心配性

実話怪談作家の必須能力は、ネガティブ思考と超心配性だと思う今日この頃。
「そんなことないさ、うまくいくさ、気にすることないさ」
というポジティブ思考というかお気楽思考でなければ、苦難苦境は切り抜けることができないわけで、そういうポジティブ思考はとっても重要。
その半面、「別にどうってことない」「だからどうした」「それが何?」という思考は、目の前の事象のその先の先、事象の陰に隠れた可能性だの見落としがちな兆しだのといったものを軽視させてしまう。
実話怪談は、事実そのものが驚愕に満ちている=お刺身的わかりやすさだけではなく、カブトの奥、カマのスキマに潜んだアラの美味しいトコ的な些細な見逃しに注視することから、発掘されるというものでもないかと思う。
体験談のどこに注目するか、何について一際目を奪われるか、なぜそこに執着するかというのは、実話怪談著者によってそれぞれ異なるのだと思う。体験者がそのときに着ていた服のディティールにこだわる人もいれば、方言であったり、体験者の出自や幼少時からの蓄積を知りたがる人、体験者が語り忘れているミッシングリングに執拗に執着する人などなど、そのとり憑かれ方というのは様々で、それが個々の著者による作風の違い、手触りや恐怖の感じ方の違いになっているのかもしれない。

また、読者の側にも「もし、○○○だったらどうしよう?」という過剰なネガティブ思考というか、心配性なところがある人ほど、そこに書かれている内容から最悪の展開を予想してしまう。お話が読者の予想を上回る最悪に落ち込んでいくと、「ああ、なんてことでしょう!」と天を仰ぎ見るし、読者の予想を上回らない場合は「ああ、くそ、なんてこった!」と目を伏せるw
要するに、心配したくて心配したくて仕方がない人=心配性=怖がりなのに怪談に惹かれてしまう人、ということなのではないかと思えてくる。
僕自身、怖いモノは嫌い。なのに、なぜか怪談が生業。
この矛盾はなんでだ、と謎に思い続け、その折々で自分にとって納得できる答えを探し続けているのだけど、この「無闇に心配性」という性格が恐怖に吸い寄せられる要因なのではないか、と考えると、ちょっとツボに入るというか、「かもしれない」と納得できるような気がする。
なるほど、確かに僕の中にも「心配性」の虫がいる。


電車で移動するときは、約束の時間の15分前には現地に着いていないと心配だし、新幹線に乗るときは発車の20分前にはホームにいたい人だ。飛行機はなんとなく落ちそうなので敬遠し、どうしても乗らないといけないときは、出発ロビーには一時間前から待機する。電車の移動より車、車よりバイクでの移動を愛するのは、「到着時間・移動時間を自分で調整できるから」だ。*1
締切日が10日後だと言われたら、3日前には原稿ができあがっていないと不安で、かといって引き渡し当日までの3日間はできあがった原稿を放置して眺めているだけだったりする。3日余計に早く上がったという安心感がそうさせているのだと思うw


なんでこんな性格になったのか記憶を辿ってみると、おそらく幼少時の体験によるトラウマなのではないかと思う。
子供の頃、小学校に上がる前だったか後だったかは定かではないんだけど、両親に連れられて東京モーターショーに行ったことがある。新幹線の駅(東京駅)で、移動中のヒデとロザンナを見たのが、「生芸能人目撃」の初体験であったw
この家族旅行は、三島から新幹線(こだま号)での旅だった。
行きは順調に行ったと思うので、記憶にはあまり残ってない。
帰りは、出発間際にホームに駆け込んだら、目の前の新幹線が正に出発しようかってところだった。
うちの父親が「大変だ、急げ!」と僕ら家族を急かし、家族一同、わーっと乗り込んだわけなのだが、それが「ひかり号」だった。
今はひかり号も各駅停車だったりするのだが、当時の東海道新幹線では、こだま号が各駅停車、ひかり号はそうではなくて、東京駅を出ると次の停車駅は浜松名古屋かなんかだったと思う。新横浜、小田原、三島はおろか、新富士(まだない)、新静岡、浜松あたりにも止まらない。
もちろん、自由席があったかどうかはわからないけど、少なくとも空き席はなかったような気がする。僕ら家族は新幹線の連結器近くの小さなフロアにしゃがみ込み、「お父さん、僕たちどこまで行くの?」と心細く聞いた記憶がある。
いかに新幹線が速かろうがw当時のひかり号が夕方に東京を出て名古屋に着くのは子供にとっての深夜だったと思われ、僕は停まってくれない新幹線に乗せられたままどこか遠くに連れていかれる不安に怯えつつ、途中泣き疲れて寝てしまったのではないかと思う。
名古屋からこだま号に乗り換えて、沼津の自宅に戻ったのはきっと深夜だっただろう。


意外にはっきり覚えてるなw
でも、たぶん僕が電車の時刻表を信じないとか、やたら早めに出るとか、乗換駅では走るとか、出発の一時間前になるとそわそわし始めるとか、そのへんのやたらと心配性になった原因の一旦ではないかと思える。


そういや、心配性を併発するもうひとつの事件があった。
やっぱりこれも幼少時の話で、小学校に上がる前だったか後だったか……。
当時、「雪滑り」「雪遊び」と称して、冬場になると富士山に連れていってもらってた。
富士山に、と言っても、スキー場に行くわけではなくて、車にソリを積んで行って五合目に行く途中の林道あたりでソリ滑りをして遊ぶのだ。スキー場に行くより安いうえに、林道はあちこちにあり、人もほとんどいないので、林道の雪道はほぼ占有状態になる。
親としても雪山で遊ばせるには、安い遊びだったのではないかと思うw
で、ある年の冬、例年のように雪滑りに連れていって貰った。
雪遊びに夢中になっていたので気付かなかったのだが、ふと気が付いたら母親の姿がない。父親も特に慌てている風でもなかったので気にせず遊び回っていた。
だが、夕刻になっても帰る気配がない。
やがて、母親が知人と一緒に車でやってきて、それから僕らは富士山を下りていったわけで、このへんの記憶はやはり若干曖昧だ。
この件については、無事に降りてからわかったわけなのだが、車のトランクにうっかりインキーをやらかしてしまったらしい。
帰ろうにも車のキーはトランクの中。
周囲に人影どころか車通りもなく、このままでは凍死も免れない寒さ。(夜の富士山はシベリアです)
で、自宅にあるスペアキーが必要だってんで、うちの母親がヒッチハイクで車を拾い*2、なんとか山を降りて沼津の自宅までたどり着き、それからスペアキーを自宅の箪笥から見つけ出して、今度は知人に頼んで車を出して貰い、何も知らない僕らが遊んでいる雪山まで戻ってきた――ということだったらしい。

この事実を知らされたのは、後になってからだったと思う。
が、やっぱりこれは僕の心配性を加速させる遠因になった。
「もしこうだったらどうしよう」
「もうだめだ。きっとだめだ」
この過剰なネガティブ思考が、常に最悪を予感させて日程先走りとか、過剰計画とか、無駄に念入りとか、そういう方向に自分をし向けているのかもしれない。怪談屋としての必須能力に「心配性と執着心」があるんだとすれば、たぶん、僕の怪談屋としての原点はそこらへんにある。


うっかりひかり号に飛び乗ったのは父親で*3、うっかりインキーをやったのも確か父親だったと思う*4ので、僕の直接の人格形成に寄与したのは父親である。*5
で、そのわりに当の父親はあんまり動転してなくて、事あるごとにその横でおろおろして「大変だー、大変だー」と大騒ぎしていたのが母親であった。
幼少時の僕はその母親が動転する姿を見て、「そうか、今僕たちは大変なことになってるのか!」と動転が伝染しw、異常に心配性な人間になってしまったのではないか。


人格形成は先天的な(DNA由来の)ものだという説がある。
しかし、後天的な経験に基づくものだという説もある。
どちらが正しいかは知らないけど、僕の場合の「心配性」というのは、やはりどうもこの両親の共同作業の結果であるような気がする。
怪談作家になるべく資質は、子供の頃に親に与えられていたということになるw


で、このblogは大した出来事がなくてもなんとなく書き続けているのだけど、これは日々の記録を残すということだけが目的ではない。(人前にはさらけ出せないような個人的な記録などはできないわけでw)
うちの母親は65歳くらいからパソコンを使い出して、ぼちぼち8年くらいになるのだが、このblogを毎日チェックしてるらしいのである。
で、一日でも書いてない日があると「死んだんじゃないか!」と、いきなりど真ん中な心配をして電話を掛けてきたりする(最近はskype)。
死なねえよ!w
そりゃ確かに自宅作業の多い仕事だけど(^^;)
死んだら死んだで、家人から連絡いくよ!
きっと、誰かがこのblogの最後の日付のエントリーにお悔やみとか書くと思うよ! たぶん。きっと。いや、そうだといいな。


この子にしてこの親有りの典型というか、僕など足下にも及ばない心配性だと思う。
なので、「今日もなんとか生きてるよ」ということをさりげなく発信し、心配性を緩和させるためにもこのblogはなるべく空けずに書かないといかんらしい。


とにかくもって、子供の人格形成と日常生活に影響を与え続ける親で困るw




そういうわけで、今日はこれからハイトニックのライブです。
行ってきます。
18:00上野です。急がないと間に合わない!

*1:疲れるけど

*2:正確には、同じ林道で雪滑りをしていた見ず知らずの人が麓まで送ってくれたらしい。(母談)

*3:その原因は、「東京駅でビール飲んでいい気分になってた」かららしい(母談)

*4:これは僕の記憶違いで、ヤッケのポケットに車のキーを入れたままトランクを閉めてしまったのは母親らしい(母談)。父、疑ってゴメンw

*5:そういや、泳げなかった幼少の僕をディンギーで沖へ連れだし、泳がせるために海に笑顔で落とそうとしたのもこの人だwww