小泉総理最後の会見

25日夕、小泉総理の最後の会見。
質問する記者もいつも通りの質問、回答する小泉総理も今までの回答の総決算的回答。いつも通りの風景ながら、それも今日まで。明日には安倍新政権の選出、組閣、新時代の始まり。


会見を見ていて、中韓の問題について「(関係がこじれたことについて)後悔していますか」との質問に、「していません」と即答していたところが印象に残る。「今、こういう状態に置かれたことを、将来きっと『あれでよかったんだ』と思うときが来る」という自信に満ちた回答。郵政民営化についての(911選挙前の)会見でもそうだったけど、「私の選択が正しかったということを、いつかきっと皆さんもわかってくれると思っている」と、この人はいつも確信を持っていう。信じてるんだな、と思う。自分の判断や権限ではどうにもならないことについて、他人の判断を信頼するというのは、できそうでできない。そういう問いを問われたときに、「信じていますから」と即答できるというのは、凄いな、と思う。
これまでにお仕事でおつきあいのあった「社長」にはいろいろなタイプの人がいたが、部下を信じている人というのは、大概「部下からも信頼されている」という人が多かったように思う。自分の能力を信じている人ほど、他人の能力をアテにしない人が多いのが当たり前で、故に社長は「ワンマン」になりがちだ。
が、「自分にはできなくても、自分の信頼した部下は、必ず期待に応えてくれる」という確信を持って、部下に仕事を分配している社長の会社というのは、どこもみんないい仕事をしている。それと同じなんだ、と思った。


3〜4年ほど前、とある編集さんとの打ち合わせの席で出た話。
「これから時代は、これまでの60年の揺り返しで、右傾化すると思う。正確には、【左に行きすぎていた】状態から中道に戻るために、一気に右に船体を振る、というような動きが起こる。そこから再び左に振り戻したり、右に戻ったりを繰り返しながら、「普通の状態」に戻っていく。その第一歩として、世の中全体が「右」へ舵を切る。
左へ切るのが正しい、権力はいつも腐敗していて、権力に対抗するのがかっこいいという時代は、収束するかどうかはともかく大きく否定される時代が来ると思う。
だから、今のうちからその方向を考慮した企画立案をしておいたほうがいいですよ」
第一次訪朝の直後くらいに出た話だ。
W杯日韓開催の頃。そういう話はまだ切り出しづらい頃だった。
北朝鮮訪朝の話題は、年を越えたら日本人の大多数は飽きてます。これまでと変わることもないと思います」
といなされたけれど、事実そうはならなかったし「読み通り」に進んでるなあ、と思う。
読者を、視聴者を、閲覧者を、消費者を、ネットワーカーを、見くびっていたらダメなんじゃないのか、とか。


今後、次にどうなっていくのかについては、また少し情報収集と解析を行ってから考えたい。
まあでも、日本史を振り返って言えることはひとつ。
「脅威」を自覚したときの日本人の反応は、その周辺数十年の反応とは比較にならない。元寇、黒船、ロシア南下、日米開戦などなどから考えれば、右に行きすぎてしまう可能性だって、ないとは言えない。
が、過去のいずれもが、情報が不足しているが故の狂奔状態によって起きた。情報収集とその解析を、専門のアナライザ以外が自由にできるようになった昨今、それまでとは違う反応が見られるかもしれない。
返す返すも「インターネット」という20世紀最大の発明*1が、今後どういった作用を施していくのかは、想像が付けがたい。
僕はネットには草創期*2からつきあっているが、「都合のいい周知ツール」ではなく、「思い通りに操作できる情報操作装置」でもなく、「書籍が電子化された」というだけのものでは決してない。そのあたりを見誤ることなく、そしてそれを貶めることなく、よく見、よく聞いていかなければ、自分達の未来を見失うなあ、と思う。
誰だって「誰かに騙されて、いいように操られる」ことをよしとはしないと思う。そうならないためにも、よく見、よく聞き、一次ソースを確かめ、その上で自分の頭で考える人にならなければいかんな、と思う。


こういう思考ができるようになった、この五年五ヶ月にいろいろ感謝したい。
次の何年かで、また自分を鍛える何かを学べれば、それに越した僥倖はないと思っている。

*1:ちなみにその他の20世紀の偉大な発明は、「自動車」「飛行機」「電話」だそうで、「インターネット」も含めてその全てがアメリカによって生み出されている。

*2:パソコン通信の頃。