長い長いさんぽ

一応、書き下ろされたときに読んでいるのだが、本日コミックになったものを家人が買って帰ってきた。
まだ、手を付けていない。


うちにも「麟太郎」という猫がいる。
今年の9月で4歳。貰われてきたときはまだ五ヶ月で、ちっちゃくて、やたら臆病だった。
生みの親と過ごした最初の2ヵ月、事情があってそこから引き離されて里親ボランティアの人のもとで暮らした3ヵ月。その後からは、ずっとうちにいる。
白黒のホルスタイン柄ぶち猫で女の子(なのに麟太郎)。
うちにきたばかりの頃、確か体重は2.8kgとかそんな具合だった。今は4.9kgくらい。
仕事は「可愛い」。客がくれば撫でさせてくれるし、男性客の膝の上にも乗る。普段はとぐろを巻いている。彼女に合わせて、ごみ箱は「ちょっと高いところにツルされている」し、段ボールと腰壁は最初から「消耗品」ということになっている。
動物と一緒に暮らすのは初めてではない。
鳩、インコなどの鳥類、実家にいた頃には柴犬もいた。実家が魚屋だったこともあって、猫は野良猫と仲良くなるのが関の山で、猫と暮らすのはこれが人生で初めて。


猫の寿命は、長くて15年。
たぶん、麟太郎は持ち時間MAXの1/3をもう使ってしまっている。
いつか彼女も僕の元を去る日が来るかもしれない。
僕が去るほうが先かもしれない。


そんないろいろなことを考えてしまう。
ゆずの飼い主が直面したそれは、すべての猫飼い、動物飼いにとって決して他人事ではなく、また決して行きすぎではない。そうなったときのダメージの大きさ、辛さ、切なさは、よく知っている。僕は95年の1月にジョン=シルバーを失ったときに痛感した。彼は土鳩。
樋口さんが小春を失ってさほど日が経っていないような気がするのだが、今またダンを失われた、と聞いた。
これは、人であろうとそうでなかろうと、慣れるものではない。
僕の実家にジュンという柴犬がいた。
僕が上京してずいぶん経った頃に、老衰で死んだ。
親父がジュンの遺骸を、愛鷹山の山中に埋葬したと聞いた。長く慣れ親しんだ地元だが、初めて踏み込む場所だったそうで、「どこに埋めたか、もう思い出せない」と、埋めた直後に言っていた。
お袋はこのとき「動物を飼うのはもうやめた。別れが辛い」とこぼしていた。
実家ではインコ、ハムスター、九官鳥、犬と、猫以外の動物を飼っていたが、ジュンと死に別れて以降、実家に動物はいない。入れ替わりで姪甥が相次いで生まれたが。


麟太郎は、寂しがりで甘えたがりで内気な癖に人懐こい。
僕の仕事をしばしば邪魔する。
今はいるのが当たり前ということに慣れてしまった。
でもいつか、彼女も「長い長いさんぽ」に出かける日が来るだろう。
そう思うと、再読する手がなかなか伸びない。