メモ読めぬ

生取材ではメモ派。
書き留めた文字で、記憶が再生される系。
聞きながらその話の要点と、重要なキーワードを書き留める、という作業をすることで、より強く印象が刻まれる。
が、詳細にメモってるのに記憶に残らない話というのもある。
これは話を聞いていて、話者に引っ張られているとき。
実は興味深い話が掘り出されるのは、話者が自分の話に自信がないときで、そういう話は、「何が要点なのか」を話者自身も整理、咀嚼できていない。だから、話がオチから始まったり、記憶を確かめながらになるので二転三転したり、同じエピソードを繰り返したり、脱線したり、といった具合で、「ひとつの話」としては完成していなかったりする。
これは当たり前の話で、「ちゃんとまとめて筋道立てて、予想や解釈や感想も付け加えてオチも付けられる」というのは、話芸や文章の嗜みがある人ですら、何度も稽古や推敲、人前での披露を重ねて獲得するもの。
ましてや、人前で物語を話すことや書くことを生業にしていない人が、あまり他人に話すことがない記憶を、まさぐり直しながら語るのだから、行きつ戻りつになるのが当たり前。
そういう話を徒手空拳で聞くと釣り込まれてよく分からなくなってしまう。ICレコーダーがあれば完璧、なような気もするけど、これはこれであくまで保険であって、録音したから「行きつ戻りつの話が筋道立って録音されている」なんてことはない。
繰り返し確認できるメリットはもちろん大きいけど、「メモを作る作業」は結局避けられないわけで……。
周囲が賑やかすぎる場所での取材だと、ICレコーダーはほとんど役に立たないし(隣の席の「中生三つお代わり!」って声が肝心な話の上にかぶってたりするしw)
そんなわけで、漢字でなくてカタカナ多用でもいいから、その場その場で「重要なキーワード」をメモっていくことのが僕の流儀。


そういえば、録音派にはICレコーダーとその眷属(最近だと携帯やスマホの録音機能とか)を使う派と、デジカメやビデオカメラで映像ごと録画する派がいるけど、機材を使う場合は僕は後者。データサイズは膨大になるけど、話者の仕草や表情や考え込んでいるときの素振りと、メモったキーワードの連携を確認するため、とか。

デジカメのバッテリーは常時予備4個装備。1個で70分、4個で280分連続録画可能。
取材が2時間以上に及ぶことは珍しくないけど、4時間喋り続ける人はめったにいないのでw、まあこれで足りるんちゃうかな、と。
でも4時間のテープ起こしとかやったら記録者が死んじゃうし、起こしたテキストを読むのもしんどいわけで(またそこからメモを作り直すし)、巡り巡ってなんだかんだ言って「人の話をその場で要約する能力」としてのメモって重要だな、とホントに思う。




問題は自分の字が汚くて読めないことだなw
今回、最後まで読めなかった文字は
「コクコ糸」
とあって、なんだろうこれはと思っていたんだけど、
九十九里
と判読。


なぜ、コクコ糸……orz