結論」を発表する=アウトプットの場としてはブログは相変わらず有用だと思う反面、変動し続ける思考の整理、インプットやブレインストーミングの場としてはTwitterのほうが有用だなー、と思う次第。
ツールの使い分けという感じ。
その分、「思考ダダ漏れ」「未整理の自問自答」がドドドと続くので、Twitterで僕をフォローされている人達はTimeLineが埋まって大変だろう気の毒だな、とか他人事のように思うんだけどまあすみません。