あなたは神を信じますかァ?

というのが、しばしばやってくる。
なんでか僕は遭遇率が高い。
ものみの塔、統一原理、モルモン教(イエスキリスト教会)、聖教新聞創価学会、かつてオウム真理教もきたことがある。
若い根っこの会の類から、生活環境改善云々から3分間祈らせてくださいから、天理教から……なんでおまいら、そんなに僕にたかりますか!? というほど多い。
ごく稀に看護学校生のおねえちゃん二人組にお茶を誘われて、ついていったら宗教だったりしたケースもないではないが、基本的には「何かを企んでいる」勧誘の人ばかりでなんというか疲れる。疲れるけど、実はそういう勧誘に声を掛けられるのが好きだったりもする。
相手して、勧誘者の時間を無駄に消費させるのも大好きだ。
「あっ、この人、面倒くさい人だ」と相手が薄々察知しても、話をやめず「早く解放してくれないかなあ」と相手に思わせるのが好きだ。
話をどんどん脱線させるのも、マニュアルにない質問で困らせるのも好きだ。
モルモン教の神父さん(だいたい白人のアメリカ人で18歳くらいなんだ、これが)とか、生真面目でおもしろいし。
そして、そこまで徹底的にやるとどうなるのかというと、「もっと偉い人を連れて報復(笑)というか仕切り直しに来る」か、「面倒くさいのでその後一切手を出してこなくなる」かのどちらか。前者はごく稀で、だいたい後者なので、追い払いたいときは徹底的に相手をするのがいいと思う。
前者のケースで、マトショーシカのように「代わる代わる3人もやってきた」という経験をしたことがある。みんな困ってた。
後者のケースでは、新宿で引き留められて終電がなくなるまで引き留めて話に付き合った(僕はバイクだったので)人と、後日再び新宿で出くわしたことがあった。こちらから「どうも!」と声を掛けたらあからさまに(あっ、めんどうくさい人だ)という顔をされた。そっちから話しかけてきたんじゃん! と声を大にして言いたい(笑)


で、今し方。
まじめに仕事をしていると、インターホン。
荷物かな? と出ると「戦争や犯罪をなくすためにはどうしたらよいと思われますか〜」といきなり切り出しやがる。せめて名前くらい名乗ろうや。声から言って若いお姉ちゃんっぽい。
が、今、おいちゃんは忙しいんだ。


〈戦争や犯罪をなくすためには、どうしたらいいと思われますかァ〉

知らんがな(´・ω・`) と言いたくなる衝動を抑えて、意見を述べてみる。

「なくなりませんよ」
〈は?〉
「ですから戦争も犯罪もなくなりませんよ。人間が二人以上いる限り、必ず対立は起こります。犯罪と戦争はその規模の差でしかありません」
〈あ、でも例えば人々が同じ考えを持って一体化すれば〉
「無理です。いいですか、人間というのは、他人と自分を識別することで自分を認識する生き物です。目があり耳がある限り、視界に入り耳に入る「自分ではないもの」を認識します。その認識した相手が、自分と完全に一体の行動を取るということはありえません。一方的にこちらが一体であることを期待したとしても、相手がその意のままに動くことはありえません。同じではないことに気付いた瞬間、期待した側はそれを「裏切られた」「失望」と感じます。その最初からあり得なかった一体感に対する失望が、憎しみを呼び、対立を激化させます。わかりますか?」
〈……(沈黙)〉
「わかりますか?」
〈……(沈黙)〉
「わかりますか? 人に意見を請うてその答えを聞いたなら、まず答えなさい」
〈……はい〉
「その上で、人間が他の人間と一体化するということが可能かどうかと言われれば具体的に実現性がありませんし、争い対立は回避できませんし、人間がたった一人にならない限り「思想の一体化」はできませんし」
〈はあ、でも〉(そこでインターホンが切られる)
「もしもし? もしもしっ!」


……切られちゃった(´・ω・`)
たぶん、一緒にいた連れ添いの「偉い人」が、会話を止めさせたのだと思われる。
だいたい、こういう勧誘は「ノルマでやってる」というもの、「自発的にしている」というもの、「指導者が新人を鍛えるために、連れて歩いて指導する」などに大別される。たぶん、この話のぶち切れ具合から言って、指導者が付き添っていたのだろう。
ちくしょう、逃げられた。


こうした勧誘では、相手に自分の話を聞かせるというのが重要なのだが、同時に「相手の話を聞く(振りをする)」というのも本当は重要。オウムなど一時期勢力を伸ばしていた新興宗教の多くは「重複、説得」するのではなく、「反論者の話を受け入れる(寛容)ことによって、聞き手を欲している相手を自分のフィールドに呼び込む」というスタイルを採っていた。
僕の反論を途中で打ち切ったところを見ると、そうした「寛容を逆手に取った勧誘」ができるほどうまくないらしい。

お姉ちゃんもなんか「マニュアル外の反応されて困った」みたいな感じだったしなあ。
しかしなんだ。
どうせ勧誘するならおいちゃんをもうちょっとかまってくれよう(´・ω・`)
そんな簡単に逃げないでくれよう。
人間とは、神とは。
戦争をなくすためにはとか、愛こそ全てとか。
ひとつの天を仰いでとか。
もっとばっちり強い調子でかき口説いてくれないもんかなあ。


宗教というのは、それが必要な人が縋るものであって、存在していいと思う。が、悩んだ人が自力でたどり着くものであるわけであって、必要としていない人のところに「いかがっすかぁ」とやってくるのは、それは飛んで火にいるというか、それなりの反応をされても仕方ないんじゃないかとも思う。
それにしても、勧誘を目的として人と接触しようとする人ほど、コミュニケーション能力が低いのはどういうわけなんだ、とつくづく不思議に思う。
君らもうちょっと食い下がりつつ、相手を自分の味方に付けるような話法というものを身に着けなさいよ、とかなんとか余計な心配をしてしまうのだった。


ともあれ、本音を言えば「お願いだからかまわないでください(´・ω・`)」というところ。お互い、意見は絶対にかみ合わないのだから、我々がこうして話をしてどうにかしようというのは、そもそも時間の無駄なのである。
早い段階でそれに気付いて、「互いのフィールドに踏み込まない」ことで、やんわりと距離を置き、遠くからにこやかに微笑み合っている状態というのが、きっと「他人の存在を認めた上で、同化・一体化せずに共存する」ということなんじゃないのかな。自分の正義/信条を持って相手のフィールドに踏み込んで一体化を声高に言うから、見ず知らずの勧誘しようと思った相手に「返事しなさい!」なんて叱られちゃうんだとも思う(^^;)
そのためには、一体化を望むんじゃなくて「彼我の違い」に早い段階で気付く洞察力と、互いに踏み込みあわないことを取り交わすコミュニケーション能力が必要なわけだが、こういうのって一方だけが持っていてもダメなんだろうし……ああもう。どうにかならんか。この宗教勧誘は!