昔話

昔なじみの書き屋さんと仕事の打ち合わせ→飲みということで、いろいろお話など。
直接会うのは4年振りだったので(メールや電話での連絡はしばしばあるんですが(^^;))、あれこれいろいろな話で盛り上がり。
そこで出た話。
「自分が嫉妬【されている】というのは、されている側にいる自分は気づかないものだ」
と。具体的な例を挙げての詳しい話は差し控えますけれども、知らないところで嫉妬されているということはしばしばあり、嫉妬されている側は自分が嫉妬されているということに案外気づかないものだ、ということ。
こういう話は、自分では心当たりがないので厄介です。
だって、自分では気づかない(わからない)んですから。
能力、才能、実績、才覚、功績、売上(笑)、表彰、そうしたいろいろな「評価基準」というのはあると思うんですけれども、そうした評価基準に達している人が嫉妬を受けるのは、なんとなく理解できます。一方で、そうした能力、才能、実績、才覚(以下略 に浴していない自分には、そうした嫉妬を受ける謂われはないと確信しています。小物で良かった、という感じ(笑)。
「そんなことないよ。自分ではそれにも気づいてないんだよ」
旧友の言葉は続きます。
実際に成功しているかどうかという事実ではなく、相手が「どう受けとっているか」が、自分に対する評価(個人的な)を決めてしまう、ということかもしれません。
他人の胸の内というコントロールできないテーマであるが故に、手の打ちようもなく。
悩める話題です。
 
個人的には、「次の仕事で頭がいっぱい」で、前の仕事に対する云々には頭も手も廻らない、といったところなんですが、そういうせっぱ詰まった事情は、心当たりのない嫉妬に心揉まれている人には通じない、というのもまた事実のような。
僕個人は心配されているほど大物じゃないので、気にしないでいただけるとありがたいんですが(^^;)