既刊

「新刊が出たので、書影にリンクを付けておいてほしい」とご連絡をいただいた。
新刊、というのは日々狂々、怪談日和。―「超」怖ドキミオン (竹書房文庫)のこと。「超」怖い話の編著者である夢明さんからの依頼である。
そういえば、最近、既刊情報の整理をやってなかったぞ、ということで、リンクを張り直すついでに既刊情報を片っ端からチェックしなおしてみた。
http://www.ekoda.jp/chokowa/data/backnumber.htm
改めてみてみると、2004年2005年は誠にハイピッチなわけで、特に映像関係のタイトルが目白押し。いや、僕は映像は関わってないんですが(^^;)、それでもやっぱり長く大切に関わってきたタイトルに、自分たち以外の人々が熱を上げておられるのを見るのは嬉しいものだ。願わくば、ブームの後もシリーズが続くことを願いたい。あ、願うんじゃなくてそれは当事者の自分でやらないといかんのか(^^;)
 
書評の類は発売直後には目を皿のようにしてチェックするのだが、一定期間過ぎると次の仕事に振り回されて評判を気にすることそのものを忘れてしまう。著者にとって新刊は一過性であっても、読者にとっては市場から消えてしまわない限りその評価の機会は永続的に続く。読者が発売日直後にのみ買うとか、書評を書く、という決まり事などないわけで。また、初読と間を置いてからの再読で評価が変わることだって充分にありうる。
そんなわけで、既刊情報のチェックのついでに方々の書評サイトを読み返してみた。
 
……_| ̄| ポト(((○)コロコロ
 
なかなか手厳しい。
ほぼ同日に同じ方が複数の既刊に書評を投稿されているようなので、きっと古書店でまとめ買い、まとめ読みをされたのだろう。
書評は読者の主観で為される限り、著者はそういう受け取り方もあるのだ、とそうした書評の存在を許容しなければならんのでは、と常々思っている。世に出してしまった以上、その評価は読者の自由に任される。
毎回そうだが、そうした手厳しい書評こそが次回作への糧にもなる。
書評もされない悲しい著作が多い中、それが厳しい意見であったとしても「誰かの目に留まり、読まれ、感想を述べられた」という事実に感謝したいと思う。
 
僭越ながら。
「怪談は、それに関わる当事者が思っているほど巨大な市場ではなく、つぶし合いを始めるにはまだ早く、読者の奪い合いを考えるよりも市場の拡大にこそ重点を置くべきだ」
と思っている。
二度の死を賜った【「超」怖い話不遇の時代】を思えば、厳しい評を得ようとも新刊を出し続けられる(多くの方からお預かりし、託され凝り固まった体験談を、滞らせることなく吐き出し続けられる)とは、なんと幸せなことか。
今後も、「怪談を吐く」機会を大切にできれば、と切にそれを願っている。