ネガティブシンキング

一般論としては、仕事をスムーズに進める思考は、ポジティブシンキングである。
仕事に限った話ではなくて、恋愛だのコミュニケーションだの人生だの目の前の買い物だの、そういうものを進めて行くに当たって、「あっ、やべ」を「ラッキー」と思い直すことができたり、「俺ってサイコー」という勘違いを意識的に信じ込むことができるのがポジティブシンキングではなかろうかと思う。
僕はおそらくは編集作業をやってるときはポジティブシンキングになっている。
何事もいい方に考えるし、最悪の事態に対して常に「計画」のようなものを建てている。
ベストの案がダメでもベターの案、ベター’、ベター”と、次善の案を引き出しから次々に出してくることもできる。特別な才能がなくても、経験と前向きな思考があればこれは誰にでもできるようになる。
 
が。
どれほどキャリアを積んだつもりになっていても、どーしてもポジティブシンキングでは進められない仕事がある。
怪談である。
怪談をポジティブシンキングで書こうとすると、1行で話が終わってしまうのである。
「結論:そんなとこ、そもそも行くな」
いやいやいやいや、それでは怪談にならない。
怖い話を書く、または、「体験談」という怖いかどうかその時点では不確かな原材を、【怖くする】のが怪談を書くという仕事だ。
怖くするためには、何もかも全てを「悪いほう、悪いほう」に考えていかなくてはならない。思いつく限りの最悪の状態を書かなければならない。「できればこうあってほしい」という儚い希望を書きつつも、決してその儚い希望のほうには向かっていかないように、体験者=読者を追い込んでいかなければならない。
そのためには、著者はのうのうと安全なところに立って超絶的な第三者として振る舞っていてはいけないわけである。よく、編集者は最初の読者だというけれどもそれは間違いで、自分の文章の最初の読者は自分自身である。つまりは、怪談を書くに当たっては、まず最初に「自分を追い込まなければならない」のである。
疑い、迷い、罵倒し、逃げ、追いつめられ、気を失う。
そういう、最初に体験者が体験した事柄を自分で追体験し、それを読者にも味わってもらえるように書き起こしていくわけで、ポジティブシンキングでは書けないのである。
とことん追いつめられたスーパーネガティブシンキングでなければ。
 
ところが。
ネガティブシンキングというか、そういう煮え煮えな精神状態に自分を追い込むのが怪談と向き合う上では最上の状態なわけだが、そういう煮え煮えな精神状態というのは「筆を進める」のには最低な状態でもある。
文章は、書き始めると一種のトランス状態に陥る。
考えながら書くのではなく、次々に沸いて出るものを、こぼれ落ちないようにつみ取る、もしくは拾い集めて収穫するわけで、「情景が沸いて出る」という状態に自分を持っていく(コンセントレーションを高める)ことに、持ち時間のほとんどが費やされる。一行も書けずに、一日中四川省をやっておわってしまうこともしばしばある(T_T)
トランス状態というのは、ポジティブシンキングの時には絶対に出てこない。
追いつめられて逃げ出したくなる寸前くらいに、ぽわっと現れる。
自分をいじめ抜かないと、現れない。
 
怪談を書くのは、とても辛い。後ろ向きな気分でなければ書けない。
物欲記事を書くのは、とても楽しい。ポジティブになっていてチャクラもどんどん開く。
怪談のチャクラはなかなか開かない。
そんなわけで、怪談は実は身体に良くないんじゃないかとしばしば思う。
 
皆様、ほどほどがいいですよ。
ほどほどが。