TRPGの興隆と衰退と初音ミクの未来

以前、TRPG(テーブルトークRPG)の編集部にいたことがある。
今から14年くらい前の話なのだが、ロード・オブ・リングなんかでおなじみのあの世界観を、会話のやりとりで遊ぶゲームとして、TRPGというものがあった。当時、D&D*1、T&T*2などのアメリカ製のボックスゲームに加えて、国産のTRPGがあちこちから発売されて、そりゃもう賑やかな一時代があったのだった。


このときのTRPGの興隆の話というのをふと思い出したら、いろいろ初音ミクのこの先を考える上でのヒントが隠されているような気がした。
ただ、何しろマニアというか一家言ある人がウヨウヨいる世界でもあるので、声の大きい人に「全然違うッ!」と言われそうな気がしなくもないw。ま、だいたい歴史は繰り返すものなんで、似てるとこ違うとこ回避のヒントなどの手掛かりを見つけられる人もいるかもしれないという前提に立って、敢えて思い出すまま書いてみよう。




まず、TRPGの豆知識。
流れとしては、PCやコンシューマのコンピュータゲームとは別の進化を続けてきたジャンルで、まずシミュレーションゲームボードゲーム)があり、その後を継ぐような形で興隆してきたのがTRPG。そのTRPGの衰退期にはマジック・ザ・ギャザリングなどのトレーディングカードゲームが登場し、TRPGは舞台から消えていく。


で。
TRPGはなぜ滅んだのかというと、これは販売形態とそれをとりまくいろいろな大人の事情(都合)の狭間、歴史的に役目を終えたなどなど、様々な複合的理由があるのだが、ここでは「販売形態と大人の事情に限界があった」という視点から触れてみる。


TRPGというのは、まずゲームマスターとプレイヤー数人で遊ぶもので、遊ぶためにルールブックが必要になる。ルールブックというのは、戦闘や問題を解決するための手順や方法が書かれたもので、元々は数十頁程度の冊子の形をしている。敵と戦闘になったら、そこに書かれているルールに沿ってサイコロを振ったりして戦う。
必要なことはルールブックに書かれているので、ルールブックはゲームマスターが一冊持っていれば足りるし、その他はサイコロ、自分のキャラクターを示す駒*3があればよい。


で、このゲームは電源も要らないしルールブックが一冊あればどこででもできるので、非常にローコストで遊ぶことができた。また、初期のTRPGはルールがシンプルだったこともあって、ゲームマスター一人がルールブックを買っていれば用が足りたし、ルールをよく記憶している馴れたゲームマスターは、ルールブックが無くてもゲームを成立させることができた。
つまり、商品としてのルールブックは、ルールを憶えてしまったらなくても困らない
また、商品としてのルールブックがゲームマスターに行き渡ってしまうと、それ以上は売れゆきが止まってしまう。ゲームマスターが1000人いたら、1000冊行き渡るとそれ以上は商品としては売れなくなってしまう。
ゲームマスターなどそうそういるものではなかったので、それ以前は「少人数に売れるだけでペイする値段」で売られていた。1000人に行き渡ったら、その商売は終わり、というもの。


でもそういう焼畑農業では商売が続かないので、「もう少し難しくした新しいルールブック」というのを出すようになった。そうすると、最初のルールブック*4を買った1000人のゲームマスターは、再びより高度なルールを買うので、また1000冊……とはいわないけど、それに届くかどうかくらいは売れるが、高度なルールは難しいので売れ行きは下がる。
やはりそのままでは、コア層をだんだん切り捨てながら高度化していってしまうことになってしまうので、今度は市場そのものを拡大する方向に舵を切った。


高度化したルールは、ゲームマスター一人だけでは処理しきれないので、ルールブックをゲームマスターだけではなく、ゲームプレイヤーにも必携させる方向に向く。これによって、それまでゲームマスターが一冊持っていれば需要が満たされていたものが、プレイヤーの人数分だけ売ることが出来るようになり、市場が拡大した。
さらに、既に飽和状態にあったアメリカから、日本に市場が拡大される。


TRPGというのは「ゲームである」ということもあって、日本では元々オモチャ流通に乗っていたものらしい。オモチャ流通では数百セットでペイし、数千セットも売れたらヒット商品という世界だったので、TRPGは「箱の中に数十頁のルールブックと称するパンフレットとサイコロが2〜3個、マス目を書いたボール板が1枚」という、非常にチープな構成ながら、数千円で販売されていた。
「サイコロは別売で買えばいいし、マス目を書いたボール板はオプション販売するなり、手近にあるものを代用すればいい。ルールブックそのものは紙に印刷されたものなのだから、書籍の形態を取ればいい。量産すればコストも下がり、数百円で売れる。書籍流通に乗せれば、より一般の目に付きやすい」
……というような着想と流れから、ハコモノが主流だったTRPGは、書籍形態にシフトする。

値段が安くなれば手に取りやすいから売れるはずだ、という戦略が正しかったのかどうかはわからないけれど、それまで数百〜数千人程度が上限だったTRPG市場は、「最低でも1〜2万部は印刷」という市場規模に拡大。


市場が大きくなったところで、やはり「ルールブックが行き渡ったら、商品寿命が終わる」という焼畑農業的な頭打ち感から逃れることはできなかった。
ここから逃れるために、
 1)ルールブックの高度化*5
 2)追加ルールの販売*6
 3)新しい物語背景&システムの、新作の発売*7

という形で、TRPG市場に商品を投入した。市場がある程度大きくなったことで、ユーザーには多様性や選択の余地が生まれたが、結果的に「同一の客を、複数の供給者が食い合う」というパイの奪い合いが発生。他社商品との差別化のため、一層システムが高度化して難しいものになっていく。*8
ルール(システムや性能)が高度化すると、やはりついて行けないユーザーは増えていく。そうなると、頭打ちどころかユーザー離れというマイナスへの逆転現象が起きてしまう。
このため、TRPGは当初の「ルールブックを売る商売」から離れて、「ルールブックを必要とする世界観をベースにしたスピンオフ商品を売る商売」に発展を始める。
同時に、高度化しすぎてプレイできない一般/初心者ビギナーを、その「世界観」に繋ぎ止めつつ、TRPGを実際には遊んでいないのに遊んでいるような気分にさせる、
 4)リプレイ
という商品が登場する。
これは、プロによるゲームプレイの様子を書き起こした読み物で、小説の一形態。世界観や登場人物を基軸に据えた、一種のキャラクタービジネスに進化した。「ロードス島戦記*9などがこれに当たり、ロードス島戦記の元々のプレイシステムだったD&Dは態を潜め、ロードス島戦記の世界観、登場人物、ストーリーなどが、主商品となっていく。*10


ロードス島戦記の成功を手本に、「世界観とストーリーと登場人物に、システムがオマケで付く」というようなものを複数の出版社が競って新作を出すに至った。
キャラクタービジネスが成功したものはそれなりにキャラクター商品としてはヒットもしたのだが、高度化しすぎたTRPGそのものは、次第に遊ばれなくなっていった。
そして、数年に渡るブームが収束した後のTRPGは、マジック・ザ・ギャザリングのブームに取って代わられる。
マジック・ザ・ギャザリングがブレイクした理由は様々だが、事業的な面から言えば「ルールブックを買ったらもうおしまい」だったTRPGに対して、マジック・ザ・ギャザリングは「デッキを増強するために、カードを買い続けなければならない」という要素を加味した部分が非常に大きい。この概念は、遊戯王その他の国産カードゲームにも引き継がれ、長く「事業性のある構造」として支持・強化されてきた。収益性があり持続性があったことが、カードゲームを長期的に発展し続けられるものにし、TRPGを衰退させたと言える。
事業性について云々すると、また眉をしかめられそうなのだが(^^;)、ユーザーにとって「気に入ったもので長く遊べる、そして新しい要素が常に加わり続ける」という状態が続くのが喜ばしいことであるわけで、そこに持続的事業性がなければ、その状態は長くは続かない、という視点は重要なんじゃないかと思う。
TRPGとカードゲームの明暗は、あんまり近視眼的・短絡的な見方をしてると、それについて熱烈に考えている人ほど、未来を細めてしまうかもよ、という警鐘とも言えなくもない。



ここで結論として「TRPGは滅びた」と言ってしまうと、多方面から「あいつは何もわかってない」とお叱りを受けるのでそうは言わないけれど、マニアでなければ処理できない高度な知識を必要とするものになった結果として、一般的に遊ばれ広く認知されるものではなくなったことは否めない。


ここまでの説明には、「人間のゲームマスターが処理してきた戦闘の解決を、コンピュータが代行してくれるコンピュータRPGが、TRPGより広く普及したことでTRPGの歴史的役目が終わった」という視点が抜け落ちているので、TRPGの衰退の原因を販売形態と大人の事情だけに求めて説明するのには無理がある。


が、ここから得られるヒントは次の点。

  • 既存マニアへの依存を念頭に置いた商売は頭打ちになるのが早い
  • 性能の高度化は時にビギナーユーザーを引きはがしてしまい、市場の縮退を早めることがある
  • 既存マニアは購買意欲&能力は高いが、既存マニアの購買能力をアテにしすぎるのは危険(消費者への商品供給が多すぎると、購買意欲のあるマニアは疲弊してしまう)
  • 良いものを作ったから必ず売れるわけではない*11
  • うまくいったやり方への依存が高すぎるのは危険
  • 売れ続ける構造(収益があがる仕組み)を維持しなければ、ジャンルとしての衰退からは逃れられない


音楽が売れ続けているのは、「売り続ける仕組み(産業構造)」が確立されている点と、音楽を聞くという需要そのものが潰えることはあり得ないから。作り手のクリエイティヴィティの発露というのはもちろん大きな推進力であることには変わりないのだが、「売れる」のは「買う」という需要があるからでもあり、需要と供給がうまくバランスを取るために産業構造が機能しているからであろうと思う。供給側が「これはいいもの」といっても、需要側が「でも必要ない」と言ってしまえば、この構造は成立しない。


ちなみに、エロが売れ続けているのも「生殖行為に対する本能的欲求」を満たすというものであるからだろうと思う。需要が尽きるのは人間が滅びた後だけであるわけで、需要が続く以上は供給が途絶えることはない。だからエロは求められ続けるし、リスクの低い産業として今後も永久に続く。*12
音楽を聴くという行為が本能的欲求かどうかはわからないんだけど(^^;)、僕はそれに近いモノだと思っているし、そうであってほしい気がする。


このエントリはTRPGの興隆と衰退の覚え書きのようなものではあるんだけど、一言で言うと「結局、いちばん普及して欲しかったシステム(ゲームそのもの)は消え、スピンオフであったはずのキャラクター戦略だけが生き延びた」ということ。
TRPGを「初音ミク」というソフトウェアに、ゲームマスターをPに、多種多様なルールブックというのを今後出てくるかもしれない上位版や高機能なDAWソフトに、リプレイ本を楽曲に置き換えて考えてみることもできなくはない。若干こじつけっぽいが。
が、システム(=この場合、初音ミクというソフト)を焼畑農業的に拡散普及させていくことは不可能だし、いずれ頭打ちになるのは間違いない。*13
行き渡ったルールブックを使ってプレイしたリプレイ本が命脈を繋いだように、行き渡った初音ミク*14で作られた楽曲で命脈を繋ぐという展開を考えるというのはやっておくべきだろなと思う。



そんなわけで、本日の話題は初音界だけでなく、僕の本業のほうやその他の「消費者が存在するあらゆる人気商売」を考える上でのヒントにもなるのかもしれない。そうでないかもしれない。明日はどっちだ。



業界的ロートルwからの本日の心配事は以上です。

*1:ダンジョンズ&ドラゴンズ

*2:トンネルズ&トロール

*3:当時はメタルフィギュアを使っていた

*4:ベーシックルール=基本ルールと呼ばれた

*5:従来から続けられていた既存ユーザー繋ぎ止め策

*6:これも既存ユーザー繋ぎ止め策

*7:これも結局は既存ユーザー繋ぎ止め策なのだが、複雑過密化しすぎた既存世界観に乗り遅れた新規ユーザーを、ゼロから参加させようという意図もあったので、新規開拓策とも言えないことはない。ただ、買うのはやはり既存ユーザーが核になるので、新人向けのあんまり簡単なシステムだと既存ユーザーの購入を促すことができず、結局「新作なのに最初から難しい」というものになってしまい、新規ユーザーの大量獲得には至らなかった。

*8:GARPSとか

*9:塩野七生ではないほうw

*10:後にロードス島戦記専用のシステムが作られたりもした気がするが、今となっては認知度は低い。

*11:これは80年代末から90年代初頭にかけてのバブル期の悪弊で、「良いのだから売れて当然」という意識の強いクリエイターが多かった。「売れたから良い」というのが事業者としての判断で「良いから売れるはず」というのは、表裏一体のようでいてそうでもないということに気付いたのは、「売れない良作」が多数の在庫を抱えるようになってからの話。

*12:これまた余談だけど、漫画家、ライター、映画監督wなどなど、キャリアが浅い人にもっとも優しく手を差し伸べてくれるというか、仕事をくれるのはやはりエロ。だけど、「食うために仕方ないんだ」という後ろめたさもあって、エロに関わっていた過去を隠したがる人も少なくない。小説なんかでも一番いいのは純文学だけど、それだと食えないからエロを書くって人は少なからずいる。

*13:DTM用仮想楽器という分野そのものが、元々は大きな市場ではないわけだし。その意味で、今は拡大期にあるけど、拡「ソフトの利用者」の無限の拡大を前提にし続けるというのを戦略にしてはいかん気がする。行き渡ったら、そうそう買い換えはされないものなわけだし。

*14:今更だけど、Vocaloid全般に対する代表的代名詞として「初音ミク」と言ってるんだよってことで。