じゃないけどお祓いの話

「超」怖い話では、昔はお祓いをちゃんと受けていた。
竹に移る前の時代の話。
これは、その会社が心霊写真の本なんかもけっこう出していて、自社ビル内で怪奇現象が頻発したため、お祓い費用が経費で落ちた(本当)ため。
当初は中野の妙法寺に行っていた。
その後、妙法寺の住職から刑事事件の犯人が出たという話が出て、「御利益薄めだね」ということで河岸を変えた。
変えた先は、浅草寺
ここには、二代目・三代目編著者、僕の3人でお祓いを受けに行っている。
その次の年は確か神田明神だったと思う。
神田明神平将門の鎮守をしているところなのだそうで、藤の付く姓を持つ僕としては、「東京の祟り神・将門さん」に遠慮して、神田明神には行かなかった。たしか、二代目・三代目編著者は行ったはずだ。
 
ただ、この頃からそれぞれ忙しくなり始めて、スケジュールがなかなか合わなくなってきたのも事実。それで、以前の版元さんから「お金は出しますから、各自個別にでもいいからお祓いに行ってください」と言われたのだが、何しろ無精なので(笑)。
結局、三人でお祓いを受けたのは浅草寺が最後で、神田明神以後はなんだかんだと行かなくなってしまったように記憶している。
 
お祓いには行かなくなってしまったが、三代目編著者は常に「石」を身に付けている。
数珠のような感じで、腕に巻いている。一方は「魔除け」で、もう一方は「魔を吸い寄せる」のだそうな。いつだったか、いきなり魔除けのほうの石だけ砕けちゃって、直しに行く暇がないからといって、魔吸いの石だけ付けて樹海に出かけていった、と伺った。
ムチャである。
ただ、竹に移ってからも確かに超を口実にはお祓いに行っていない。
これはひとつには、竹に「怪談本を作ったらお祓いに行く」という習慣がなかったから、というのが大きいのではないかと思う。「行きなさい」と言われない限り、自分から「行きましょう」と急かすタマではなかったという(無精だから)、それだけのことなのであるが。
三代目編著者は、僕が知る限りでは、二代目が「もう限界だ」と去った後からは、ずっとお祓いをしていない。
これを「神様を信じていないからお祓いを受けない」と解するのは、たぶん誤読だろうと思う。「神様がいるかどうか、もしくは呪い・祟りが実在するかどうか、それを実験するために、あらゆる罰当たりをやってなおかつお祓い(守護)をしない」というのが、現編著者の主張であるわけで、いやー、僕の場合は単なるヘタレなので「面倒だった」以上以下の理由はない。
 
先週末、実に10年ぶりにお祓い(というか、災難除けの加持祈祷なんですね。お寺だから)を受けた。
これは、「超E」のためではなく、「弩2」のため。
僕が好む話は、超や禍でもそうだが本来は「思考停止系」。
お祓いなんか必要ない、と言い切ってしまえる程度の「軽度の実話怪談」なのだと思う。
今回、弩2を終えて「何にでもいいから頼れるものに頼っておこう」と思わされた。
すでに終わった話を聞いて書くのと、「そうではない話に関わりすぎる」というのは、もう全然別次元なのだなあ、と思った次第。これが、自発的に「お祓い行こう」と決めた理由である。
 
お祓いを受けた折、おみくじ引いたら大吉だった。(担当編集女史は凶だった)
御札はもらったが、お守りは買わなかった。(お供物は懐中汁粉)
勇魚定食(鯨)とみつまめとビールはうまかった。
土産に買ったミンク鯨刺身用(赤身)は、まだ食べてない。