群衆心理と怒り

友人から「おもろいよ」と奨められて、ギュスターヴ・ル・ボンにより1895年に書かれた「群衆心理」を読み始めた。講談社学術文庫版。*1
マーカーで線引きながら本を読むのは久しぶりかも。たいへん面白い。*2


政治(統治)が、貴族やエリート(突出した地位を持つ統治者)によって行われていた時代から、被統治対象だった民衆が政治(統治)を行う側に参加するようになったのが民主主義の始まりであるわけなのだけど、本書「群衆心理」は、「群れなす人々」の心理についての検証・研究では、古典というか事実上の草分けにある本らしい。
観察・検証対象としているのは1700〜1800年代あたりの欧州の「群衆」の動きであろうかと思われる。ナポレオンの失敗などについても、統治をする側からではなく、統治対象であった「群衆」の心理を検証する形で書かれている。
本書はあくまで欧州の民主主義定着期の民衆を俯瞰した研究書だろうかと思うのだけど、1910〜1945年あたりの大陸と日本の民衆、1952〜1970年あたりの日本の学生達、そして2002〜2009年の日本の有権者達の心理を慮るためにも役立つように思える。
なんというか、群衆心理は年が下っても進化しない。原書では1700年代と1800年代を比較してそう言っているのだと思うんだけど、1800年代と1900年代と2000年代を比較したところで、なんら遜色がない。


学生運動の熱狂*3裁判員制度*4を考える上で読み始めたつもりだったんだけど、「なぜ小泉政権に熱狂したか」そして「なぜ民主政権が熱狂的に支持されるのか」を理解する役にも立ちそうな感じ。


キーワードとして「最大公約数として群れが共有可能な感情のうち、もっともプリミティブかつもっともエネルギーがあるもの」は、やはり畏れ*5とその反発としてある怒りなのであろうなあ、と思われる点。*6
魔女狩り、日比谷事件、打ち壊し・一揆、幾つかの「群衆が起こした行動」の多くは、古今東西を問わず、暴走した王蟲の如く怒りによって感覚が麻痺することを、自ら自制しないことによって起きているわけで、ここんところを読み解くと面白そう。


学術書とか資料本とかの類は、自分の守備範囲とできるだけかけ離れたものを見たときほど、「あっ。そうか!」という閃きに出会えることが多いような気がする。
会心理とかも、古典と現代とではアプローチが全然違うらしいことも、その道の人にとっては常識過ぎる常識なんだろうけど、門外漢としては、むしろAHA感を楽しめるというか。
人生一生勉強だよね、と思う反面、まだまだ「気づく楽しさ」をおもしろがれるのはラッキーというか、得した気分。




民主党政権の中身(政権交代後の民主党政権による政策)が広く知られないままに、政権交替そのものが肯定されてしまう心理について、先だっての「総論賛成、各論反対」とは別のアプローチで考えてみるに、この切り口は大変興味深い示唆を与えられているよな気がする。
標題「群衆心理と怒り」の関係性については、近日。
投票ハンドブック(3)以降については、

  • 群衆心理と怒り(白紙委任という怒りの口実)
  • 政策検討の手法(優先順位の導きだし方)
  • 政局予想、2010年参院選
  • 政権交代後、2010〜2016年のロードマップ
  • 手続き論

などを諸々と脳内こね回し中。


今からまとめたら、2010年参院選に間に合わないかなあw

*1:日本国内では1921年の29版に基づき昭和27年に創元文庫から刊行された。講談社社学術文庫版は創元文庫版を底本としている。

*2:しかしながら、仕事で読む原稿以外の本は寝入り間際に読む習慣のため、入眠の瞬間、ラインマーカーの痕が頁にでででー、とw

*3:以前から何度か触れているけど、なぜ学生運動に参加した人達は、自分達が何を目指していたか(日米安保の内容)について知らないまま熱狂していたのか? というのは常々謎だった。運動の参加者が例えば文盲であるとか、十分な教育を受けていない、情報を得る機会がないなどなら、誤情報から誤った判断を下す個人がいてもおかしくなかっただろうけど、大学という高等教育を受ける立場にあり(しかも大学皆進学ではなかった当時、大学生は学問的にも学力的にもエリートだったはずだ。これはインドネシア学生運動も同様)、能力的に優れていたはずの人達が、なぜこぞって「問題の核心を理解しないまま熱狂していたのか?」について、当事者の多くは説明できていないように思えて、それを説明できるものを探していた。

*4:裁判員制度については、12人の怒れる男/12人の優しい日本人を見るまでもなく、「他の誰かの意見に左右されやすい(かもしれない)」人々が、どのように群盲にならずに判断を下せるのか? について、やはり気になっているから。

*5:恐れ、としてもいいのだろうけど、身体的危機からの忌避と同時に、不可侵の絶対存在に対する忌避の意味での「畏れ」とは不可分かな、と思うので敢えて「畏れ」で。

*6:海外のホラーでは、恐怖に追いまくられた主人公が、一線を越えるとキレてしまって、怒りに身を任せてモンスターに反撃を加える、という筋立てのものが多かった。これは宗教的背景(心理)もあるだろうので、一概に数行で解説できるものではないけど、恐怖に対抗しようとする自分に正当性を与えていきり立てるのは、やっぱ怒りなんだろうな、とか思った。