訃報・安藤百福氏

新年早々、個人的偉人墜つ。
幼少時のおやつと言えば、「父親が魚河岸で箱買いしてくるカップラーメン」だった。
三度の飯を食っても腹の減る年頃だった僕と弟にとって、「自由に食べていいもの」として常備されていた。静岡は今も「日本でもっとも平均的な地域*1」として新製品の実験販売が盛んな地域で、チャレンジャーな新製品の試験販売の餌食(笑)になりやすい。箱買いラーメンも種類はいろいろだったが、とにかく箱を食い尽くさないと次のものに変わらない。うまいラーメンならまだしも、大ハズレに当たると食い尽くすのも苦痛だったりした。
そんなわけで、平均的日本人よりもかなり多いカップラーメンを食べてきた人間として、安藤百福氏はちょっとした偉人なのである。


故・安藤百福氏。
先頃、明星食品を傘下に納めた日清食品の創業者で、世界初の即席麺チキンラーメンの発明者。カップヌードルの開発者。日本の、というよりもはや世界の即席ラーメンの父でもある。
お湯さえあれば暖かい食べ物が食べられるという即席麺(カップヌードル)が注目を集めたのは現場食のおにぎりすら凍り付いたという浅間山荘事件(1972年)から。*2
世界ラーメン協会会長などを歴任。(wikipedia
B級食と貶される即席麺ではあるが、東南アジア各国の食を激変させ、受験生と貧乏人の心の糧となった歴史は否めない。
激安品から高級嗜好品、中華に端を発しつつ、うどん・蕎麦などの和風、スパゲティなどの洋風へも製品の幅を広げた陰には、現役から退いた後も社内のあちこちに出没しては新製品開発の現場に足を運んで意見を述べた安藤氏の熱意が息づいていた。


以下、略歴。
1958年、チキンラーメン製品化。
1964年、即席麺の製法特許を公開・譲渡、日清以外の各社が様々な即席麺の開発販売に乗り出し、即席麺大国日本の礎となった。
1971年、カップヌードルアメリカ発売を経て、
2005年、「まだ元気なうちに経営を若い世代に譲る」として日清食品の経営から完全引退。
2007年1月5日、急性心筋梗塞のため96歳にて急逝。


齢96歳にして「毎日必ず一食はチキンラーメンを食べている」という筋金入りの即席麺に生涯を捧げた巨人であった。

*1:県民所得、貯蓄、購買意志、学業成績その他、全国平均にいちばん近いらしい。

*2:機動隊がラーメンをずるずる啜る姿というのは、後のアニメ・「ルパン三世カリオストロの城」のワンシーンなどにもあるように、浅間山荘事件が発端だったらしい