オーバードライヴ

結局見ちゃった(^^;)
いいよなあ。渋いよなあ。ミッキー・カーチス。<そこなのか(笑)


「指で弾こうとするな」
「音は自分の内側からわき出てくるものだ」
「追うな」*1
「Don't think! feel'(考えるな。感じろ!)」*2

基本的にバカ映画なのに、見てるといろいろ「うっ」「あっ」「む」と垣間見えるメッセージもあったりして心地よい。
作中の五十嵐五郎を見てると、カラテキッズのMr.ミヤギとか、酔拳の師匠とか、ドラゴンボール亀仙人なんかをついつい連想してしまう。あの手の「一件飄々とした爺」というのは、劇中でもたいがい何にも教えてくれなかったりして、気が付いたら弟子が勝手に成長しているというパターンが多いような。弟子は弟子で文句たらたらだけど、元々才能があって、みたいな展開。
これはお約束ってことなのかなあと思う反面、そうして描かれる指導者というのは、弟子を育てる能力があるというよりも、能力がある弟子を見いだす能力があり、かつ、その能力に見合った活躍の場に引っ張り出す能力に長けているということが後々判明したりもする。

爺じゃないけど、トップをねらえ!エースをねらえ!のコーチ*3像なんかも、この「才能を持つ者を見いだす能力」に長けている者として描かれていた気がする。
もちろん、見いだされた側がそれに安住せずに努力を重ねないと結果が出ないというのは、あらゆる競技/アスリートの世界にとって共通のことではある。

ああっ、なんでこんな愛すべきバカ映画で、トルシエジーコオシムを思い出しちゃうんだ!(笑) どうして小出監督を真っ先に思い浮かべないんだ自分(笑)



話はオーバードライヴに戻って(笑)。
初見のとき、作中で主人公がギタリストとして参加しているドリカム構成(♂+♀+♂)のユニットは、Do As Infinityがモデルなのかなと思ったのだが、改めて考えてみるとキーボード♂+ボーカル♀+ギター♂で、ギターが喧嘩別れというあたりから、Fairchildがモデルなのかなあ、と深読み。

*1:劇中の津軽三味線勝負で、相手の旋律を追いかけて真似ることを「追う」と表現していた。追うと相手の流れに取り込まれて自分の音を見失う、というようなことを制止しているのではなかろーかと思う。相手の技巧は自分にだってできるんだぜ、ということを示す一方、相手の技巧を真似続けるだけではダメなのだという意味も含んでいる、のかもしれない。

*2:たぶんこれは間違いなくブルース・リー。世代によってはカウボーイ・ビバップを先に思い浮かべちゃう人もそろそろいるみたいなのだが、その場合も元ネタはブルース・リー

*3:別人です(笑)