正月の過ごし方

店はやってない。
友達は帰省してる。
とりあえず、元旦くらいはPCのスイッチ入れないぞ、と決めた。(年越しのあとはスイッチ切ってました)
元旦は、午後二時起き。
それから雑煮作って食って、おせちらしきものを並べてつまむ。
で、することないので酒なんかかっくらう。
年末に買った一升瓶がもうじき空きそうです。<早ェよ自分
古韻はもうとっくにない。うまかった。
だらだら飲み続けて正月番組など見る。
圓楽師匠おかえりなさイ。


加えて、なんでかANIMAXエヴァンゲリオンなど見る。
去年はCRやスロットで流行っていたこともあって、家人のリクエストにより。
改めて「本編見てないとわかんないし、見ててもわかんない話だよなあ」という話になるが、同時に本放送をやっていた1995年頃のことが、ぶわーっと走馬燈のように蘇る。あのブームの中心に近いところにいた編集部に在籍していた時代でもあり、「仕掛けられたブームの内側の悲喜劇」を特等席で見られた時代でもあり。もし僕がこの業界にいなかったら、たぶん無垢な消費者としてあっち側にいたんだろうとも思う。こっち側の業界にももちろん「消費者」はいっぱいいたけど、「仕掛ける側」の事情や都合というどろどろしたものを、ブームの最中に見られたことは、僕にとって幸か不幸か今でも結論は出ない。
そこからさらに遡って1980年代末にはすでにこの業界にいたわけだが、その頃あった宮崎事件の煽りを、「こちら側」で受けたことがあった。(当時、担当していた読者ページ校了後、事件の影響に配慮して、原稿の一部が差し替えられたりした。それはしばらく続いた)
1980年代といえば、「おたく」という言葉が世に認知された時代だった。宮崎事件で一気にアングラ化した……ように見せかけて、90年代の10年間に水面下で力を蓄えていたし、その時代を通じて僕は「仕掛ける側」にいた。21世紀に入って、また市民権を取りもどすことになるとはさすがに思わなかったけど……というようなことにいろいろ思いを巡らせるのは、元旦になんでか見るものがなくてアニメ見まくってしまったり、さらには電車男(TV版)の総集編を改めて見たりしてしまっているせいかもしれないなー、と思ったりとか。


そういや、今年で僕はこの業界に身を置いてまる20周年になる。
ずっとこんな仕事してきて、ずっとこればっかりやってきて、これで食ってきた。
ので、恐らく今後もこれしかできないし、これでやっていくしかないんだろうなあ、とも思う。
いつだったか夢明さんが「文章が書けて凄いのではなく、それしかできないから仕方なくそれをしている」というようなことを書かれていたことを思い出す。
今年もこれをするしかなく、また、したいやりたいことも結局ここに帰結するんだろうなあ、とも。
20年かー。長いようであっという間だったなあ。
今後もぼちぼち行きます。
できることだけをマイペースでね。


正月二日目。家人は友人と一泊二日の旅行行った。
僕はこれ以上はすることが思いつかないので、ここまでで休暇は切り上げ。
日常業務は今日から再開する。