金がねーなら結婚しねーほうがいい

麻生首相「金がないなら結婚するな」発言について。


覚え書きとして、麻生総理発言の前文。

2009/08/24(月) 22:12:48 id:ebEq0o8U0
麻生首相の発言、全文書き起こし

金がねーから結婚できないとかいう話だったけど、そりゃ金がねーで、結婚しねー方がいい
やっぱりね。そりゃ、そりゃオレもそう思うよ。
(会場笑い)
そりゃうかつにそんなことしない方がいい。
でー、金がオレはない方じゃなかった。
だけど結婚遅かったから。オレは43まで結婚してないからね。
だから、あのー早い……あるからする、無いからしないってもんでもない。
こりゃ人それぞれだと思うから、だからコレはうかつには言えないところだと思うけども、あるけども、生活をしていくいけるものがないと、やっぱり自信が無い。
それで女性から見ても、旦那を見てやっぱり尊敬する所にやっぱり、しっかり働いているというのは、尊敬の対象になる。
日本では。日本ではね。
したがって、きちんとした仕事を持って、きちんとした稼ぎをやっているということは、やぱっり結婚をして女性が生活をずっとしていくにあたって、相手の、まあ男性から女性に対する、女性から男性に対する両方だよ?
両方やっぱり尊敬の念がもてるかもてないかというのはすごく大きいと思うね。
つまりね、稼ぎが全然なくて、尊敬の対象になるかというと、よほどのなんかないと、なかなか難しいんじゃないかなと、言う感じがするので、稼げるようになった上で結婚した方がいいというのはこれはもうまったくそう思う。

http://www.47news.jp/movie/general/post_3189/

夜中にトイレに立ったついでに拾ったのでメモ。
太字強調の部分が一人歩きして、「麻生総理、貧乏人は結婚するなと発言」というニュースになっているらしい。
全文は「学生結婚は経済的基盤が貧弱になるので、大学を出て就職をきちんとしてからのほうがいい、というのはまったくその通り」というような意図のものであったらしい。


去年だったか一昨年だったか、柳沢大臣による「産む機械発言」というのがあった。このときも、「女は子供を生産する機械、と発言」というような趣旨で報道が広まり、これは相当世の女性の反感を買っていた。知己の女性編集の方とかも憤ってる人が多かったんだけど、これだって元々の趣旨は「オマエラ産む機械だから、ロボットみたいに子供生んでりゃいいんだよ!」的なものではまったくなくて、「女性が子供を産むことができる年齢を仮に18歳から40歳くらいまでとすると、その年齢の間に一人当たり○人以上が出産しない場合人口は必然的に減ってしまう」というような趣旨を説明する為に、「女性を機械に例えるわけではありませんが」「例えば機械は生産効率が決まっていて」というような流れの効率に関する比喩で使われたものだったような。


いずれにせよどちらのケースでも重要なのは以下の点。

  • 論旨そのものは「郵便ポストは赤い」というのと同等のまったくの正論で、全文を聞けば「当たり前だ」と納得できるものばかり
  • ニュースはそうした全文の中から、意図を説明する為の喩えや反意的比喩の部分だけが抜き出され、「○○○じゃ困る」「だから、○○○していこう」という構成の主張のうちの、「○○○じゃ困る」の部分だけが一人歩きして、「だから〜」以下の部分が紹介されないので、本来の意図と180度逆の主張と受け取られる
  • 「だから〜」が紹介されないせいもあるけど、比喩だけが切り取られることに加えて、「その先にある真意」への連想をさせないニュースが増え、さらに決め撃ちの結論に慣らされたことで、「だから?」「つまり?」という比喩・反意的誘導への先が出てこない視聴者が増えた

「子供には怖い思いをさせない」ということで、子供のうちはなるべく幸せな状態だけを与えるべき、という児童心理学があるんだそうで、実際世の中のシステムは「子供はイノセンスだから守るべき」という過保護気味な対応となっている。
社会人になったらそうした「過保護」はいきなり消滅するため、「今までと違うことに衝撃を受けて」社会の荒波wでいきなり沈没してしまい、ニート路線真っ逆さま、という人も珍しくない。
一方で、消費者保護、または情報受益者への過度なサービスによって、やはり明確な結論を例え話から自分自身で導きだすということができる人は減ってきている、という話もある。


このへん、僕の本業であるところの怪談の描写スタイルの変遷とも今後密接に関係してくるような気がする。
二昔前の怪談は、「その時あなたの背後に白い着物を着た女の幽霊が立っていて、青白い顔でうらめしやと言いました」というところまでしっかり書くスタイルだった。
これが90年代〜2000年代あたり、つまり「超」怖い話などが台頭してきたあたりになって、「その時あなたの背後に――」でやめてしまうようになったw 結果、背後に何があるんだかわからないから、読者はそれぞれが自分の知識や経験から全力で「背後にあったらいちばん怖いもの」を想像して当てはめるようになった。しかも原文には背後に何があったのか、という結論が書かれていないから、人によって想像する一番怖いものが異なる分、個々の想像力のレベルに応じて、同じ怪談でも評価がまちまちになる一方、想像力が増してくると同じ怪談を何度も繰り返し読める(その都度違う可能性を連想する)ようになるため、再読性が高くなった。
このへん、読者の想像力をできるだけ喚起し、同時に読者の想像力にある程度依存するというものでもあるわけで、作者は手を抜いているように思われるかもしれないけどw、怪談というのは「読者が、より最悪なことを連想する想像力を鍛える」ことで、そうしたよく訓練されたw読者に支えられたもの、とも言える。
が、今回の例にあるような「つまり?」「だから?」の先を、具体的に説明されないと、次に何が起こるのか想像できない、というような人が読者として増えてくると、そこでまた怪談の描写形態は変化してくるのかもしれない。
「その時あなたの背後に、白い着物を着て長い髪をざらりと振り乱した青白い顔の女が、口元を血で真っ赤に塗らし、ぱっくり割れた額から白い脳髄を零しながら、オマエヲコロス、オマエヲコロス、と呟きつつ近付いてきて、私の首を絞めました。とても怖かったです」
……と、ここまで書かないと怪談にならない、というような。


今回の麻生総理発言に準えれば、こんなに長いと全文を読んで貰えないからw、ここから重要な部分「首を絞められて怖かった」という文章末尾部分だけが抽出されてしまうわけだが、そこだけ見たって「なんで怖いのか?」はさっぱりわからんわけで、「そもそも何が言いたかったわけ?」ではなく、「なんでそれが怪談なの?」「何を当たり前のこと言ってんの?」と言われてしまったりするのかもしれないと思ったり。


喩えを並べて意図を示唆し、そこから引き出される意図そのものは情報の受け手(読者や観衆や視聴者)に想像させて気付かせる……という式の演説や文章の組み立ては、情報過多の時代と情報の恣意的編集の手に掛かると、ホントに弱いんだなあということを、自分のフィールドに引っ張り込みつついろいろ想像した。