分祀と合祀

世間的に流行ってるキーワードなので、ちょっと抑えておきたい(笑)


さて。
分祀」と「合祀」は、靖国神社参拝に付随する「A級戦犯合祀」を考える上でしばしば登場する。


その前に、A級戦犯について。

A級戦犯

正確には日本国内では戦争犯罪人は一人もいないことになっているのだそう。サンフランシスコ平和条約によって独立(国家主権)を取り戻した後、日本では全会一致で服役中/刑執行後の戦犯の名誉回復が行われているため。
また、禁固または死刑判決を受けて刑が執行されたものについては、「すでに刑が執行され、罪を贖った」という考えにより、「背負うべき罪を永続しない」とされる。*1


そもそも戦犯という概念が違法だという説がある。
A級戦犯は「平和に対する罪」について裁かれたが、開戦前にそうした国際法はなく、もちろん日本もアメリカも批准していない。泥棒を捕まえてから縄をなう「泥縄」と同じで、戦時指導者を逮捕してから法を作り、その事後法に照らし合わせて法成立以前の違反者を罰することは、「法の不遡及性」に反する。その視点から言えば、A級戦犯を罰するための法律(罪)を、戦犯を捕まえてから作ったのは理不尽じゃないか、というもの。

法治主義

考えが異なる人、または国同士において問題の解決方法は「話し合い」「脅迫」「殴り合い」「無視(解決しない)」のいずれかとなる。殴り合いは、国家間で言えば戦争。実力行使によって相手を損耗させ、こちらの言い分を通そうというもの。準備をして「殴る素振りを見せる」というのが「脅迫」。これも戦力(実力)の誇示によって相手の意志をくじくことを目指すので、間接的な戦争と言っていいかもしれない。
「話し合い」による解決というのは、双方が合意できる決まり(法律)を【事前に】作ってそれを守りましょうね、というもの。
殴り合いに至る前に、決まりを作って守る努力をしましょう、ということになっている。
このように「法律に従ってやっていきましょうや」という考え方を法治主義と言い、対して「法律は守らなくても人の言いつけは守りましょう」という考え方を人治主義と言う。

日本やアメリカを始めとする民主主義国の多くは、意志決定を「有権者に選ばれた代表」が行う。法治主義が徹底されていないと民主的な公平さが保てないため、当然民主主義=法治主義となっていく。

合祀と分祀

さて。
ちょっと頭をリフレッシュして、「合祀」と「分祀」。
この言葉は、靖国神社の、というか「日本の神道の」宗教用語である。
合祀は「合わせ祀る」。靖国神社靖国神社という一個の宗教法人が、その宗教の定める「宗旨」に従って、「戦争に従事して死んだ者」を祀っている。これは、靖国神社に墓の群れが並んでいるわけではなく、概念としては「死者の魂をひとつの塊に融合する」というもの。

大きなプールいっぱいに満たされた水の中に、酒を一滴たらす。
酒は水の中に散らばり、薄まり、しかし水と一体になる。

これが合祀。


対して「分祀」とは何か。
新聞紙面や分祀論の政治家が言う「分祀」というのは、
「プールの中に満たされた水の中に混ぜられた酒一滴を、プールの中から取り除く」
というもの。
いわば、「カット&ペースト」の意味で使っている。
靖国神社の宗教的概念から言うと、「水から酒を取り除くのは不可能」「カット&ペーストという概念は、靖国神社の宗教的概念の中にはない」ということになる。


本来的な意味での「分祀」というのは御霊分けのこと。
これは、「カット&ペースト」ではなく「コピー&ペースト」のこと。
神社に行くと御札をくれるが、御札の天照大御神さんや氏神さんは、カット&ペーストされたものではなくて、神社(厳密には出雲大社)にオリジナルがあり、そのコピーが各地の神社にあり、さらには氏子はそこからコピーのコピーをいただいてくる、というもの。
これが「分祀」。


なぜ「カット&ペースト」がない/できないのかというと、そういう宗教的概念が、神道/靖国神社の宗旨に存在しないからだ。
神社側が「できないものはできない」と言っているのは、「うちの宗旨にそういう概念はありません」ということに基づく。

法治主義分祀

新聞、政治家、外国(主に中国と韓国)が言う「分祀論」は、「カット&ペースト」のことだというのはすでに述べた。
が、靖国神社側は「宗旨にそんなのないからできない」という。
そこを曲げて「カット&ペースト」をさせようと思ったら、靖国神社という宗教に、新しい宗教概念を追加せよと命じ、宗教の一部を外部的に作り直せということになる。

では、そういうことができるのか? というと、日本が法治国家なら不可能(ゼロではないが可能性は低い)だ。


日本国憲法では「信教の自由」「政教分離」を定めている。
前者は思想の自由と連なるもの。後者は「靖国神社が戦争推進の道具として使われたことから、政治が宗教に介入することを禁じる」という目的から、GHQ民生局主導の日本国憲法に組み込まれたものだ。


もし、政治的必要に基づいて、靖国神社分祀(カット&ペースト)という新たな宗教概念を作ることを命じようとするなら、まず憲法を改正して「政府の判断で宗教組織の持つ宗教概念を自由に変えてよい」ようにしなければならない。
古賀誠議員*2は「靖国神社から宗教法人資格を取り上げてしまえば政府が介入できる」という提案をしているようだが、正当な理由なく宗教法人を解散させることは法に照らし合わせるとできない。
日本が法治国家であることをやめればできるかもしれないが。


分祀を「カット&ペースト」だと思ってる人が多いのと、政教分離を「宗教【に】政治【が】介入することを防ぐためのもの」だということを忘れてる人が多いのと*3、日本が明冶以来法治国家であり、分祀論を言う主な諸外国二国がそれぞれ「人治主義の国*4」と「遡及する法律を採用する国*5」だということを知らない人がいたりもするので、ちょっと書いてみました。

新聞

ところで、先の福田康夫議員の総裁選不出馬を一面トピックとして伝えたのは、日本以外だと中国・韓国のみで、それぞれの国の新聞*6の論調と日本の新聞の論調が素敵に足並みを揃えていたそうな。

日本の新聞(少なくともデスク以上の地位にあって、現場の書いた記事をチェックする立場の人)が「分祀」を誤解したまま、かつ「信教の自由と法治主義に照らし合わせても分祀が不可能」ということにあんまり触れないのはなぜなんでしょう? どーしてなんでしょう?

*1:償っても永久に罪に問われるというのは、法の「罪を償う」という概念の外にある。

*2:この人は前戦没者遺族協会の会長でした。

*3:創価学会による公明党運営は、褒められたことではないけれども、政教分離が懸念しているのとは逆のもの

*4:中国共産党に限らず、歴代中国王朝は人治主義によって維持運営されているような。

*5:悪名名高い親日法など。

*6:中国の場合は自由報道はないのでそのまま中国共産党の党見解