ポップ達人・リブロの店長

本日の来客は、リブロ汐留シオサイト/シオサイト汐留パートII店の店長。
客と言っても、頻繁にうちで飯を食うとか外で一緒に飲むとか一緒にライブ行くとかの仲なので、もはや客とは呼べない。うちに専用の置き箸があるくらいよく来るしw


で、店長はここんところ連続でテレビ出演しているらしい。
先だってのタモリ倶楽部で「ポップ職人」として出演を果たし、鴻上尚史に散々弄られていたwのだが、本日放映の、みのもんたのおもいっきりテレビでもポップ達人として登場してた。本人がポップを書くシーン+書かれた自画像付き手書きポップで出演。


飲んでるときの話題としてポップの話というのはたまに聞くのだけど、やっぱりポップというのは重要だよなと思う。
僕らが書いた本というのは、もちろんいろいろな思惑や主張や時に思想などが含まれていて、「とにかく読んで貰いたい、読めば言いたいことが伝わるはずだ」という呪いwが掛けられている。著者というのは言いたいことがいっぱいありすぎて爆発寸前の才人が多いし、編集者というのはその著者をもっとも効率よく効果的に爆発させるのが仕事でもあるので、思いの丈をみっちり詰めこんで本を完成させる。
次にその本を書店に営業して歩くのが出版営業さんの仕事。
どんなにいい本であっても、興味がない人は中身を確かめない。読めば人生が変わる本でも、読んで貰う、そのために店頭に置いて貰うというのはとにかく大変なのである。同じことを考えて作られている本が何千何万何百万点とあるわけで、その数だけ営業も行われている。
そうなると、「有名な人が書いた」「受賞作」「注目作」「今、流行っている/話題になっている」「売れている。○十万部突破」というような売りがあるものは俄然有利であるわけなのだが、その「有名人、受賞作、注目作、流行っている、売れてる」という情報をどうやって客の目に付くようにするかというと、版元側はそうした情報を帯に詰めこむ。
帯というのは邪魔だなー、と思われがちだがw、版元営業さんによるオフィシャルなポップというような役目も果たしている。
だが、これも、「平台に平積みされる」という前提である。平台に置かれないような本は、せっかくの帯=版元営業さんによる苦肉のポップも、目に付かない。
また、平台に積まれても、他社の他書も同じように帯をポップとして生かそうと躍起になっているわけで、やはり同じような形のものの中に置かれると埋没していってしまうのである。


一旦、書店の店頭に置かれてしまうと出版営業さんに手出しできることは少ない。もちろん、著者を引きつれて、著者手書きポップだとかサイン本だとかといった戦略もあるのだろうけど、サイン本はキズモノ扱いになるので返本できなくなるw*1 そのリスクを考えると、よほど矢継ぎ早に売れていくのが確定している本でない限り、サイン本はあんまり嬉しくないかもしれない。イベント+購入者にサインを入れるサイン会というなら別だろうけど、それだって著者に知名度がないと効果薄いしなあ。


そうなると、やっぱり書店員が「ホントにこの本はいい」とか「売れる。いや買うべき!」という呪い思いを込めて書いたポップというのは、結構でかい。
もちろん、ノルマで書いてる人とかもいるのかもしれんけど、リブロ店長によると書店員には「ポップ職人」という棚を作る職人的技術というのがあるらしい。本屋というのははたき掛けとレジ打ちしか働いているところが目に付かないが、実は物凄く激しい重労働である。加えて、やっぱり本好きだからこそ本屋という目の肥えたプロ読者wでもあるわけで、なまじの評論家よりよほど多く広範囲に読み、さらに「売れないと店の存続と自分の給料に響く」くらいの真剣さで読者=客に「買って!」と訴えかけている点で、書評評論家の押しよりも信頼が置けるものといっていいのかもしれない。
「達人による特色のある棚の作り方」の話なんかは、これまでにも聞いていて面白かったので、また酒で酔わせていろいろ話を聞こうとか思う。


今夜の客はリブロ汐留シオサイト/汐留パートⅡ店・店長です。


本屋は戦争
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3174018




僕の本もポップ達人の手によるポップを書いてもらおうかと思ったんだけど、「極」怖い話、「弩」怖い話「超」怖い話、怪ダレ、どれひとつとして、オサレなビジネスマンの街・汐留では売れそうにないというか、入荷も配本もされそうにありませんorz

*1:ちなみに、サイン本というものに価値が付くのはサインした当人が有名になった場合と、オークションなどに出た場合などで、サイン本をブックオフに持っていっても「キズモノですね」と買いたたかれるか引き取りを拒否されるらすぃw サイン本というのは「返すなよ? 転売するなよ?」という警告ではあるまいかw