日本酒と焼酎とあたまわるくないうたコレクション

ワンカップPと言えば。
名作ゲームのサウンドに乗せて歌う替え歌シリーズ「あたまわるいうた」、恐るべき調教を施した伝説のMEIKOマスター、「MEIKOは飲んだくれ」という設定の原点、「有江宵子、鏡音ロン、千代子」など、ボーカロイドではないPVキャラクター、テクニクビート公式MAD、絵本(!)などなど、初音界において様々な試行を続け、多くの金字塔を打ち立てた有名Pの一人。
最近ではわPツアー(方々に出かけて飲む)なども盛り上がってるようで、ある意味、ボカロをいろいとな意味でほんとに楽しんでいる幸せなPの一人ではないだろうかと思ったりする。


その中で、知られざる既存名曲を発掘し、主にMEIKO*1の歌声で紹介するカバーシリーズ「あたまわるくないうた」のいくつかを、わP自身がチョイス&再調整を施したものが公開された。

ワンカップPやりないこ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2301878

これら一連の「あたまわるくないうた」では、僕の大好きな、しかし埋もれ系既存曲がいろいろ日の目を浴びて嬉しかったり、全然知らなかった良曲を紹介されて、思わず原曲をiTunes Storeで衝動買いしちゃったりと、たいへん良くされた。
また、初音ミクVocaloid2)以前の、言うなれば旧型のVocaloidであるMEIKOの底力というか、ここまでソフトウェアのポテンシャルを引き出せるものなんだなあ、という意味でも感心した。
カバーをやってるPには、歌唱させる技術がべらぼうに高い人が多いのだけど、わPはその代表格の一人と言えるのではないだろうか。
ファンですw





ワンカップPの話が出たところで、ちょっと酒絡みで。
Vocaloidというのは、日本酒なのか焼酎*2なのか」というテーマで、ちょっと考えてみたことがあった。

前説としてちょっと豆知識を入れておくと、日本酒というのは酵母(米こうじ、と書かれているもの)によって米を醸してアルコール発酵を促した「醸造*3」。味の変化は、酵母の種類、米の種類を基軸に、米の精米度合いや仕込み方でいろいろに変わるのだが、一時期、うまい酒で金賞を取った蔵が使った酵母が、翌年の主流になったりする傾向があった。ぶっちゃけていうと、長野の宮坂酒造で発見された酵母が「真澄」という名作を生み出した。これは大変美味しい日本酒なのだけど、日本の蔵の実に7割近くがこの真澄の酵母に飛びついた結果、日本中の日本酒がレベルアップして底上げされたのと引き替えに、味の個性の差が縮まった。
これは、「ハズレが減った」という意味で捉えることもできるけど、
「まずい酒とうまい酒の差は歴然としているけど、うまい酒はどれも似た味で個性がないからつまらない」
という評も現れた。「これこそがうまいのだ」という方向性がはっきりしていて、目指すべき頂上が皆同じ(か近似)なのだとすると、皆がどんどん頂上にたどり着けるようになれば、みんな似たような味になってしまう、ということなのかもしれない。
僕は日本酒党*4なんだけど、実際のとこ、美味しい日本酒とそうでない日本酒はすぐに区別が付くけど、おいしい日本酒がどこの蔵のものかとかは、なかなか自信がない。高度に専門的な差になってしまうと、ビギナーにはわからない。*5


一方の焼酎というのは、大きく分けて「甲類」「乙類」というのがある。いずれも旧称で、今は甲類=連続蒸溜、乙類=単式蒸溜。いろいろ細々説明すると膨大な量になるので詳しくはWikipediaでも見てもらうとして、東日本で多く飲まれていて原材料の味があまりしないのが甲類、西日本で多く飲まれていて原材料の味によって大きな個性の差が出るのが乙類、というあたりまで理解していただけると、この先の話がしやすい。
甲類は、概念は違うけど「アルコールをより純粋に取り出す」ことに専念した結果、度数がとんでもなく高いアルコールになる。(43度以上とか、へたすると出荷前では99度とか)これに加水して36度以下にして、味をまろやかかつ平均化する。
ここで話題にしたのは乙類のほうで、乙類は「芋焼酎」「蕎麦焼酎」「麦焼酎」「ごま焼酎」なんて言われて焼酎ブームを牽引してきたアレだ。
乙類焼酎は一度しか蒸溜しないため、材料の味がストレートに出る。このため、「うまい日本酒」の味が似てくるのと違って、「うまい焼酎にはいろいろな個性がある」「素人でもそれとすぐにわかる、味の違いがはっきりしている」などのメリットがある。


このあたりから本題に戻る。
Vocaloidというソフトウェアを極めるに当たって、どういう方向性があるのか、という話。例えば、元のボイスサンプルを提供した声優さんなり歌手なりの声にできるだけ近付くという方向性がある。
実際にはボイスサンプルを提供した人の声にそっくりになっていくというのは難しいので、それとは別にいかにして自然な発声をさせるか、という方向に進んでいくという極め方もあろうかと思う。

ロボ声から脱却して、より自然に近い発声を極めていくというのは、先の豆知識に準えると、「全員が頂点を目指していく日本酒」の在り方にも似ている。個性というのは言わば「癖」であるわけで、癖を直して基本に忠実に、そして基本をブラッシュアップし続けていけば、技術の底上げにはなる。
基本に忠実なことは、個性を求める前にしておかなければいけないことで、これは大切だと思う。

なっとく森の歌鏡音リン*6
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2215784

特に、カバーなどで、歌唱技術の向上を目指す人にとっては、このベクトルは正しいと言えよう。
ただ、技術向上のために基本に忠実であろうとすることは、結果的に「人と同じ」になってしまうわけで、人と違うこと=個性を発揮することとは、逆方向のベクトルであるようにも思える。



伝説のMEIKOマスターという称号はわP単独に付いているわけでもなくて、何人かがその称号的タグを付けられているが、それではMEIKOを伝説的にチューンすると、皆同じような声質/歌わせ方になるのか、というと案外そうでもなかったりする。
わPのMEIKOは、確かに聞いた瞬間に「ああ、これはワンカップPのとこのMEIKOさん」とすぐわかる。これは、チューナーであるところのわPの個性というか、「好みの発声のさせかた」が反映された結果であろう。
わPとは違う好みの発声のさせかたをして成功している例は他にもあるわけで、それによって「同じVocaloidであっても、異なる個性を出せる」と言えるのかもしれない。

癖、個性というのは「歪み」である、という説もある。
音楽で言えば心地よい、そして共感できる歪みは「個性」と呼ばれ、共感できない不愉快な歪みは「音痴」と(ry
不愉快にならない、共感を呼べる歪みを見つけ出すことが、自分の個性を探す作業と言えるのかもしれない。
が、個性というのは探すとか見つけるとか作るというもんではなくて、
「直そうとしても直らないから諦めて共存するしかないもの」
というのが正しいのではないかと思ったりもする。
その「直しきれず諦めて共存しているもの」が共感を呼べば「素晴らしい個性」と呼ばれ、共感を呼ばなければ「変な癖が付いている」と言われる(^^;)
ピカソだって、ゲルニカや泣く女なんかのあの妙なww個性に落ち着く前は、きちんとした写実的な絵を描いていたわけで、裏打ちされた基本があってこそ、あの歪みに到達したのだろうと思う。
そう考えると、個性を追い求める前に、まず基礎力を上げることは重要なんだろな。


ここで酒の話に戻すとw
美味しいブランデーを作るには、よいワインが必要。
美味しい米焼酎を造るには、よい純米酒が必要。
素晴らしいオリジナル曲をうまく歌唱させられるのは、カバー曲で修業してきた成果。
と、そういうことかなと思われてくる。
やはり、酒と似てる気がする。




ところで、文章を書いていると、その文章にその人の人となりが出るが楽曲にもその作者の人となりが出ている気がする。オリジナルではメロディやコード、フレーズ、歌詞の目指すところなどなどその全てに、作者の哲学が出る。
では、カバーをやってる人は哲学が出ないのかというと、やっぱり本人が意識していようがいまいが出ていると思う。
共感する曲を選ぶこともあれば、「そうはなりたくない」という反発心や抵抗感、焦りからそういう曲を選ぶこともある。もちろん「そうなりたい」という憧憬から選ばれるものもあるだろう。もしくは、自分に応援を必要としているとき、とか。


ワンカップPが「あたまわるくないうた」で選ぶ曲には倉橋ヨエコのものが多い。わPの影響もあって、聞いてみましたよ。原曲を。
で、わPはヨエコちゃんのどこに惹かれていて、なぜこの曲を紹介したい(というか、わざわざカバーした)のか、というのを一生懸命考えた。そこに、この曲をチョイスしたわPの、心の片鱗があるのでわないか、とかなんとか。*7
もちろん、本当のところがどうであるのかは、それこそそれぞれの作者の心の中を余すところなく覗いてみなければ真実などわかりはしないので、このあたりの「選んだ曲、書いた曲から、その作者の人となりや哲学が見える」というのは、聞いている側の思い込みでしかない。*8
ただ、その思い込みによって共感したりアンチになったりするのが人間って奴なわけで、信者にせよアンチにせよ、そうやって自分以外の誰かの心を揺り動かすような何か(この場合楽曲)を作り出した人達というのは、やっぱすげえやと思うのだった。

*1:その他のボカロのものもあります

*2:主に本格焼酎

*3:ビール、ワインと同じで、蒸溜してないもの。

*4:ビールもワインも好きです。

*5:日本酒を20年飲んでもビギナー。

*6:いい歌wwwwなのに思ったほど伸びてないので、本日の発掘曲として紹介。

*7:向上心が強く、本人が設定した目標が高いところにあるので、そこに至ったものとして当人自身が満足を得られるものは、数少ないのかもしれないな、とか。そういう、自分が設定した高い目標にたどり着けない自分というのを嘆きつつ、それを自ら慰めようとするような曲選びをしてるなあ、と思ったり。でも、共感した人からの応援や、またそれ以外の当人の中だけにあるモチベーションの源泉みたいなものによって、周囲の思惑とは特に関係なく「したいことをしたいように」としているあたり、くよくよするように見える曲を選びつつも、本当はその曲で歌われている主題と同様に、芯の強い人なのではないかなあ、と夢想する次第。そういう解釈で。

*8:ぶっちゃけた話をすれば、「初音ミク」を始めとするキャラクター像だって、当人wがそう宣言しているわけでは決してなく、公式設定でもなく、「きっとそうに違いない」という作者やユーザー群の「集団的思い入れ」「集団幻想的共有の思い込み」が、実際にそうであるかのような作者による演出を産み、それが認知されているというだけ、と言ってしまったら言いすぎだろうかw。我々は、「心地よい思い込み」の中にたゆたっているわけで、「居心地の悪い別の思い込み」に対しては、アレルギーにもにた拒絶反応を示すものなのだな、と思う。

新体制案に賛同する

先日のエントリ「一般人から初音ミクはどう見えているのか? http://d.hatena.ne.jp/azuki-glg/20080214/1202984774」と関連するのだが、敢えて別エントリで。

[特集]クリプトンとユーザー、他企業の間に入る「新体制」の必要性
http://uranaka.net/article/84082449.html

この視点はとても大切。
ここで言う「新体制」は、クリプトン、ユーザー、他社の「板挟み」になる可能性も高いのだが、クリエイターが領収書の整理に翻弄されるのを防ぐために会計事務所があるようにw、クリエイターやユーザーが本来その資質を発揮する方向に専念できるように、その仲介役的なことをする「新体制」の必要はこの先避けられない。

元々、JASRACがまともに機能していたらw、JASRACがすべきことだったかもしれないし、電通が忌み嫌われていなかったらw、彼らに委ねることだったかもしれないが、そのどちらもに対して不信がある現状では、類似の業務をする別の「新体制」は遠からず必要になるだろう。*1


ただ、こうした業務を担う「新体制」に対しても、不満や不信は出てくるだろうとは思う。
これまでにもさぼり記で繰り返してきたが、「仲介役」が持ち出しではない状態で恒常的に機能していくためには、活動利益を出せる法人にならざるを得ない。
カンパや寄付といった不安定な財政基盤では、仲介役は安定した活動が難しい。しかし、そうした仲介役を機能させ続けるために利益を出す(必要経費を自力で稼ぐため、作業手数料を徴収する)というのは、結局のところ「ピンハネする奴ら」という従来通りの敵視を生んでしまいかねない。


方向性としては幾つかあって、ここでうらなか.netさんが挙げられている「クリプトン、ユーザー、協業他社の間に入る【何か】」を、別会社の法人、協議会などの形にするというのは、今も挙げた「ピンハネする奴ら」という不信感や反対意見をある程度生むのは避けられないだろうと思う。
ただ、そうした業務をする存在そのものがないと、些事に翻弄されて伊藤氏が倒れる、クリプトンがその都度声明を出さなければならなくなるなど、判断業務の過集中が起こるのは目に見えているし、実際既に起きている。
好きなようにやればいい、そういうオファーは個々が考えればいい、という段階は、今の市場規模/ユーザー母体数から考えると既に過ぎているのではないかという気もする。

クリプトンが社内にこれを専門に捌く部門を持つか、クリプトン資本の子会社という形でクリプトンのお墨付きを与えてやるか(つまり、意思疎通が不安定な他社委託ではなくする)、というのが、こうしたものに不安感を感じるユーザーでも納得しやすいところなのではないか。


ただ、そうした部門をクリプトンに「持て!」「やれ!」と部外者が命令できるものでもないんで(^^;)、「そうだといいんじゃないかと思ったりしますよ」くらいの意見でしかない。
ともあれ、「今のブームを一過性にしないこと」というのは、クリプトンにとっても、ユーザー*2にとっても、恩恵を受けるリスナー*3にとっても、共通の課題ではないかと思う。
解決しなければならない課題が今後どんどん増えていくのだとして、今の「トップダウン式」のままではいずれ突然崩壊しかねない。*4


もちろん、言われるまでもなくそこんところはきちんと考えてるに違いないとは思うけれど、実情が出てこないうちはあれこれ思考実験してみるより他にないのかもねー、と。

*1:リンク先うらなか.netさんでも指摘しているが、噴出するすべての関連問題を、すべてクリプトン社長・伊藤氏本人が一人で奔走して捌くというのは、そもそも異常な状態であり、すでに限界が見えている。

*2:この場合は、ソフトウェアの購入者利用者

*3:ソフトウェアは購入していないけど、それによって作られた楽曲を試聴している、将来的な消費者層

*4:このへん、僕が抱えている課題とも通じるところだけど、推進役・判断役の全権責任者がある日突然失踪したり死んだりした場合、こういうシステムだと全てが止まってしまう。