ぶら下がり

【ぶら下がり】
総理大臣への取材のこと。

森元総理大臣以前の総理大臣への取材は、官邸内を移動中の総理大臣を取り巻いた記者が、ぞろぞろ歩きながらコメントを取る、というものだった。
「総理! 総理、一言!」
と叫びながら、マイク、カメラ、メモ、レコーダーを持った記者がぞろぞろ一緒に動き、大きな話題があったりすると総理はもみくちゃにされながら取材をされていた。当然、重大事ともなると取材するほうも詰め寄る、総理のほうは詰め寄られても答えられないから、自然とつっけんどんな対応になり、それがまた悪印象を伴ったイメージ報道をされてしまい、ますます総理の機嫌が悪くなってますます取材に答えなくなる。


森政権はえひめ丸事件の対応の失敗で終焉を迎えたが、これは
「事件は冬に発生したのに、夏に森元総理がゴルフをしている様子の映像を流して、【事件発生後もゴルフを続けた】という印象報道が行われた」
「それに対する釈明をぶら下がりで得ようとして、森もと総理が沈黙した」
という流れで、印象悪化*1に拍車が掛かったことが、直接の主因だったと思う。


その経験から、小泉政権ではマスコミ対策として官邸での定期的なマスコミ取材に応じることになった。
ただし、「歩きながらではきちんと答えられないから」ということで、場所と時間を決めて(だいたい5〜10分くらい)官邸内で【立ち止まって】マスコミの質疑に応じた。
小泉政権で、ぶら下がりは「歩いて総理に追随しながら聞く」ものから、毎日2回*2の、立ち止まっての会見に変わった。


その小泉政権時代の立ち止まっての一日2回のぶら下がりが、安倍政権では一日1回になる、という。
これについて、官邸記者会(官邸詰めのマスコミ番記者連)は、2回を1回に減らすな、と抗議した。
この主張は「取材の機会を減らすな」ということで、ここだけ聞くと至極もっともに聞こえるのだが、取材を受ける側からすると、二度に分けても聞かれることは同じで、二度手間・時間の無駄という側面があるらしい。昼に靖国のことを聞かれ、夕にもまったく同じ質問をされる。新聞とテレビの違いはあっても質問内容はまったく同じ。しかも、たった5分10分の会見すら、つまみ食い編集されて要点が報道されない。
「だったら1回でいい」と、官邸側が判断するのも一理ある。


また、この問題を報じているマスコミ(あんまり多くない)が、官邸側の提案で拒み続けていることがある。
「ぶら下がり取材時に、官邸側が用意したカメラも入れる」
というもの。
これは、政府インターネットTVの流れだと思う。
放送局を自前で持たなくてもインターネットを通じて映像をブロードキャストできる今、情報仲介者(新聞・テレビなど)を介さなくても一次情報を直接国民に無編集で伝えることができる。
あれこれ編集・要約された「報道」を制限も束縛もしない代わりに、マスコミが編集・要約する前の、無編集の一次情報を官邸側からも発信したい、というのが「官邸カメラを入れる」という提案の意味だと思う。
これは、ニュースを見る側、情報を得たい側としては願ってもないことだ。
これが、「官邸カメラのみとし、報道のカメラをシャットアウトする」ということであるなら、「政府による情報操作」「大本営発表の押し付け」「軍靴の足音が」的な批判にも一理あるとは思う。
が、「これまで通りマスコミ取材・報道は自由にしていいし、会見(取材)の編集や要約についても制限や指導を加えることはない。それと平行して、無編集の一次情報を官邸側が担保する信頼性のある情報として提供したい」ということであるなら、単純にニュースを見る側としては、喜ぶことはあっても困ることは何もない。


しかし、新聞・テレビは、この「官邸カメラ」についても激しく抵抗している。
主な理由は「ぶら下がりは取材であって、政府の広報の機会ではない」だそうな。
ほんとかな?
取材ソースを独り占めしたいからなのか、一次情報と報道(二次情報)の比較をされたら困るのか? しかも、一次情報提供者(官邸)自身が正確を期するために情報を発信したいとしているわけで、それを報道関係者が阻止しようとするというのは、どういうことなんだろう?


現在、官邸記者会は「ぶら下がりを一日1回にするなら、森政権以前の【歩きながら移動中の取材】を復活させる」と、官邸側に【通告】しているらしい。取材は官邸内で行われるものだと思うんだけど、そんなことやってて官邸出入り禁止になったりしたらどうするんだろう。やっぱり「大本営発表のために自由な取材を阻害した」って言うんだろうか。
「どうせ同じことしか聞かないのにな」というのは、実際そう思う。
今聞くべきはそれじゃないだろ、と思う質問も結構あった。
総理大臣に「今日の芸能ニュースどう思いましたか」ってそんな質問すんなよ、とも思う。小泉前総理は律儀にコメントしてたけど、総理に聞くべき内容じゃないだろ、とも思う。


「安倍政権を叩くために小泉政権を持ち上げる」というのは、絶対にやるだろうと思ってるし、政権樹立からまだ一ヶ月も経たないというのに、もう始めてるところも出ている。それはそれでいいんだけど、せめて報道(二次情報)が前提にしている一次情報が、正しいかどうかの確認をする手段を用意してほしい。


ぶら下がりを一日2回から1回にする件、記者がもっと実のある質問をできるってんなら、2回でもいいとは思う。でも記者のレベルが今と変わらないなら、1回でもやむを得ない。

ぶら下がりに官邸カメラが入る件、これは拒絶する理由が何もない。
何かを判断するための材料となる情報は、多ければ多いほどよく、発信者に近ければ近いほどいい。誰かが要約して解説して願望まで込めたものもあっていいんだろうけど、自分で要約して自分で解釈したい、と思う人は、今後増えることはあっても減ることはない。
官邸カメラ、大いにやっていただきたい。



自分のことをとりわけ体制側だとは思っていないけど、間に挟まって情報を流してくる人々の「情報解析精度」に若干の疑念は持っている。そのことが、読みやすく加工された二次情報より、確認のための一次情報への渇望に繋がっているのかも。
一次情報を読みやすい二次情報に加工する商売を手がけているだけに、こうした「報道」の狂奔はよい反面教師になっている。
自戒したい。

*1:森元総理のマスコミに対する印象、そしてマスコミを通じた報道を見ていた国民の、森元総理に対する印象

*2:昼は新聞取材、夕はカメラが入ってのテレビ取材だったそうな