今週二本目の打ち合わせ

今日は今週二本目の打ち合わせ。
怪談ではない仕事で、ちょっとうきうきしている。
編集さんと「これは10万部以上を見込める!」とか「年末に特別ボーナスをもらえる!」とか「ローンを一括返済」とか、まるで宝くじを買った瞬間に当たった気持ちになって、「宝くじ当たったら何買う?」みたいな夢見がちな話題に花が咲く(笑)。
打ち合わせをしていて「締め切りまで間がないのにできてません」というときほど編集さんの顔を見たくないことはないのだが、「この本はきっと売れて、売れたら僕等ウハウハですね」という夢見がちな話をするときほど楽しいことはない(笑)。
夢は叶わないからこそ楽しく、叶わないからこそ期待が膨らむものでもある。


その打ち合わせの席上で出た話をかいつまんで。
打ち合わせ内容は「怪談じゃない本」「詳細は内緒」としか言えないので詳しくは触れないが、わりと重要なことなどを少し言うと、
「あらゆる情報というのは、その情報を流すことで得をする誰か、または得をする誰かに与する誰かが、意図的に流している」という話。
例えば、ある政治家にとって不利益になるスキャンダルというのは、その政治家の身内が積極的に流していると考えるよりも、「その政治家のスキャンダルになることを望む誰かが、積極的に流している」と考えるのが自然。
また、スキャンダルというのは「それが事実であるかどうか」は重要ではなくて、「その可能性があるかも」と疑わせることで、ターゲットの信頼を失わせることが主目的となっている。(小泉総理のレイプ疑惑なんかがまさにそう。根も葉もないが、疑いを持たせることができれば、風評被害を与えられる、というもの)
そういうことから、「それを流して得をするのは誰か?」という考え方(疑い方)を身につけないと、僕等は今後も騙されっぱなしですねえ、という話になる。*1


実際問題、そういったスキャンダル、疑惑というのは大部分が「……か?」という疑惑、可能性の提示だけしか行われないものであるわけで、それに対する回答が「是でした」「非でした」という結論が出る頃には、みんな最初の設問を忘れている(^^;)か、回答などどうでもよくなって疑惑だけが一人歩きしているというのがほとんど。
つまりは、「疑惑……か?」を仕掛けた時点で仕掛けた側が勝っている、というものが多い。
そうした報道のミスリードや恣意的なスキャンダルを逆手に取って、うまいこと商売(この場合、売れる本を出す)に結びつけられませんかね、という「ケケケ」「へっへっへ」という悪代官的な笑みが飛び交う打ち合わせほど楽しいものはないわけで、今日の打ち合わせは大変楽しかった(笑)


思わず、売れるどころか企画もまだ通ってないというのに、本が売れた気分になって地元の靴屋で夏物のサンダルなど買ってしまう。<わかりやすい行動
その直後、100円ショップでイイ感じのビーチサンダルを見つけてしまい、1/30の値段のビーサンも買ってしまう。
なんとなく、ビーサンのほうをたくさん履きそうな気がしている<すでに負けている。




PS.
花形満の予告ホームラン(のポーズ)はめちゃくちゃかっこいいけど、あれはその予告の直後に予告通りにホームランを打てるからかっこいいのであって、打てもしないのに予告ホームランのポーズだけ取って、三振で終わったらかっこわるいよねえ、てな話。だからホームランの予告という挑発的というかリスクの大きいことをやる人が減ったんだと思うんだけど、そういうヒロイックな(そして実力確かな)人が一人くらいいてもいいよね、と思う。
でも現実のプロスポーツの世界というのは、そういう1プレイヤーの予告が予告通りに成立させられるほど実力差が大きいってことはあり得ないわけで(特に昨今では)、はずれた予告ほど情けないものはないだけに、そして謙虚を旨とする日本球界だけに、予告ホームランという「失礼な行為」はなりを潜めたのかもねえ、とも思う。


ヒーローの活躍を期待する人には物足りないのかもしれない。巨人、大鵬、卵焼きなヒーロー賞賛の時代を知っている人にはそうだろう。でも、「誰がヒーローに躍り出るかわからない」という、予定調和の破壊を体感している人には、却って予告ヒーローの存在は邪魔なのかもしれない。おまえはどっちだと問われたら、僕はこう答える。
「僕は怪談屋ですよ? ギリギリまでオチを読ませない、読まれるようなオチを出さない。札を切ったらぐうの音も言わせない。それが飯の種ですし、できればそうありたい」
と。


ともあれ、いろいろ考えさせられる話。

打ち合わせと長電話と飲み屋の馬鹿話は、人生にいろいろな示唆を与えてくれる。
尊重すべきである。

*1:でも、まじめで素直で純朴な人ほど情報を疑わないので、そういう情報に簡単に引っかかったりもする。かつての民主党の躍進というのは純朴にマスコミ報道を信じた結果だったのかもなあ、と思ったりもする。小泉自民の躍進は逆にマスコミ報道を斜に構えて信じないひねくれ者が増えたということかもしれないとも思う(笑)。正直で素直で純朴な人は、騙されたということに対する自覚がないし、そもそも正しいと信じてそれを盲信したりもする。新興宗教に引っかかって身ぐるみはがされてもなお気付かないのも、そうした純朴で素直で正直な「善なる人」である場合が多い。善なる人には生きにくい世の中が来ているのかもしれないと思うと、残念であり気の毒でもある。