怪歴

本日怪歴発売日。
ぼちぼちフラゲの人が手に入れ始めた様子。


怪談本の刊行に当たって、いろいろな視点から行く末を祈る。
まず、ベタなところで出版人の末席の人間として見れば、「自分が関わった本が売れるといいな」というのは本音としてある。
売れなければ、次の本を出すことができないからだ。
このへん、生臭い話。


次に、個人として言えばいつも思うことは、「なんで金出してまで怖い話が必要なのか」ということ。
これは常々自著、関連著で触れてきたことで、怖い話が嫌いな自分が怪談本に関わり続けている理由を自分自身で考えるときに、何度も何度も引き合いに出し続けている。
理由はたったひとつに集約できるわけではなく、ひとそれぞれだとも思うので「これが正解」のような例は提示しない。


今回怪歴を世に送り出す久田樹生君は、これが初単著となる。
宇宙開発史で言えばアームストロング船長にも匹敵する。
僕はヒューストンで唾を飛ばす立場に相当するが、それ故に「次のアポロ」を飛ばす正当な口実を手に入れられればそれで十分成功と言えるように思う。
怪歴は、彼に続く単著群を出すための試金石でもあるわけで、ある意味責任重大ではある。
怪談シーズンの走りに世に出て、信を問うだけの内容ではあると思っている。


僕が実話怪談というジャンルに関わり続けているのは、ひとえに「体験談を持て余している方々」から預かったエピソードを、どうにか成仏させ、かつ自分に何かがないように、という逃げの姿勢に基づく。別に建設的かつ献身的な意図はない。恐怖、不安から逃げたいが故に怪談を「捨てる場所が必要」。これが何より重要。たぶん、この理由付けについて正解はないのだと思う。誰もが一致しない理由から怪談と縁を切れないでいる。
これまでに実話怪談を商売としている同輩先輩の方々から、いろいろなお話を伺う機会に恵まれたが、その理由はどれも必ずしも一致しない。つまり、「実話怪談でなければならない理由」は、一個の正解しかないわけではないらしい、ということが朧気ながら判ってきた。


一応、自分には「欲をかかない」「無理しない」「我を貫かない」という戒めを課している。
好きでもない実話怪談を書かなければならない理由を考えたとき、我欲を求めることが正解ではない気がしているからだが、これは僕の事情であって、世の正解ではない気がしている。
とにかく実話怪談というのはわからないことだらけだから。


とりあえず、怪歴に関して言うと「実体験を持て余して困っている人」から話を預かっていること。
「著者自身の欲」について、極めて抑制的なつまりはストイックな姿勢で書きまとめられていること。
この二点に関しては疑うところはないと思っている。


「欲を持つな」「無理をするな」「過ぎるべからず」僕が新著者に課したアドバイスは数あれど、折に触れて口酸っぱく言っているのはおそらくこの3点だろうと思う。自分の実体験に照らしての心配なので、本当は不要かもしれないし、むしろ踏み込みを阻害しているものなのかもしれない。
が、欲を持つ*1と、なぜか話は集まらない。
同じく欲をかいて無理をすると、しっぺ返しがある。
焦りから無理が過ぎれば結果が出せない。


いずれも抽象的な戒めにしか見えないのは、僕の筆力の至らぬが故だと思う。
が、無理をした人は長く続けられない。続かない。
実話怪談は、なぜ書かされているのか。なんで書かなきゃいけないのか。
それを自己栄達の道具と考えてはいないか。
そこに立ち返ることをを、折に触れて強要される。


実に不思議な題材だなと常に思う。

*1:自分の栄達のために力を割く