ゲームの件

別エントリへのコメントで、ゴリさんから以下のようなリクエストを頂戴したので、ちょっと。

もしご存知でかつ気が向いたらでいいんですが、
今少し話題のゲーム差し止め問題に関してのエントリなんかも読んでみたいなと。
(略)
同人ゲームの件についてここ数日2chの一部スレッド等で議論されているのは、クリプトン側の差し止め理由に関してなんですよね。
いくつかある理由の一つに、ゲーム中の「戦う」という行為がミクのキャラクターイメージに沿わないからというものがあるんですが、それに関して「あまりに潔癖なイメージを持たせようとしすぎではないか」「イメージの固定化を避けると言っていたのと矛盾するのではないか」等の意見が一部で出ています。
http://ejingar.hp.infoseek.co.jp/seisakunisshikai.htmこちらでゲーム作者に送られたメールを読むことができます。
もしお時間のあるときに気が向いたらでいいので、一度azukiさんのご意見も伺いたいなと思いまして。


「戦う、がイメージに合わない」の点について言えば、「またしてもヘタを打ってるんじゃないか」という気はする。
スターリングラード冬景色とか亞北ネル帝国とかはちゅね王国とか、それからみくみくにしてやんよ♪PVの幾つかは、完全にこの規定にぶつかるのでは。
結局、今のままでいくと片っ端から「ダメだし」をすることにクリプトンの労力が奪われてしまうため、クリプトン的にも益はないうえに、「ワルノリ」に支えられている側面を切り捨てすぎると、冷や水をぶっかけられたと考えてアンチに転向する人も増えてしまうのではないか?

一方で、これはDS(任天堂)との何らかの契約の都合上もあるのでは。これは想像だが。既に、正規ルートで進められているゲームに「アイドル歌手」という設定で登場する以上、それが同人であれなんであれ頒布されるゲームに別の設定を背負った初音ミクが登場することは、正規ルートのゲームの利益を侵す、という考えもあるのかもしれない。

これまた個人的な思い出になるのだが、昔、桃太郎伝説(初代)の攻略記事を書いていたときに、それまでのゲームが「破壊せよ、壊せ、殺せ、やっつけろ」だったのが、桃伝では「こらしめろ(殺さず破壊せずやっつけない)」だったのが新鮮だったなー、と。
この線で行くと、ゲームの概念が「戦う」ではなくて、「こらしめる」だったら企画書通ったのかもしれない。


凄く根本的な話だが、真正直にお伺いを立てられたら、クリプトンとしては額面通りに言うしかないのだろな、という同情はなくはない。先だってのデP削除の場合でも、聞かれるまでは黙認してたけど、いよいよ聞かれてしまうと額面通りに答えざるを得なくなるわけで。その意味で、酷い言い方だが(^^;)、「面と向かってダメと言われるまでは黙ってやっちゃって、ダメと言われたら引っ込めろ」くらいのつもりでいないと、この手の「黙認されて成立させられる何か」はもうできないのかもしれない。

これは極論だが、イメージの多様化、流動性の優先を考えるなら、それこそ「娼婦なミク」「戦闘ロイドなミク」もひっくるめて「あらゆる選択肢・あらゆる可能性に制限をかけず、全方位になんでもあり」にしておいたほうがいいんじゃないかとも思う。
これは、前述したように「クリプトンの事業規模に比べて、判断や処理の労力が膨らみすぎている」という、会社にとってよくない方向に進みつつあるようにも思えることから。
こうした個別判断の手間を軽減するには、「出してしまったものをどう扱われようが*1、一切黙認、好きなようにやって」くらいのほうがいいんじゃないかなと。


これについてはイメージを保護すべきなどの方向での反論がこれまでにも出ているが、僕は「イメージ」というのはそれほど過保護に守らなければならないような脆弱なものではないように思う。逆に過保護に守らなければ維持できないような弱いものは、結局求められていないものとだとも言える。
CGMのように、「みんながよってたかって作る」という場に、それのためのツールとして投入された以上、よってたかって作られたものというのがもし不愉快で共感を呼ばないものだったら、そんなに受けないし、そもそも注目されずにすぐに消えるから、影響を心配する必要もない。
逆に注目を集め、ポジティブな評価でコンテンツの価値を高めるもの=愉快で共感を呼ぶものと言えるわけで、「悪いイメージが付きそうだから」と取り上げることで、却って「そういうイメージのものがある」という存在そのものを広めてしまうという逆説的なジレンマに陥るのでは。
それこそ、「クリプトンはもっとスルー耐性を身に着けろ」で終わりのような気がする(^^;)

これまでにも初音ミク/Vocaloid関連にワルノリをさせたものはいくらもあった。
例えば、「初音ミクに自分の尻にネギを差し込ませようとする」とか、「KAITOの裸マフラー」とか、「飲んだくれのMEIKO」とか、「性格の悪いリン」とか……etc,etc,
イメージを守るために、これらの「ワルノリの禁止」という網をいったいどこまで広げるつもりなのか、という心配はある。
KAITOの裸マフラーはゑのすけP辺りを始めとして、すでにかなり多くの動画作者が「バカイト」弄りのためのネタとして使い始めているが、あれを全部片っ端から「権利者削除」で駆逐しようとするというのが、いずれ出てくるのだろうか。

このあたりもまた、「あれはどうなんだ」と問われて正論に基づく判断を公開することを強いられた結果、削除せざるを得なかったデP事件が前例としてジャブのように効いてきてるということではないか。
一度前例を作ると、その前例に従っていろいろな判断を強いられ、さらにそれが結果的に自由度をどんどん狭め、モチベーションに冷や水という人を増やしていくことに繋がって言ってしまうわけで。「公序良俗を引き合いに出すと、ではどこまでの線引きなのかという判断が求められる」と指摘したことがあったが、線引きに基づいた「削除の前例」を自ら作ってしまったことで、線引きの厳格化をせざるを得なくなったことが、ここでも効いてきている。
もしかしたら「デPのときは支持されたから、今回も」という、支持者への甘えがクリプトン側あったりするのかも。

で、これでいちばん得をしている人は誰かというと、実はクリプトンの人気=ユーザー支持が落ちていくことでほくそ笑んでいる、亞北ネルの雇い主だったりして。

*1:それこそ、「キモヲタのお兄ちゃんが部屋の中にミクを拉致監禁」というようなシチュエーションも含めてw