チベット虐殺に対する反戦団体の反応とか民主党とか

ちょっと焦臭いエントリ。


チベットでは、既に確認されているだけでも30人以上、未確認情報も入れると100人以上の死者が出ている。
戦力比で言えば、圧倒的な軍事力を持つ中国による、チベット*1への侵攻・チベット人虐殺なのだが、これについてイラク戦争などでいち早くアメリカを非難した日本国内の反戦平和団体・人権団体は、どういった行動を取っているか、についてまとめたものがあったので覚え書き。
非常に興味深いことに、ほとんどの団体がチベット人虐殺について、まったく触れていないか、閉鎖しているか、突然メンテナンスに入っているwか。

「戦争という実力行使、虐殺という非人道的行為に対して非難と反対の声を上げ、話し合いで問題を解決しよう!」というのが、こうした団体の基本的な姿勢だと思っていたのだが、「イラク戦争」「アフガン問題」「沖縄問題」など、批判の対象がアメリカであるものは批判はしても、その対象が中国であるような場合は、非難や批判の声は上げないのが、一致した決まりらしい。

チベット大虐殺での反戦団体・人権団体の動き
http://anond.hatelabo.jp/20080316225119

「戦争はよくないものであり、可能な限りすべきではない」という総論については何の疑問を挟む余地もない。
ただ、これは「総論賛成各論反対」の典型でもあって、「では、実力行使/武力行使を避けつつ、本当に対話だけで戦争は回避できるのか」という問いについての答えを、具体例と実例をもって示せる反戦平和団体というのが、ほとんど存在しないのもまた事実。
言うは易し横山やすしという奴ですか。


戦争というのは必ず「相手」があって起こるもので、自分が何もしなくても、一方的に仕掛けられる戦争というのはある。多くの戦争は、ヨーイドンで正々堂々と行われるわけではなく、大きな戦力差や不意打ちなども含めた不正規な状態で起こる。
こうした戦争について、日本の戦後教育では「弱いから負けた」「負けたから悪い」とは教えずに、「悪いから負けた」または「強いほうが悪い」という教え方をした。
この結果、「日本が負けたのは、悪いことをしたから」でありつつ、日本に勝ったアメリカのその他の戦争については「強いほうが勝つのは当然だが、当然勝てる強い側が戦争で勝つのは悪いこと」というねじれた論法がまかり通る。
一見すると「勝つほうも負けるほうも戦争なんかするから悪い」で辻褄が合っているように見える。
もちろん、殺し合いなどないに越したことはないのだが、過去の歴史を紐解くに、戦争の多くは「交渉決裂」を起点として始まるものだ。
太平洋戦争で言えばハルノートイラク戦争なら国連決議1441などなど。話し合いは尽くされ、それで結論が出ないときに、追い詰められたほうが口火を切り、強い方がそれを蹂躙する。これは戦争の摂理というか。


反戦団体の多くは「話し合いで戦争は回避できる」というし、交渉で回避できるならそれに越したことはないのだが、戦争の発端となる「交渉決裂」というのは、「結局のところ、譲れないからガチンコ勝負をせざるを得ない」ということであるわけで、その譲れないところをどちらかに譲れ、と武力行使以外でどちらか一方の要求をもう一方に飲ませるのが、「話し合いによる決着」ということになる。
ではそれがスムーズに行くのかというと、北朝鮮の核・拉致問題を巡る六者協議が、話し合いだけでスムーズに解決に向かっているかどうかを見れば、机上の空論でしかないことは否めない。


この「話し合いで解決せよ」「どちらか一方が譲れ*2」というのは、結構な曲者で、どちらも譲れないということになった場合、「ちらつかせる軍事力/経済力=戦争遂行力の大きい方」の言い分を、戦争遂行力が小さいほうが飲むことで、実際に戦争は行われず、なおかつ「交渉により戦争は回避される」ということが実現される。例えば太平洋戦争後の日米関係は、冷却したりしたこともあったけれども、反米的な人が言う「日本はアメリカに追従/アメリカの後ろを歩きすぎ」なくらいに、日本はアメリカと歩調を合わせる=アメリカに戦争を仕掛けられない程度以上の反論をしないという、「話し合いで戦争を回避する」という外交方針を貫いているのだが、これは余りウケがよくないw
もし、話し合いで相手に道を譲らせ、自分の言い分を通そうと思ったら、北朝鮮がやっているように核兵器=戦争遂行時の脅威をちらつかせるカードとして持った上で、相手から無限の譲歩を引き出すのが上策ということになる。*3


この北朝鮮型の交渉術というのは金正日のオリジナルというわけでもなくて、戦前の日本陸軍がほぼ似たことをやっていたらしい。
「陸軍の予算を削る人間を大臣にするなどとんでもない。陸軍が推す人物を大臣にしないと、陸軍は内閣に陸軍大臣を出さないぞ」*4
統帥権とかそのへんの話はこのさい置くとして、「少数勢力または正当な権限を持たない勢力」が、自身の言い分を受け入れなければ多数派の権限行使について協力しないぞ、というもの。
軍事国家だの独裁国家だのはまだしも、これと同じようなことを「有権者の多数が支持した側が立法行政の主導権を取る」というのが原則となっている民主主義国家でやっちゃってるのが、今の民主党
「与党の意見には反対だ。我々は賛成しない。代案は出さない。こうなったのは与党に反対だという我々の意見を与党が採用しないからだ。与党(多数派)が野党側(少数派)の意見を採用しなければ、国会を空転させ、日銀総裁を空席にさせ、国民生活を混乱させてやる。しかし、それはすべて与党の責任だ。なぜなら野党の言い分を採用しないからだ」
国民生活を人質に取って事態の空転させつつ、代案は出さずに譲歩だけを強いるというのは、戦争をしないで交渉だけで「国民生活に責任を持つ行政側」から譲歩を引き出すという意味ではうまい交渉戦略なのだろうけど、こんなやり方はもちろん民主党が与党になってしまったら絶対に通用しない。同じことを自民党にやり返されたら、同じように国政は停滞する。


民主党は「反対」という総論では一致しているけど、「どのようにするか」という対案=各論の部分では党内が一致できていない。
故に、「党を挙げての一致した対案」が出せないわけで、誰もが一致して唱えられる「とにかく反対」の部分だけで、あれだけ強気になれるというのも、凄いなとは思う。
だが、彼らは具体案はなにひとつ伴っていないんだということを考えると、冒頭に出てきた「戦争は反対だけど、具体案はなにひとつない。具体案はなにひとつない」けれど、日本に何か仕掛けてくることは今後はなさそうなアメリカはいくらでも罵倒し、日本が申し訳ないことをした*5wから、日本が強く出られない中国には配慮が必要であり、中国による虐殺は大目に見ろ。だから我々は中国を非難しない」って無茶を言う反戦平和団体と、大差ないのかもなー、と思えてしまう。*6

*1:チベットは国連代表権を持たない被占領国であり、中国の領土ではない。

*2:どちらか一方ではなく双方が譲り合えばいいではないか、という意見があるのだが、「譲ると自分の利益がことごとく侵される」「譲ると自分が経済的に困窮する」「譲ると自分の生命が損なわれる」という条件が、排他的二者択一で双方に課されるようなケースだと、譲る=即死ケースにもなりかねないわけで、「譲る」というのは余裕がある側の喜捨のひとつ言える。だがこれは、デニス・ムーアwの故事にあるように富める者からの無限の搾取と立場の逆転を生み出す、または「弱者による強者の隷属化」という問題をも生み出す。日本国内などでの同和利権にあるような、被差別を主張する団体が結果的に特権的な待遇になる、というようなものがわかりやすい事例のひとつ。

*3:その意味で、北朝鮮の外交は巧みであると思う。コレまでの所、北朝鮮は勢力比が莫大な自国以外の五カ国を相手に、一ウォンの損もしていない上に、切り札も封印されていない

*4:陸軍の言い分を聞いているうちに、東條英機を総理大臣にするというところまで行ってしまって、以下略。

*5:という贖罪感によって、日本は常に一方的に積極的に譲歩すべき、っていう人は結構たくさんいるらしい。いつまで謝罪していつまで譲歩しなきゃならんのか、という問いに答えられる人は当然いないわけで、これはつまり「日本はもう一度戦争やって勝者にでもならない限り、未来永劫、謝罪を強いる国の言いなりにならなければならない」という、実にのび太的な国であることが望まれているわけなのだが、それって誰が得をするのかw

*6:つくづく僕は安全保障至上主義であって、平和主義ではないのかもな、と思う。つい最近もちょっと宗教方面の方と熱の入った話になってしまって、「あなたと同じ考えを世界中の人が持っているなら世界は平和になるが、あなたとは違う考え方の人が一人でも残っている限り、世界は平和にならない」と言うてもうた。正義正論というのは人の数だけある一面的なもので、絶対的な正義なぞありえない。故に、恒久的な平和というのは、同一の思想を全人類が共有しない限り達成不能なわけで、我々が手に入れることができるのは「平和」ではなくて「安全保障」が関の山である。平和はムリでも安全は欲しいよなあ、と思うのだった。