怪コレシリーズの編集を続けてきて気付いたことなど。
「なくて七癖」という言葉がある。本人が気付いていなくても癖というのはあるもので――というアレなのだが、この癖というのは文章の「書き癖」にも確かにある。


例えば、一文が長い。
周到に説明しようという親切心からか、2行3行に及ぶ長い「一文」というのを書いてしまう人は珍しくなかった。また、あまり重要でない登場人物にも懇切丁寧に名前や設定(間柄)を与えてしまったりとか。
実話怪談は一話が短く、最短で1頁、長くても10頁前後。普通は3〜5頁くらいに収まる超短編の部類だ。その長さの読み物だと、よほどそれがオチに大きく関係してこない限りは、懇切丁寧な設定紹介は不要であるわけで、そういうものは思い切って省略したほうがよかったりする。
一文が長いという話に立ち戻ると、1行40字として1行半以上に及んで句点「。」が入らない文章は長いのだ、という自覚は持った方がいいと思う。
あまり長いと、主語と述語の距離が遠くなりすぎてしまったり、必要以上に修飾詞を詰め込みすぎてしまったり、その結果くどくなってしまったりする。
極論すれば、主語+述語をまずはっきりさせて、その上で倒置にする、重複させて韻を踏む、体言止め、修飾詞を補助的に入れる、などを考えた方がいいかもしれない。
複数の説明目的があるなら、思い切って文章を二分三分してしまったっていい。
短い話だけに、読解に時間がかかる暗号めいた要素は排除したいところなのだが、この「一文が長い」というのも本当に無意識に出てしまう癖の類なのだと思う。
僕も仕事以外の地文は長いほうなのだが(^^;)、仕事の種類に応じてそれは意識して使い分けるようにはしている。


その他に見られた「書き癖」には、「重複する言い回し」があった。
ここぞというときに、自分の好きな言い回しを持ってくるというのは誰に出もあることなのだが、連続して数を書いていると同じ言い回しが何度も登場していることに自分では案外気付かない。
「〜の如く」「〜であるかのように」「〜という」「〜かもしれない」
などなど挙げたらきりがないのだが、ひとつの頁、ひとつの見開き*1の中、つまり同時に視界に入ってくるところに同じような表現・言い回しが複数あった場合、それが自分の「書き癖」だと思ったほうがいいかもしれない。
この手の書き癖は、疲れてるときに無意識に出てしまう。自分の中ではそれがベターだと思っているから、他の表現が思いつかないときに自動的にそれを使ってしまっているのかもしれない。
原稿を何十話、何百頁とまとめて一気読みしていると、そういう「また同じ表現が出てきた」というのに気付ける。だが、ひとつひとつを近視眼的に張り付いて書いている最中は案外気付きにくいものなのかもしれない。


編集作業のうち、ひとつひとつ個々の作品内での重複表現を潰していって、別の表現に言い換える推敲作業は、手の掛かる工程だと思う。これまでの「超」怖い話では、一緒に仕事をする期間が長かったこともあり、一方の癖にもう一方が歩調を合わせる、双方の癖を総合して均していくという作業は比較的楽だった。
が、怪コレのように複数の著者が集まって一冊を成すようなものの場合は、その作業工程は何倍十何倍、ときに何十倍にも膨れあがる。
一話の中だけで見ればうまくバランスが取れた文章なのに、一冊として見渡したときに「またその表現かYO!」と読み手に突っ込まれかねない不安定さが露呈してしまうことも多々ある。
そうなると、「本全体のバランス」を見越して、個々の話、個々の表現にも手を入れていくことになる。こうした「全体を見渡す作業」は個々の完成度を上げる作業と並んで重要で、精緻かつ疲れる(主に目と脳が(^^;))。
人間のやることなので、アラも出てしまうわけなのだが、それを「全体を初見で読む小人さん」を投入したり、校閲の専門家を頼んだりといった人海戦術で乗り切っていくというのが本作りであるわけだ。


思えば、僕がパズル好きであることと、この手の作業には通じるものがあるのかもしれない。
パズルというのは「正しい答え」を捜すゲーム、というだけではなくて、「そこに秘められた一定のルール」「繰り返し援用される法則性」を見つけ出すことにある。数独などでもそうだけど、「基本ルール」に加えて、ルールには書かれていない「こういうときは必ずこうなる」という細かい法則性がいろいろある。それを何十何百という設問の中に見いだすのがおもしろい。これはRPGなんかで「Aというモンスターを倒すときの必勝パターン(魔法と武器と職業の取り合わせ)」を見つけ出すのと同じ感覚だと思う。
何十種類もの「類似パターン」を類例の中から見つけていく。そういう「重複する類似法則」を捜すという作業と、大量の文章原稿の中の「書き癖」を見つけて潰していく作業はいろいろ共通点があると思う。


まあでも、結局仕事でも趣味でも同じことをやってるわけで、仕事が趣味なのか趣味と通じるから仕事が好きなのかは、なんとも自己判定が難しいところ(^^;)

*1:開いたときに同時に見える二頁を「見開き」という