怪談絡みの話

ナックルズの編集さんと酒が入る打ち合わせ。
あれやこれやと話は四方八方に脱線し(僕の打ち合わせはいつもそうです)、「では頑張りましょう」というところに落ち着く。
ナックルズは現時点では弩3とちょっと繋がりのありそうなコトを書く予定。まあ、膨らんだりしぼんだり気づいたら全然違うものになってたり、というのはよくあることなので、現時点では話半分で。


2ちゃんねるにご挨拶に伺うイベントは、今回もなし崩しに終了(笑)した。
読者の皆様の様々なご意見を伺うこともでき、いつものことながらいろいろ勉強になった。
特に、「初めての人に奨めるときに、どれから入る?」という問いへの回答は興味深かった。
以下は、それらを踏まえて編集さんと飲んだときに出た話なんかを脳内でミックスして考えてたお話。


怪談本の編集者さんというのは、巷でどう思われているかは別としても(笑)、案外ビリーバーは少ない。
そして、「おまえの本読んだぞ」と言われるとそれがどんな本であれ嬉しいわけで、このへん著者も編集さんも志を同じくしているところと思う。
怪談の最初の読者は書いた著者当人であるわけで、著者は自分の書いたものを恐がれるくらいでないといかん気がする、などなど、一応は専門家としての目で自著を見る。
次に、編集者は何冊かやっている間に門外漢の人でもだんだん専門家の目を持つようになってきて、またそういう視点で本を作ろうと心がける熱心で真面目な編集者も、やはり専門家としての目で著者の上げてきた記事を読み、誌面構成を考える。
読者は当然ながら専門家(笑)というか、マニアの目でそれを読む読者は専門家中の専門家であって厳密には素人さんではない。むしろ、適度にこなれた読者というのは批評家の目で記事を読む。侮れないというか、たいへんオソロシスな批評家である。


では、「オカルト本(怪談、ホラーも含めての広義の)」を最初に目にする門外漢=一般人というのはどこに存在するのかというと、実はデザイナーさんなのだそう。
編集者は確かに「専門家」として意図して怖い誌面作りを仕掛けているし、著者もそうだ。
が、デザイナーさんは誌面のレイアウトを効果的にすることが専業であって、記事の示唆する内容の傾向についての専門家であるわけではない。
が、彼らは「記事の内容に見合った誌面レイアウト」を作るために、好きでもなければ専門でもない怪談、オカルト記事に目を通さなければならないわけで、ある意味たいへん気の毒な一般人とも言える(笑)
が、この「気の毒なデザイナーさんの反応」というのは、著者や編集者にとって「一般人はどう見るのか」「批評家ではない読者が読んだとした場合のリアクションはどうか」「そうした門の外にいる人を引き込む記事、誌面として成功できているかどうか」などを知り得る貴重な機会でもある。
もちろん、デザイナーさんの反応だけがすべての判断基準になるわけではないが、専門家がマニアのために作るものの途中、しかもかなり早い段階のところに、マニアではない人の視点が組み込まれているというのはたいへん興味深い。
専門になればなるほど「外からの視点」というものに注意を払わなくなりがちで(もちろんこれは反省すべき点)、真摯取り組むことは先鋭的排他的になってしまう危険を常に伴ってもいるわけで、結果的に一生命に取り組んだことが市場/購買層を自ら狭めてしまったりすることにも繋がりかねない。

読者の層が厚くなり、人数が増える→市場拡大→読者の層が厚くなった分、興味(この場合は恐怖の質や傾向)も広がり、選択肢も多くなる→市場が大きければ、多くなった選択肢を細分化してもなお、個々の商品で収益が出せる(小規模多品種という奴ですな)
とまあ、どんなジャンルでもそうであるように、実話怪談というか怪談・オカルトのジャンルにあっても、マニア向けに突きつめていくことも重要(質の向上)であるけれども、マニア以外の獲得による市場拡大があって、初めて厚くなった読者層への細かい選択肢の提示が成り立つ。いわば、「マニア向けの良い本」と「初心者向けのマニアに食い足りない本」というのは車の両輪なのだと思う。


マニアは、より強い刺激を求めてどうしても刺激のインフレに陥りやすい。怪談本で言えば「恐怖のインフレ」である。少年ジャンプの「ヒーローのインフレ」にも似ている(^^;)
もちろんそれはそれで必要不可欠なことである。
けれども、そうではない方向性の充実もあって初めて「量を売れないマニアック(特定傾向過多)な商品の需要」を満たすことも可能になる。
先の、デザイナーさんのリアクションを見るというのは、「初心者の反応を鑑みて市場拡大方向にも舵を切る」というためには必要不可欠なわけで、たいへん重要なことと思う。
読者の様々な選択肢を許容できる大きな市場になっていくといいですねー、というのが、業界の片隅で糊口を凌ぐ弱小怪談屋のささやかな願いであったりする。


「いつまでも怪談本を読み続けたい」という希望があるのだとする。
これを満たすのには、「著者が頑張って怪談を書き続ける」というのがもちろん重要なのだけど、「本の刊行を支える読者の人数が増える(少なくとも減らない)」ということが、欠かせない。
一般的には、読者というのは成長してマニアになると「より強い刺激」を求めて、その本から卒業してしまう。マニアになった読者が卒業しないように本の側が対応しようとすると、今度は本の側がどんどんマニアックになり、新しい読者に対してハードルを高めてしまう。なおかつ読者の自然減を抑えきれずにシリーズは休止してしまう。これは雑誌も同様。
で、雑誌なんかの場合は子供(つまりは若年層・初心者)が入ってくることを前提に、常に初心者向けの記事を用意するんだけど、初心者向けに作りすぎると今度はコア層の卒業に拍車が掛かってしまう。
だから、1冊の中にマニア向けのものと初心者向けのものが同居するかたちになって、少々の新陳代謝を許しつつ読者総数が増えていくように作っていく。
文庫本の形で提供されるシリーズものの場合、雑誌のそれよりもターンが長い。だけど、やはり「どうやって初心者(門外漢=マニアではない読者)を獲得するか?」というのは、頭の隅っこで考えておかないとヤバい。
それを著者が自分一人の中で考えて解決していけるのであれば、それはそれに越したことはないのだが、話を創作できるフィクションと違って、集まったネタに左右されがちな実話怪談ではなかなか思い通りにはいかないところが難しい。(集まったネタから、どれを選ぶかというのは、これまたそれぞれの著者の性質に左右されてしまうわけでもあり(^^;))


いずれにせよ、いろいろ考えてやってかなきゃね、というところで本稿はひとまず筆を置く。