著者校

夜半、最後の著者校がFAXにて届く。
著者校、挨拶文ともに揃って一安心。
ここからはルビ入り再校に向けてぬこまっしぐら。


うちの近所にも連れて帰りたいようなぬこ兄妹がいるのだが、松村君がちょっと前にぬこ拾ったらしい。こんな感じでしょうか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1067912
確かになあ。仔猫は拉致したくなるよなあ。うん。


さて、著者校。
一応、皆様のokだったりここをひとつどうにかだったりの返信を頂戴し、直せるところは直し、見落としていたところも直して……という作業をしていくわけなのだが、この著者校という作業は著者当人にとって結構くせ者だ。
自分の書いた原稿というのは、自分でも内容も文章もわかっているから、一文字一文字じっくり見ることはあまりなく、数単語ずつ、ヘタすると斜め読みしてしまったりする。内容がわかっているから、脳内予測変換をしてしまうわけで、案外と誤字に気付きにくい。
また、元の原稿で合っていたものが、表記統一や推敲中の変換ミスで誤字になってしまっていたり、逆にいちばん最初の原稿の段階で間違っていることに、著者も編集者も気付かなかったり、ということが起きてくる。嘘みたいだが本当だ。
なので、ゲラを読むときは「全部間違ってる」くらいの勢いで全面的に疑って読んだほうがよい。
編集者も校閲さんも小人さんも疑うべきなのだが、何より疑うべきなのは自分自身。
だいたい、とてつもない見落としが混じってる。
多いのは「助詞(てにをは)の抜け」、「変換ミス」などだが、抜けだけでなく平仮名が多めの文章では一文字多かったり、ということも起きてくる。
例えば、
「音をたててたてつけの悪い扉を開いた」のような文章があったとして、
「音をたててたててつけの悪い扉を開いた」とか、
「音をたてたててつけの悪い扉を開いた」とか、
「音をたたててつけの悪い扉を開いた」とか、
そんな誤字になっているのを不注意にざーっと読んでいると結構見落とすのだ。
僕の編集者時代には、先輩に「そういうときは、音節単位で見ろ。単語単位で見ろ。平仮名は3文字ずつ見ろ。疲れてきたら2文字ずつ見ろ」と教わった。
「音を」「たてて」「たてつけ」「の」「悪い」「扉を」「開いた」
と、文節をばらして4文字以内くらいに収まるようにして読んでいくわけだ。
この読み方だと誤字は見付けやすくなるが、文意そのものの矛盾や全体の構成の不備、表記の不統一などは見落としやすくなる。だから、目的ごとに何度も目を通すことになる。まず誤字のみ、次に全体を見ながら文意の確認、内容に勘違いがないか、表記の不統一は……などなど。
なので、平均すると1回出校するたびに最低でも3〜4回は同じ原稿を読むことになる(3〜4回で1セット)。原稿を書いたときに読み返し、推敲で読み直し、表記統一のときに読み直し、初校で読み直し、再校で読み直し、ルビを入れてからまた読み直し、時間が許す限り読み直し……1工程で1セット読むとして回数で言うと18回くらいは読み直すことになる。そんだけ何度も読んでいると、だんだん疲弊・麻痺してきて、先の「脳内予測変換による見落とし」が出てくる。
ここで、小人さん部隊の登場となるわけだ。
できれば完全に初読の人を、できるだけたくさんお願いして「せーの」で読んで貰うのだが、日程の都合もあって人数を確保するのが難しい。それでも、3人とか4人掛かりで読んで、全員がそれぞれまったく違う誤字を発見し、なおかつ指摘箇所が重複してなかったりすると大変肝を冷やす。
で、校正ソフトを通したり*1、読み上げソフト*2による音読でもチェックをする。
特に、「文字通り音読、それを耳でチェック」というのは大変効果的。特に平仮名が続く長い文章などでは、読み上げソフトは「文章そのまま」に、予測変換をせずに読んでくれるためだ。
ただこれはこれで、読み上げられたものをつきあわせながらチェックするのは人間の耳と目に頼らなければならないため、これまた目と耳が疲弊し、しかもたいへん集中力を要するので疲れる。目なんか開きっぱなしでドライアイになるし。


ゲラ読みは、大勢で。できるだけ大勢で。
そしてできるだけ繰り返し何度も。
選んでるときが本番のような気もするし、推敲が終わればほとんど完成したような気分になるが、編集者兼監修者としては、校正紙を何度も何度も読んでるときが最大の山場のような気がする。
それだけ人数と手間暇を掛けて繰り返し読んでも、それでもなおコボレが出るのが本作りのまったくもって報われない怖いとこ。製本まで終えた見本でそういう誤字を発見すると真っ青になるし、発売後に貰う出来本に重版に備えた直しを入れ付箋を貼っていくのだが、それが10とか20とかになると、「もうどうにでもなあれ〜♪ できればこのまま絶版になあれ〜♪」という不穏な呪文さえ脳裏をよぎる。
実に精神の磨り減る仕事であることよのう、と思う。
作家専業なら「後はよろしく!」と言って逃げられるし、編集者専業なら「著者校でじっくりよろしく!」と、気持ちの上だけでもw精神的な逃げ道が作れるが、両方兼ねちゃうとなあ……orz
怪コレや怪歴/怪記などはもちろんそれぞれ僕と別に著者がいて、著者自身が著者校もチェックしている。だから安心……かというと、やっぱりアンカーとしては安心してはいられなかったりする。
「何もかも疑えッ!」
を指針に仕事をしていると、人間がささくれる。冬場の指先のように。


そういうささくれを癒やすのは……猫と酒と飯かな。やっぱ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1144526


ともあれ、ゲラ読みは疲弊する。
が、自分以外のゲラを読む機会はあまりないので、もし読めるチャンスがあったらできるだけ積極的に読むといいかもしれない。四川省とか上海やってると、自分がやってるときはなかなか見付けられない牌が、他人がやってるときだとするする見つかったりするでしょ。んで、口出ししてウザがられるw 他人のゲラを読むというのは、「四川省や上海を後ろから口出し」するのに、ヒジョーによく似ている。しかもウザがられても怒られない(笑)
そして、自分もやらかしてるかもしれないミスというのに気付くきっかけにもなるわけで、大変勉強になる。疲れますが。

なかなかないと思いますが、機会があったら積極的にばんばん読むといいと思います。ええ。

*1:でも全自動で直るわけではなく、怪しいところを指摘してくれるだけなので、確認は人間の目視チェックに頼る。

*2:「けいことたかし」と呼ばれているのは、ドキュメントトーカの音声。