機嫌良く過ごす

機嫌良く過ごす、というのは人生における重要な信条のひとつだと思われる。


まとまって休みを取ることがあまりない上に、連休だなんだとあっても時間をもてあましてしまってダメ。
何かやってるほうが落ち着くので、結局仕事を入れてしまったり、仕事を自ら作り出してしまったり。
ワーカ・ホリックというかなんというか……結局、働くのが好きというよりは、「好きなことをして機嫌良く過ごす時間が好き」で、ありがたいことにそれのうちの幾つかが商売になっている、ということなのだと思う。題材と書くという行為そのものは別とするとして(笑)


機嫌良く過ごすというのはこれは重要かつなかなか難しいことのようで、お笑い番組見ていれば機嫌良く過ごせるかというとそうでもない。そういえば、正月番組は今年もほとんど見なかったなあ。


怒ったり妬んだり恨んだり嫉んだりという感情は、怪談を書いている最中に発生したりすることがある。しばしばある。仕事上のライバル(笑)とか、そういうものに対してそういうネガティブな感情が向くかというと、あまりそっちにはいかない。自分に対してだったり、身近に対してだったり。
とにかく、怒りっぽくなり、イライラしてくる。機嫌良く過ごせない。
そもそも怪談というのは決して楽しい愉悦に満ちたものではないわけで、誰かが誰かに恨みや怒りを向けている、という記録をなぞるようなものだ。まさに不機嫌の記憶をより明確にしていく作業とも言えよう。こんなことをやってて機嫌が良くなるほうがおかしい(^^;)
作業中、イライラしてくることが多いので、仕事が佳境に達した場合は家人や知人は近づけないことにしている。
逆に、適度に機嫌良くなる時間を設けないと、心がささくれ立ってきて非常にしんどい。
かといって、気分転換に成功しすぎると、今度は不機嫌に立ち戻りにくくなるわけで、それは仕事をする上ではあまり望ましくない。この上機嫌と不機嫌のスイッチに時間が掛かっている。不機嫌から上機嫌に移行するのにも、上機嫌から不機嫌にスイッチするのも、なかなか難しい。


が、そうした「不機嫌でなければできない仕事(作業)」以外のときは、やはり極力上機嫌で過ごしたい。
人様のいろいろな日常や、意外な一面なんかを「へー」と感心しながら伺いたい。
その人が何度も繰り返してきた自慢話でも、最初の一回目として聞く分には新鮮で愉快だ。それが興味深いものであれば尚更だし、自慢ではない日常的な話の中から興味深いことを見つけるのがまた楽しい。


そんなわけで、人生機嫌良くいきましょう。


本日は機嫌良く三校読み(笑)
読むのは機嫌良く読めるのに、書く方は不機嫌でなきゃ書けない。怪談は本当に難儀だ。