災害援助の夏

サウジアラビア政府は、中越沖地震の被災者のため日本政府を通じ200万ドル(約2億4000万円)の無償支援を行う。駐日サウジアラビア大使館が9日、発表した。

外務省は、新潟県中越沖地震の被災者を支援するため、米政府がクーラー約100台と水を被災地に提供したと発表した。
 また、シーファー駐日大使は同日夕、物資を積んだC130輸送機で新潟入りし、泉田裕彦新潟県知事に面会して見舞いの言葉を伝えた。

どちらもちょっと古いニュースだけど、新潟中越沖地震への援助についてのベタ記事。アメリカはエアコン100台を提供。サウジは2億4000万円の無償支援。
普段、日本は災害慣れして……とはいわないまでも、他国の災害に金銭支援を行ったり、物資援助を行ったりという活動をしているけれど、日本がそういう災害での金銭/物資援助を諸外国から受け取るというのは、耳慣れないというか慣れないというか。


サウジが金銭という形での無償援助を行う決定を下したのは、GWあたりのエネルギー外交もその背景にある。これは今後とも日本に石油をよろしく、という話に加えて、沖縄にある日本の緊急用石油備蓄基地をサウジに無償提供する(メンテ代日本持ち)という案件への礼だという話もある。
この「メンテ代日本持ち、日本の施設をサウジに提供」というやたらお人好しに聞こえる提案は、なんとなく「また安倍がポチ外交しやがって」と受け取りたい向きもあるかもしれないが、内実は違う。備蓄基地の施設をサウジに貸し出し、維持メンテは日本側ということは、中に入っている原油はサウジのものとなるので、サウジは東アジアでの原油売買の基地・プラントとして沖縄の備蓄基地をタダで使うことができる。中身はサウジのものなので、普段はどこと商売しようと自由。
ただし、「緊急時、例えば原油危機や海峡封鎖などで日本の原油が危機的に不足した場合(もともと沖縄の備蓄基地はそういう用途のもの)に、備蓄基地のタンクの中に入っているサウジの原油を、日本が優先的に買うことができる」という約束が付く。
サウジとしては、普段はタダで預かって貰えて、いざというときは金払いのいい日本が確実に買ってくれる、ということになる。加えて、沖縄には米軍が駐留している。サウジの原油を米軍が(事実上)守ってくれる、という寸法だ。
さらに言うと、中国への牽制にもなっている。サウジは中国にも原油を売っているが、沖縄に中国が島嶼地域伝いに侵攻するようなことになった場合、サウジと米軍が楯になる。日本の費用はもともと必要な備蓄基地の維持メンテ費用のみなわけで、これは非常に有効なWin-Win提案だと言える。
「より一層、日本とは仲良くしていこう」というエネルギー外交に対する、結実のひとつがこのサウジの新潟への無償支援に繋がってきているのだと言える。
サウジが「金銭支援」の形を採ったのは、「現地で何が必要なのかについての判断が難しい」ため、現場の裁量で必要なものを賄ってくれ、ということからと思われる。
国内でも災害援助に「義援金」「募金」が有効なのは、現場の判断でいろいろな援助に形を変えることができるからで、これは有益だった。


アメリカがエアコン100台を送ってきたことについては、「コネクタの形状が合わない」とか「今、停電中」とか、いろいろ声はあったものの、これもアメリカ自身の経験に鑑みての選択だったらしい。アメリカは昨年、ハリケーンカトリーナの上陸によって、ジャズの都ニューオリンズを始めとする南部の街がいくつも壊滅している。水害慣れしている日本とは別の規模での災害を経験したアメリカにとっての「夏の災害」の脅威は、熱波であったという。ハリケーンが去った後の避難所は設備が不十分で、とにかく暑かった。熱中症で死亡した老人もかなり多かったらしい。
夏の地震、夏の日本、夏の避難所。日本の夏の蒸し暑さを知るアメリカ人が真っ先に心配ったのは「日本でエアコンがないと危ない!」であったようだ。


日本はお金持ちの国だと思われてる。
困ったときに援助することはあっても、困っているときに外国から援助してもらえるなどと、思いもしないかもしれない。
また、援助する側も何をどう援助していいのか、自分たちの経験と照らし合わせて必死に考えている。
アメリカがカトリーナで被災したとき、日本以上に、というより世界でもっとも経済力がある経済大国であるアメリカに、その被災地に、物資や金銭援助を行った国々が多数あった。アメリカも、援助をするのはともかくされる経験というのは、新鮮であったらしい。
新潟へのエアコン援助は、アメリカの辿々しいといったら叱られそうだけど、そういう彼らなりの善意の形が見えた気がする。*1


「情けは人のためならず」という言葉があって、これは最近は「情けを掛けるのはその人のためにならないから、自力で頑張らせろ」という意味で使う人が増えているんだそうだが、本来は「人のために情けを掛けるのではない、巡り巡って人に掛けた情けが自分を助けてくれることがある」という意味だという。
エルトゥールル号遭難事件湾岸戦争とか、ひとつの事例かもしれないなー、と思った。


でも、そういうのが回り回ってくるまでには、時間が掛かる。
子の代、孫の代に、彼らが困っているときに「あなたの爺さんに世話になったのだ」という人が手を差し伸べてくれるよう、今できることは今しておきたい、と思ってみたりもする。

*1:いつもながら、アメリカのやることはなんだかいつも無邪気というか子供っぽいというか……そういうところを憎めないと思うか、忌々しく思うかで、自分の立ち位置が決まるのかも知れない。