守貞漫稿

寝床では資料本は読まない、と決めているのだが(資料と未読本は読み始めると止まらなくなるから)寝床に守貞漫稿を持ち込んで読んでいる。たいへんおもしろい。
守貞漫稿は江戸ネタの解説書やトリビア本、江戸を舞台にした小説などを紐解くと、底本として必ず挙げられている江戸風俗事情の記録で、大阪と江戸の両方に居住した経験がある著者が、双方の風俗の違いを収拾記録している。
守貞漫稿に限った話ではないが、この時代(江戸時代)の日本人は武士から農民に至るまで、相当多くの人が「本」を読んでいたと同時に、書いていたらしい。
江戸時代はと言えば、自分の町内から一歩も出ないで人生を終える人がいる一方で、伊勢参りや冨士講などのように仲間と連れ立って或いは駆け落ち家でのごとく個人で旅をする人が爆発的に増えた時代でもあるのだそうで、それを促す「見物記」「道中記」の類が数多く書かれた。「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんなどは我々もよく知るところだが、あれにしても「旅のノウハウ」を教える旅行ガイド本で、あれ以外にも多くの道中記が書かれている。またそうした道中記を、「著述専門業者」だけが書いていたのではなく、ごく普通の市井のご隠居なんかが書き残しているものも多数あるのだと聞く。狂歌川柳の類もそうだし、後の世に号まで伝わっているからどんな偉人かと思えば、ただのお店裏の貧民だったりするケースも多い。
そうした人々が特殊な例外なのかと言えばどうやらそうでもなく、あの時代の人々は上から下まで「文字を読む書く」という経験を必ず経ていたらしい。寺子屋・私塾の類は、今で言う学習塾ではなく、初等教育(小学校)の役目を果たしていたようで、部屋住み確定の次男三男や女子などは、「将来奉公に出ること」を前提に読み書き計算を習った。
読める、ということは書ける、ということでもあるわけで、名もなき人々が書き残した「日記」の類も数知れない。
こうした傾向を見るにつけ、労働層(下級階層)の識字率が高かったことが、より多くの出版物(または写本)の登場を促し、また、そうしたものを書き残すことに対する抵抗感を減らしてきたのかもなあ、と思う。
現代はインターネットなどで、こうしてBBS、blogや日記、レビューなどを、文字を書くことを専業としていない人々が多数発信している。
いつだったか(70〜80年代だったか、毎世代ごとにいつもそう言われるのかわからないが)
「最近の若者は活字を読まなくなった。手紙だって書きゃしない」
と嘆くご老人方を多数見たことがあったが、そんなことはない。
漫画の吹き出しのセリフだって活字だ。メールだって手紙である。Webページを追っていくことは大量のテキストを読むことであり、現在ほど大量の文字を読んでいる時代はないんじゃないか、と思う。
が、そこで「現代ほど多量の」というのもまたエゴなのであって、江戸時代、今より暇を多く持て余していた人々は、畑仕事の合間に「晴耕雨読」を楽しみ、「和算」をパズルとして楽しみ、子供ですら「黄表紙」を読み、貸本屋から借りた本をせっせとダビング(写本)していた。
 
ご先祖様と今の我々がしていることには、なんの隔たりもない。
昔を記録した本を読めば読むほど、「ああ、俺達やっぱ日本人だなあ。前々変わってねぇなあ」と痛感するばかりである。
 
ちなみに、守貞漫稿、原本やその移しなどを買う金はさすがにないので、岩波版の「近世風俗史〜守貞漫稿」で読んでいる。全5巻。先は長い。