あらやだ重版ですって奥様

1/29発売のE、冬の怪談だというのに売れ行きは快調なようで増刷がかかったとの知らせ。
昔は怪談と言えば夏の定番で(今でも夏の売れ行き&出版点数の多さは目を見張るが)、怪談執筆者というのは一種の「季節労働者」だった気がする。
ありがたいことに、最近は冬でも怪談が商売になるようになった。
スキー場の怪談とか、怪談が夏期限定の季節家電みたいな位置付けだった頃には実現できないようなテーマのものも目にするようになった。
 
こうなったきっかけとして僕が思い当たるのは、イナジュンと角川ホラーである。
「この人に語らせたら、ただの小咄すら恐ろしく聞こえる」という現代の怪談王・稲川淳二。なんやかんや言っても、昨今のホラーブームの顔の一つとして、この方の評価は揺るがない。
もちろん、夏が近付くと引っ張りだこだが、稲川氏が「年越し怪談ライブ」などをやりはじめた頃と、「冬でも怪談ok」という雰囲気が広がり始めた頃が、微妙にリンクしている気がする。
 
加えて、角川ホラー。
角川書店角川ホラー文庫を創刊した折、角川の「冬の映画」はホラーを題材としたものを冬に仕掛ける、という戦略に出た。
最近で言えば、「着信アリ」(今出てるのは着信アリ2)なんかも冬のホラーである。
夏場のにぎやかしとしての怪談ではなくて、身も凍る(本当に凍る)時期のホラー、というのがこの数年元気があって、呪怨がハリウッドでリメイクされて、Jホラーが注目だー、という話になったり、推理小説か純文学(もしくは私小説か?)でないと取れなかった文学賞にホラー/怪奇小説の雄が入選したり、はたまたホラー小説大賞が創刊されてみたり、ホラーとミステリーの垣根が低くなってみたり、「このミステリーを読め2005」に拙書が引き合いに出てみたり……いやいや。
まあ、事ほど斯様にホラーが我が世の春を謳歌する時代というのは、超が創刊された当時はおよそ想像できない事態である。
これも、「冬のホラー」もしくは、「怖い話は夏に限らなくてもよい」という環境が育った結果であり、また、「夏まで待てない怖がり屋さん♪」が市場の根底を支えるほど増えたということの結果でもあるのかもしれない。
 
実話怪談はそうした「ホラー」とは、似て非なるものであるようにも思う。
ホラーは物語であったりするし、また、オチもある。
実話怪談は、必ずオチがあるとは限らないし、種明かしも(しようにも)できないものが少なからずある。ストーリーテリングという視点から見れば、およそ半端で破綻している(^^;)
事象の断片をかき集めて一冊にする実話怪談と、壮大な仕掛けを施してオチやテーマを設けるホラーとの違いは、やっぱそのへんかなー、とも。
そうすると、ホラーを読む読者と実話怪談を読む読者というのは、重複してはいるけれども完全に同一ではない、んじゃないかな、とも思われる。
母数としては、実話怪談よりホラーのほうが多いと思う。実話怪談は、ホラーの中の「一変種」というカテゴライズをされているのではないだろうか。
 
まあ、それほど自虐したもんでもないんじゃないか、と自分では思っておきたいのだが(^^;)
 
脱線ついでに書くと、ひとつのシリーズが維持されていくためには、最低でも5〜10万人くらいの潜在読者が必要なのかもなー、と思う。そして、入れ替わりも含めて確実なリピーターが3万人いたら、なんとか新刊は出せそうな気がする。好みの違い、趣味の違いを考慮に入れて、10万〜20万人くらいの異なる趣味趣向の市場で、常に3万人くらいの支持を集めることができる著者が、5〜10人いれば、「市場」「ジャンル」として成立しうる。競合や生存競争が求められるのは、市場が確立した後の話(市場が小さいうちに食い合いを始めてしまうようでは、遠からず市場そのものが消滅してしまう)。
 
そんな風に考えていくと、Jホラー全般はともかく実話怪談というジャンルは、定期的に新刊を出している著者が少なくとも10人くらいはいそう。読者(購読者)はかなり重複しているだろうとも思われるが、それでもそれらの多くがコンビニ本であるところからすると、20000〜30000くらいの間で、それぞれの著者がリピーターを確保できているんじゃないだろうか?
そうするってえと、実話怪談というジャンルそのものは、割と成長期・安定期に向かいつつあるのかもしれないなあ、とも思う。
問題は、「ネタが尽きないかどうか(飽きられないかどうか)」と、「書き手側が飽きないかどうか」といったところか。
 
怪談て、「自分の体験談」を書いていると、絶対に早晩ネタが尽きちゃう。体験したことがある人ほど怪談に手を出しやすい(笑)のも事実だが、体験談で世に出た怪談作家の多くは、佳作であるか途中で「ネタ募集」型に転向しているかのどちらか。
ネタ募集型に転向した人は今もメインストリームで生き残っていて、自分の体験談を吐き出し尽くした後、なお自分の体験談で行こうとした人の何割かは「胡散臭い霊能者」のような位置付けに凋落してしまっているケースも見受けられる。芸能人霊能者によくある傾向だ。
 
怪談(=怖い話)を見聞・取材して書き残す商売をしているが、怪現象の中に取りこまれすぎるのもよくないのかなあ、と、このエントリーを書きつつ故池田貴族氏のことを思い出してしまったのだった。
 
以上、怪談をお題につれづれなる私見と世迷い言ということで。