松村進吉と氷原公魚

今日も今日とて怪記の原稿を読む。
それを読みながら、フッと氷原公魚のことを思い出した。
今は筆を折って北海道に帰ってしまったんだけど、松村進吉君の作風にときどき氷原君の作風の面影が見えることがある。
二人に接点はなく、作品上の連続性もないはずなのだ。
が、文庫一冊分の原稿をまとめて一気読みしたときに現れる特徴、何度も手を入れる癖、著者自身が気にして注目するところ、そういう手触りのようないろいろな要素の集合体が原稿を形作っているんだけれど、そこにまったく繋がりのない別人の気配が見えてくるというのは、なんだか意外であり愉快でもある。


氷原公魚という人は「超」怖い話に一度だけ書いた共著者の一人だが、現役時代にはゲームのノベライゼーションなどを僅かに残すに留まり、彼自身が書き残したオリジナルの作品群に触れた人はごく僅かに限られる。*1
彼の筆が猛威を振るっていた頃、そのピークの頃、この人はもしかしたら筒井康隆の衣鉢を継ぐことになるんじゃないだろうかと真剣にその才の行く末を楽しみにしていた。
もちろん、完成度が高かったということでもなく、鑿痕の荒々しさも残るような書きっぷりであった。
が、このまま彼が書き続けその才を世に示す日が来たら、僕は一生専属編集者でもいいなあ、とちょっとだけ夢を見たことすらあった。


今の彼はもう絶筆しており*2、筆は執らない仕事をされている。
mixiなどで日常について、あるいは友人を紹介する僅かな文章を記すくらいだが、その文章を見てもかつての才の片鱗がちらちらと見えていたりもする。
惜しいことをした、と悔やむばかりだ。*3


そういう後悔を繰り替えさないよう、今は久田君と松村君とそれに続く何人かの人々にできる限りの恩返しをしようと思っている。
松村君と氷原君のイメージを重ねて、そんなことをちょっとだけ考えた。

*1:物持ちがいいことに、今も彼が書いた作品群はテキストデータの形で保管している。ときどき引っ張り出して読み返しているのだが、10年以上経った今でも全然その筆致は色褪せない。

*2:死んでませんが

*3:死んでませんって