その後

就寝時保護用のパッドは、どーしても顔に跡が残るので「外歩き用保護用サングラス」を顔に貼り付けてみたら、案外調子よかった。今後しばらくはこれでいく。
レーシック前はさんざん心配した「目薬差すの苦手」問題は、「毎日3種×5回×両目、伸べ30回の点眼」によって鍛えられつつあり、ひょい、ぽと、と打てるようになってきた。
ドライアイ用目薬を愛用してるジャンキーさん(笑)もいると聞いたが、なるほど目薬差し馴れてくると、ちょっとジャンキーさんになる気持ちもわかる気がする。目に命中さえすれば確かに気持ちいい。
もらった目薬使い切ったら、いずれは市販のドライアイ用目薬になるんだろうなー、とかなんとか考えつつ、ぽとぽと。


仕事柄どうしてもモニタ見っぱなし生活からは離れられないわけで、できるだけ遠くを見るようにするという決まり事を守りにくくなってる。こんなことじゃいかんなあ。窓開けても遠く見えないしなあ(周囲はうちより高い家ばかり)。
思えば、富士山の測候所が見えた頃が一番目が良かったのかもしれんな、と思い返してみたり。


そういえば、レーシックをやってから気付いたことがひとつ。
いろいろなものが、今まで見ていたよりずっと「でかいもの」だったということ。
感覚的には「ぐい飲み」だと思っていたら「湯飲み」だった、みたいな。
「タンブラー」だと思っていたら「ジョッキ」だった、みたいな。
日頃使い慣れてきたいつものガジェット、食器、そういったものが、これまで自覚していた以上に大きく見える。ていうか、これが本来のサイズだったのか、と驚く。これは冗談でも言いすぎでもなくて、近視用メガネで補正された視界というのはレンズの縁に近づくほど歪んで見える。世界がレンズの内側に歪曲して収まってる、というか。
だから、実際の大きさよりかなり、それなりに小さく見えていたんじゃないのかと思われる。ジョッキを握って「おお!」、ぐい飲みを握って「おお!」。コンビニでおにぎりを見て「こんなに量があったのか!」。机の上のハサミの巨大さに驚き、小さいと信じてきたガジェットの類が思ってたよりでかいということにも気付いた。
猫がやたらでかく見えるのも、嫁の尻がでかく見えるのも、たぶんその一環ではないかと思われる。いや、きっとそうだ。そうに違いない。