恐怖箱 十三

11月の新刊、恐怖箱 十三。
これで正式名です。


十三人の著者による、恐怖箱十三巻目の怪談本。

  1. つきしろ眠
  2. 鳥飼誠
  3. 深澤夜
  4. 怪聞亭
  5. つくね乱蔵
  6. 矢内倫吾
  7. 松村進吉
  8. 雨宮淳
  9. 原田空
  10. 久田樹生
  11. 高田公太
  12. 渡部正和
  13. 加藤一


ほら、十三人。僕を入れて。

  1. 恐怖箱 怪コレクション 黄昏の章
  2. 恐怖箱 怪コレクション 夜明けの章
  3. 恐怖箱 怪コレクション 彼岸花
  4. 恐怖箱 怪コレクション 女郎花
  5. 恐怖箱 怪医
  6. 恐怖箱 怪癒
  7. 恐怖箱 蛇苺
  8. 恐怖箱 老鴉瓜
  9. 恐怖箱 蟻地獄
  10. 恐怖箱 赤蜻蛉
  11. 恐怖箱 遺伝記*1
  12. 怪集 蟲*2
  13. 恐怖箱 十三


恐怖箱の前の2006年の超-1怪コレクションは3冊出ているのだが、これは「超」怖い話と冠されているため、恐怖箱にはカウントされない。
怪歴、怪記、怪逅は「超」怖い話レーベルにカウントされるので、恐怖箱にはカウントされない。*3
恐怖箱は、超-1出身者による怪談レーベル、という位置付け。
世に企画本、企画レーベルは数あれど、恐怖箱のように公募企画の応募者の熱意で維持され続けているレーベルというのは、なかなかないと思う。
思えば「超」怖い話の二度の死からの復帰も、その最大の圧力になったのは読者諸氏による編集部への「まだ?」「いつ?」「伝説!」という要望の強さ多さ熱さにあったように思う。
超-1が継続開催されることになったのも、「また!」「まだ!」「もっと!」という応募者諸氏による圧力――風圧のようなものに圧された結果と言っていい。センチメンタルな理由や、ごく一部の熱狂だけだったら、恐怖箱がこの数年間、「出続けるタイトル」にはならなかった。
出版社というのは編集者というロマンティストと、営業担当というリアリストの綱引きで成り立っているところがあって、編集者は意義や価値について感傷的、情熱的に訴える。著者や読者のスピリッツの代弁者が編集者であると言える。そして、編集者はどこかロマンティストだ。*4
一方、本が売れない=需要がないなら、その本を出し続けることは単なる赤字・負債増でしかないわけで、編集者のロマンティシズムにリアリズムのブレーキを踏むのが営業担当である。内容に数字が伴わなければ、「良いけれど、売れなかった」というものは残れない。
内容とは別のところで、「需要がありました。求められていました」というのを計測する方法は、結局のところ「売れているか?」という数字で示すしかなかったりもする。
これを、商業主義と唾棄する向きもいるのだろうし、その点については言い訳はしない。機会を提供してくれた版元が一回で損をする=需要のない本であるなら、それは多くの需要を満たす前提の商業的な場に投じる内容ではない、ということになる。結局どれほどの需要があり、協賛者がいたのかを測る方法は、確かに数字=売れ行き、というところに帰結するしかない。
作家と編集者のロマンティシズムにそれに呼応した読者の人数を乗じることで出る数字に、営業担当が首をタテに振って初めて、ロマンティシズムは延命できる、というかなんというか。*5


恐怖箱は2006年の超-1、怪コレを母胎とし、2007年の怪コレにその名を冠し、以後、超-1出身の著者が持て余している、または特に選抜してご参加いただいた著者が持ち寄った怪談を発表するレーベルとして定着を見た。
これは「俺達スゲー!」という意味ではないのであって、それだけの需要、それだけの協賛があって、必要とされ求められてきたからこそ「続けさせて頂けているのだ」と受け止めたい。


需要がなくなったら、そこでお終い。
需要があり、求められ、必要とされているから続けさせて貰える。


なんだっけな。
オネアミスの翼」で、主人公が暗殺されかかるシーンがあるんだけど、その直前で交わす仲間との会話にこんなのがあった。
「必要とされているから生きているし、存在できる。必要とされなくなったら、存在できない」(若干意訳)


たぶん、それはこの恐怖箱というレーベルも同様で、もっと言えば「超」怖い話も、実話怪談も、本・書籍というエンターテインメントも、その他のメディアアート全般にも言えることなのだろうと思う。
そもそも、大多数の人にとっては無くても困らないものを作っているのだ。
しかし、無くては困ると言ってくれる人々がいて、その需要が絶えない限りは、その需要を満たしつつその機会の仲介者としての出版社が赤字にならないくらいの*6成果を上げ、そして今後も需要を満たしていきたいなと思ったりする。


恐怖箱は、
あなた方が求めたから生まれ、
あなた方が求めているからあり、
あなた方が求め続けるならあり続ける。
読者の、応募者の、多くの実話怪談がないと困る人々の協賛が、恐怖箱を生かしているのだと思う。






……だからこれからも恐怖箱は、あなた方のものです。
あなた方が、もう要らない、と思わない限り。
十三番目の恐怖箱は、11月13日に開封です。

*1:これは実話怪談ではなく小説。が、「恐怖箱」の看板のままになっていたのは、当時まだ小説レーベルがなかったため。当初は恐怖箱の中で、怖いものはなんでもやってみよう、という旺盛さがあった。

*2:その後、遺伝記の発展形としてできたのが「怪集」なのだが、恐怖箱は「実話怪談」が圧倒的に多くなっているため、蟲から暖簾分けすることになった。が、扱いとしては恐怖箱のスピンオフということになっている。思えば、「超」怖い話→恐怖箱→怪集と、暖簾分けでレーベル・ファミリーを増やしていることになる。東京伝説も「超」怖い話からのスピンオフと言えるし、「弩」怖い話/「極」怖い話もそうだし、「超」怖い物語も長い目で見ればファミリーの一環と言えるのかもしれない。

*3:ちなみに、年内は十三と怪集 蠱毒の他にあともう1冊、恐怖箱レーベルの本が出る予定です。また切り口の違う本になりつつある感じ。

*4:ロマンティストな編集者ばかり、というわけでもありませんw

*5:ロマンと熱意で仕事をしていると、ついついこの点を忘れがち。常に自戒が必要。

*6:もちろん、できることなら左団扇でビルが建つくらいが望ましいのだが(^^;)