靖国神社参拝

そういえば、終戦記念日まであと1週間を切った。
毎年この時期になると、「総理、靖国神社には公式参拝するんですか!」という判で押したような質問が飛びかうんだけど*1、今年はこれについてはピクリとも動きなし。


そもそも靖国神社というのは戊辰戦争後に「日本を護持するための戦争*2に従事して亡くなった人を祀る」という目的で建立された護国神社が元になっている。靖国神社に行くと大村益次郎など明治維新の重要人物の像があったりするのは、東京における上野彰義隊攻めに功のあった*3大村や、函館陥落まで続く一連の戦争で亡くなった人々を顕彰するためのもので、これが後に明治新政府の色濃い日清戦争戦没者日露戦争戦没者なども加えられていくことになった。
二次大戦の従軍戦没者の他、自衛隊の殉職者も祀られている。
現代の日本というのは、徳川幕府による大政奉還後に出来た明治幕府――とも言うべき、明治新政府から脈々と続いていると言える。その証拠というわけではないが、現在も初代総理大臣は伊藤博文であって、終戦時の鈴木貫太郎*4や戦後第一代目に当たる東久邇宮稔彦王*5を「初代」とはしていない。
また、現在の日本国憲法*6は、大日本帝国憲法*7を改正したもので、ベースは引き継いでいる。


大戦後の靖国神社については、GHQによる解体の話もあったらしいが、これについてGHQから相談を受けたアメリカ人神父の反対によって靖国神社は解体を免れたのだそう。
二次大戦*8終結は、玉音放送*9によってピリオドを打たれることになるわけなのだが、国家元首による国民への直接の降伏・抵抗の禁止・武装解除命令と、国民の殆ど*10が実際にその勅令に従ったことによって成ったと言える。
国土が焦土になっていて気力も萎えていたというのはあるのかもしれないけど、「上の判断に下は従う」という、組織として最も重要なことが最後まで保たれていたことが、結果的に「終戦宣言後も各自の判断で泥沼の散発的ゲリラ戦が続く」という最悪の事態を免れることに繋がった。
もし、昭和天皇による終戦の詔を国民が受け入れない*11ようなことがあった場合、たぶん日本が10年で国際社会に復帰し、次の10年で所得を倍増し、その次の10年で世界第二位の経済大国の地位に復帰する……ということは起きえず、今もゲリラ戦が続くイラクアフガニスタンソマリアのような無政府状態に陥っていた可能性すらある。


戦後の日本に「戦い終わればノーサイド」的な、もしくはホイッスルが鳴ると「もはやここまで」と潔く決するような風潮が根付いたのは、この終戦の詔の影響が大きいのではないかと思うときがある。これはもちろん戦前からの武士の美学*12の延長線上にあるものだが、この潔さと、決断への支持を求めた昭和天皇に対して国民、軍部が銘々勝手な正義を盾に従わなかったらと思うと、本当にゾッとする。


話を公式参拝に戻して。
麻生総理はクリスチャンだが、幼少時は吉田茂元総理に連れられて、政治家になってからも終戦記念日には参拝しないものの、それ以外の日に参拝をしてきた靖国神社参拝容認派。
ただし、総理就任前から、在職中は靖国神社公式参拝はしない、と宣言している。


鳩山民主党代表は、恐らく党内の手前、参拝否定派。中国/韓国に配慮する必要もあるため。

対して上述したように麻生総理はそもそも参拝容認派。「国=我々のために亡くなった人を悼むのは政治家としての責任」とは小泉元総理の参拝で出た話でもあって、麻生総理もこの「悼む」という点に関しては歩調を同じくしているが、遺族会の高齢化*13などから、靖国神社存続に対する解決方法はまた別のスタンスにある。


で。
麻生総理が終戦記念日靖国神社公式参拝するかしないか。
当人の政治的スタンスから言えば、そもそも参拝容認派なのでしてもおかしくない。*14


自民党内及び麻生総理の支持層(中道右派から右より)としては、「アジアに逆らうことになるので、絶対に参拝できない鳩山代表」に対する、公示直前の最大のアドバンテージとして、タカ派麻生総理の公式参拝を「最後のチャンス」と見なす向きもあるはずだ。そしてそれは確かに否定できないし、一定の効果も期待できる。
麻生総理が8/15に公式参拝した場合、まず中国韓国が猛反発し、鳩山代表他の野党は「中国韓国の反発に乗じる形での麻生批判」を行う。
しかし、「中国様、韓国様が気分を害されることはやめろ」という論調のままだと、逆に靖国公式参拝を容認する保守層の反発を買ってしまうので、マスコミの論調は恐らくこうなる。

「電撃参拝。またブレた麻生。総理就任前は在職中の公式参拝はしないと宣言していたのに、選挙で勝つ為なら禁断の靖国神社公式参拝もカードに使う追い詰められぶり」

ここまでほとんど靖国参拝が話題に上がらなかったのは、マニフェスト論争とかのりピー逮捕とか、報道が食いつくその他の話題が目白押しで、なおかつぶら下がりでも靖国に関する質問をあまりしてこなかったからだろうと思われるけど、したらしたで「我々に何の通知もなく、こっそり勝手に」という報道がされるんだろうなあ。


では、公式参拝ではなく私的参拝の場合はどうか。
小泉元総理の場合、「参拝に私的も公的もない」として明確にしなかったものの、公用車、玉串料は本人のポケットマネーから、しかし芳名の肩書きは「内閣総理大臣」。そういえば、元旦に500円玉を賽銭箱に投げたこともあったっけw
安倍元総理の場合は、「行ったか行かないかも明らかにしない」ということで8/15は避けたものの、本来の参拝時期としてはよりふさわしい春の例大祭に合わせていた。
麻生総理もこれに倣う形で、公的・私的を云々しないという方法もあろうけれども、8/15に行くか行かないかというその一点だけが争点になるので、公的/私的はもはや意味を成さない気もする。故に、私的参拝の場合も上に準じる。


では、靖国神社に麻生総理が参拝しなかった場合。
タカ派としての麻生総理に期待を寄せる保守的支持者は落胆する。
では、鳩山/マスコミがそれを評価するようなことがあるのかといえば、もちろん批判する。
小泉元総理の場合は、「公式参拝する」が公約のように言われていたため、8/15を避けた時点で「公約違反」「約束を守らない」と批判され、参拝したらしたで「アジアを刺激」「中国との関係悪化」と批判された。
そこから予想される民主とマスコミの論調はたぶんこんな感じ。

「自分の支持者の期待すら裏切った。信念がブレている。今更靖国反対派に媚びても手遅れ。靖国神社参拝を封印しても、手詰まり感に変化なし。もはや首相は追い詰められている」

結局、「奴はダメだ」という結論のために、その論旨を七色に変えている*15わけで、結論ありきの批判は変わらず行われる。
「やってもやらなくても批判されるんだから、やっておいたほうが悔いが残らない」とは、これまた小泉元総理の言。




しかし、昨今の民主称揚・自民批判の報道姿勢は椿事件の反省と再来と囁かれているけれど、ちょっとあからさま過ぎなんじゃないすかねえ。

椿事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

*1:小泉元総理の最後の年の参拝など、総理官邸から靖国神社までヘリで公用車を追跡生中継する大騒動だったし。

*2:戊辰戦争は官軍と幕軍による内戦であって日本を護持する戦争ではない、という主張も根強い一方、官軍勝利で明治新政府ができた(内戦の早期終結)ことで、外国による植民地化を免れたので、これは「日本」を護持するための避けられない戦争だった、という主張もあったりする。どちらも検分して自分の意見を考えるのがよいと思う。

*3:後、死亡

*4:42代

*5:43代

*6:昭和憲法とも戦後憲法とも平和憲法とも言われるアレ

*7:明治憲法

*8:正確に言えば、二次大戦/大東亜戦争の中に含まれる日米戦争/太平洋戦争

*9:終戦の詔

*10:勅令が届かず戦後も抵抗を続けた離島組、ビルマに残った水島上等兵、PETAに参加した日本兵などがその例外に当たるのだが、日本国内で組織的な武力抵抗はほとんど起きなかった。

*11:天皇の権威を尊重しない

*12:明治新政府を作ったのは主に武士達であって、潔さを以て貴しとする武士の精神は引き継がれた。それは出自が武士ではない平成の政治家にも引き継がれており、国民も「清廉潔白無私無欲滅私奉公すること」を政治家に期待するが故に、私腹を肥やす贈収賄やスキャンダルに厳しいのだろうと思う。

*13:氏子の高齢化=少数化によって、靖国神社護国神社の維持が難しくなりつつあることは数年前からずっと言われてきたことで、靖国神社は今のままだと遠からず自然消滅する可能性もある。ところが、この20年くらい政治的に騒がれたことが、逆に若い参拝客を増やした。

*14:もっとも、「負けた日=8/15にするのではなく、勝った日=5/27にすべき」という主張もあった。今の日本が戦没者の犠牲の上にあることを感謝する、という意味合いから、8/15の参拝になったのは戦後の話。ちなみに昭和天皇が参拝しなかったのは、国際連盟脱退を主導し日本を枢軸国側に引き入れる後押しをした松岡洋右が、東京裁判の公判中に病死したにも拘わらず国事殉難者として合祀されたことが理由、とされる説もある。

*15:代弁する主体が変わる