クラスター弾

何かを判断するときには、できるだけ「正しい情報」を、できるだけ「たくさん」得る必要がある。
この場合の「正しい情報」というのは、正義の情報という意味ではなくて、「ソースが確かで、一次情報(一次発言者)に近く、オリジナルの発信内容に即しており、詳細で信頼性がおけるもの」という意味。「正しい=正確」と言い換えてもいい。
自分にとって不利益な情報であったとしても、正しく把握していればそれに応じた対処が取れる。不利益な情報について不確かな知識しか得ていなければ、見当違いの対応しかできない。
そして、その「できるだけ正しい情報」を、「できるだけたくさん」手に入れることで、得ている情報が正しいかどうか、不足部分がないかどうか、ソースAによる解釈と説明に不足がないかをソースB、C、Dで確かめて補う、などを行うことで、より正確で信頼性の高い情報を得ることができる。
そうして得た情報というのは、「正しい判断」をするために必要であるわけで、どれほど正しい判断力(というか、正気)を持っていても、正しい情報に基づかなければ正しい判断結果を得ることはできない。
方程式が正しくたって、代入値が正しくなければ、得られる解は大間違いであるわけで。


ここまでを踏まえた上で、「正しい(より信頼性のある)情報を、よりたくさん得た上で下される結論は、概ね一致する」と結論できる気がする。
判断材料が多く、そしてできるだけ同じ情報を共有しあったら、結果的に誰が判断しても同じ結論しか選べないのではないか、というお話。
持っている情報や立場*1をできるだけ共有した上で、判断しましょうね、というここまでの話は「クラスター弾」を考える上での枕です。なげー。


さて、「日本は欧州の後追いという形で、クラスター弾の禁止条約を認めるつもりらしい」というのが、危険とわかっているクラスター弾を航空機に持ち込もうとして、空港で誤爆させてアンマンの空港職員一人を爆殺してしまった経験がある毎日新聞の報道であり、これが「日本は地雷全廃に続き、クラスター弾全廃に踏み出す」という確定路線のような方向の報道と世論形成の原動力になっている、ということを、まず踏まえた上で、

  • そもそもクラスター弾とはなんぞや?
  • なんのためにあるの?
  • なくなるとどうなるの?

を考える必要がある。

  • 人殺しの道具だからないほうがいい
  • 戦争で民間人を巻き込んで無差別殺戮する兵器だからないほうがいい
  • 兵器をひとつでも減らせば世界平和が近付く

というのは、「現状認識と正しい判断に必要な、正しい情報の入手と共有を拒んで、自分にとって都合のいい情報にのみ固執して、誤った判断によって自発的に思考停止すること」であり、不都合なことには耳を塞いで空想上の幸せに安住するという一種の宗教であると思うので、この際、改めた方がいいと思う。お節介かもしれませんが。

政治的な話

まず、今回の毎日新聞報道には、情報受信者の誤解を承知の上での誤誘導があることを、見落とさずに知っておく必要がある気がする。

まず、このクラスター弾禁止条約というのについて「日本も合意する方針(らしい)」というのが現状で、確定でもなければ合意もされていない。
まだ。仮に確定して合意したとして、「条約への合意=即条約の発効」ではない。
国際条約というのは、その取り決めを参加国間で細かく詰めていって、条約の文章ができて、その文面に参加国が合意した後に条約の採択が行われる。
が、条約を採択したらそこで発効するのかというとまだ発効しない。それだと、政治家や外交官が個人で勝手に約束してきたことが、片っ端から日本人全体の義務になってしまう、ということが起こりうる。
条約が採択されたら、今度はそれを各国代表は自国に持ち帰って、「批准するかどうか」を決めることになる。
この批准の方法というのは各国の政治形態によって違うわけで、間接民主主義(日本などのように、国民の意思を代行する者として、国会議員(議員)を選出し、間接的に判断を委ねる方式)の場合は、議会の議決に委ねられる。議会が、条約に合意した政権の与党で占められていて、政権が与党を掌握できていて、なおかつ野党もこの政府案に合意した場合は、賛成多数ということで条約案は批准され、正式にその条約の制限を受けることになる。反対多数の場合は批准されないので、採択に合意していても条約の制限は受けない。
EU加盟を巡ってスイスなどは国民投票を行っているが*2、国内の同意を得ないと、批准されない、条約が発効されないというのは同じ。
今回のクラスター弾禁止条約については、米露中韓朝はそもそも廃止論そのものに反対しているので条約に参加していない。
もちろん、条約不参加国は条約の制限や罰則を受けない。


中露韓朝と、日本を取り囲む国々と日本は現時点では大きな軍事的緊張はないものの、日本に対して対立・競争・軍事的威圧を与え続けている仮想敵国(または防衛対象国ともいう)であるのは確かであるわけで、そうした国々はクラスター弾の使用を自粛していない。使用禁止にむしろ反対しているわけだ。
これはつまりどういうことかというと、日本にそうした国々が攻撃を仕掛けてきたとき*3、相手はクラスター弾を使い放題、もちろん、それについての制限も使用したことについての制裁もないが、日本側はクラスター弾は使えず、使ったら罰則/制裁の対象になる*4、というようなこと。


日本人の多くは「条件が公平なら負けない」「(条件の)不公平を嫌う」という傾向が強く、「こちらが持たないんだから、相手も持たないべきだ」「相手が持っていないものをこちらが持つのは卑怯だ」という考えを持つ。
スポーツならそれは正しい。
だが、生存競争においては、「勝てる条件を、戦いが始まる前に整える」ということが何より重要で、勝てる条件を整備できなかった時点で、それは負けである。逆を言えば、勝てる条件を整備し、相手に「絶対にこちらが勝てる。相手は絶対にこちらに勝てない」ということを自覚させることができれば、そもそも戦わなくて済む。*5

技術的な話

クラスター弾クラスター爆弾、というのは厳密には間違い)というのは、どういったものか。まず、これを把握する必要がある。
純粋に機能について言えば、クラスター弾は「親弾(ロケット弾)の中に、数百の子弾(子爆弾とも)が内包されており、目標上空で親弾から子弾が射出されることによって、点ではなく面に対して打撃を与えることができる兵器」ということになる。
もっとわかりやすく言えば、拳銃・ライフルは、一回の射撃で1発の弾丸を発射する。一発の破壊力はあるが、当たらなければダメージはゼロ。これに対して、散弾(ショットガン)は一発の破壊力は小さいが、一回の射撃で複数(数十〜数百発)の鉄の玉を射出するため、ターゲットを正確に狙わなくても、ターゲットの周辺一帯を広く面で攻撃できる。
この散弾をロケット弾に置き換えたのがクラスター弾
古いアニメ世代向けに言うなら、宇宙戦艦ヤマト劇場版「さらば宇宙戦艦ヤマト」に登場した、多弾頭ミサイル、というアレと同じで、一発発射した後、敵の頭上で数百の細かい子弾が雨あられと降り注ぐため、受ける側は迎撃(弾頭の各個撃破)もできなければ、その一体周辺が広くダメージを受けるため、少ない弾頭(発射数)で点ではなく面の制圧攻撃ができる、というもの。


運用上、低い高度で子弾を発射すると「面制圧」の効果が薄く、子弾を発射する高度が高すぎると、子弾が散らばりすぎて面制圧の効果が「高く生りすぎる」=巻き添えが増える、可能性が高まる。また、子弾が小さいため、風の影響を受けやすい。精密誘導弾と違って、子弾は着弾地点を子弾それぞれが自己誘導できないので、風で目標を外れるということが起こる可能性がある。

クラスター弾の子弾頭は、散弾さながらの鉄球だったり、爆弾だったり、装甲車の上面装甲破壊を目的にモンロー効果で焼けた金属を高速発車するものだったりと様々。使用目的&使用対象によって異なるものらしい。地雷をばらまくタイプのものもあるが、「小さな爆弾がたくさん入っている」「小さな地雷がたくさんばらまかれる」という【だけ】のものでもない。
毎日新聞の五味記者がアンマンの空港に持ち込んで誤爆させたものは、「子爆弾」タイプだったが、対着上陸作戦で使われるクラスター弾は、爆弾タイプではないものも多い。

クラスター弾は、低高度で子弾をばらまいた時など、子弾が爆発しない場合がある(爆弾式の場合)。不発率は1%〜40%と幅広い数値が言われていて、実際にはどの程度の不発率なのか、正確な数値がわからない。反戦論者の言う不発率は最大値を取るし、戦術上厳密に言えばその数値は小さくなるものの、不発率の公開は軍機に抵触するため、あまり詳しくは語られない様子。このため、反戦論者の言う最大値ばかりが一人歩きする傾向がある。

戦術論

クラスター弾がなぜ必要なのかについて。
クラスター弾は、攻撃用について言えば、戦車群など広域に展開する機動部隊/機甲部隊を無力化するために使われる。戦車というのは対戦車戦や歩兵からの攻撃を念頭に、側面の装甲をもっとも重視している。しかし*6側面よりも真上*7の装甲がもっとも脆いと言われていて、戦車を無力化するには、

  • キャタピラを寸断する
  • 通過する瞬間に戦車の真下で地雷などを爆発させる*8
  • 垂直に近い真上からの落下攻撃で、装甲を貫く

などなどが考えられる。
クラスター弾は、この「戦車を真上から叩く」ことで、戦車を無力化することに使われる。また、戦車と同時に進軍する歩兵輸送車/露出している歩兵も、同時に真上から叩くことができる。


日本の自衛隊クラスター弾を配備しているのは、着上陸作戦を水際で食い止めるための、防衛兵器として。
日本は専守防衛を国是としている。
これはぶっちゃけていうと、「戦争を仕掛けられたら、できる限り領海/領空で食い止めるが、領海/領空で阻止できない場合は、敵の着上陸を水際(本土の海岸線)で食い止める」ということになる。
つまり、日本は「攻めてくる敵を、敵の本拠地を叩くことで阻止する」という戦術/戦略は、国内法*9で禁止されているので、空自/海自の防衛戦を突破されたら、いきなり本土決戦になる、ということだ。


で、日本には自衛隊員というのは人数で言うと25万人*10くらいいるのだけど*11
もちろん、この25万人というのは、非番だとか休暇中だとか教導隊だとか……そういった各地の駐屯地全てをひっくるめた数字なので、部隊の全てを投入できるわけではない。
例えば仮に「中国(北朝鮮でもロシアでも可)が西日本の【どこか】に着上陸するらしい!」ということになった場合、それが長崎県なのか佐賀県なのか福岡県なのか山口県なのか鳥取県なのか島根県なのか福井県なのか新潟県なのか……どこかわからない。
もちろん、装甲車両や大部隊が着上陸できる場所、船が着けられる場所、強襲揚陸艦が上陸できる場所*12というのはある程度限られてくるものの、それがどこになるのかは特定できない。数万人以上の陸上戦力というのは、それを移動させるだけでも数日以上を要する。「敵が攻めてくるぞー!」という報道とデマの中で右往左往する数十〜数百万の避難民が主要道路を埋め尽くしている状態では、数万の自衛隊が「どこに上陸するかわからない敵」を迎え撃つために移動するのは、至難の業だ。
日本史に言う元寇を見てもわかるように、着上陸されてしまうと防御は非常に難しい。特にソフトターゲットである非武装の民間人は格好の標的であるし、それらを戦闘地域で庇いながら防衛を行うというのは、気が遠くなるほど絶望的な「防御作戦」となる。
自衛隊というのは、ほんとに金も装備も足りない組織であるわけで、こうした「平成の元寇」が起こった場合、着上陸部隊に対して兵員人数で対抗するのは、激しく困難だ。


そこで、「その場所に自衛隊員がいなくても、敵の着上陸を諦めさせる防衛兵器」が必要になる。自衛隊員は飯もクソもしなければならない人間であるわけで、着上陸されるかどうかわからない場所に貼り付けておくにはコストが掛かりすぎる。
そこで、飯も食わずクソもしない、つまり敷設してしまえばそれ以上のコストが掛からないが、いざ着上陸が始まったら防御力として有益な兵器、というのが必要になる。人間の兵士を配備するより、そうした兵器を一発配備した方がコスト的にも安く【防衛ができる】のだ。
この防衛兵器として、過去にもっとも有益だったのは、地雷だった。
地雷というのは知っての通り、敷設した地雷の上を何かが通過しない限り爆発せず、通過するまでいつまででも潜伏させ続けることができる。飯もクソも心配がない。
だが、知っての通り、戦争終了後に発見が困難だったり、民間人が踏んで爆発したりといった問題が起こる可能性があるため、国際的な地雷廃絶条約が交わされた。日本もこれに署名批准している。
その結果、日本の膨大な海岸線を守る方法としての地雷は、放棄せざるを得なくなった。


その地雷に変わって、「着上陸する敵を点ではなく面で攻撃できる」「防御の難しい、真上からの攻撃を行える」「展開する上陸部隊を小隊・中隊・大隊規模でまとめて攻撃できる」という防衛用戦術兵器として、地雷廃絶で空いた穴を埋めることになったのが、クラスター弾だ。
砲弾として、或いはMLRSなどの多連装ロケットシステムによって、着上陸を開始した直後の敵の頭上にクラスター弾をばらまくことで、予め埋めておく地雷に比べて、「後から使える」「同様の面の制圧効果が見込める」などの戦術的効果を得ることができるようになった。


クラスター弾は、前項でも触れたように何割かの不発弾が発生する可能性を避けられないのに加えて、攻撃対象地域が敵・味方・避難民が入り交じっている様相になっていたら使えない。敵味方を区別して敵だけに打撃を与えるという使い方はできないからだ。
「民間人を巻き込む恐れがあるのではないか(避難し遅れた人が、戦闘地域を横断する可能性がある)」「戦争が終わった後、不発弾の撤去が難しいのではないか」というのは、このあたりを根拠とした懸念。


クラスター弾は、民間人を巻き込む恐れがあり、戦争が終わってから被害が出るから反対」という意見はごもっともなのだけど、着上陸迎撃作戦で自衛隊が日本国内でクラスター弾を使う理由というのは、自衛隊は「敵が本土上陸してくるまで、迎撃できないから」に終始する。専守防衛を堅持する限り、日本は戦争になったら(勿論この場合の「なる」というのは、専守防衛なのだから、攻撃を仕掛けられるという想定以外ない)、必ず民間人が敵の攻撃に晒されることになっている。自宅の門から暴徒がなだれ込んできて、自宅の庭に入ってくるまで殴り合いができない、ということだ。
そしてこれも忘れられがちなのだけど、クラスター弾は迎撃側にとってのみ有効な兵器ではなくて、着上陸を仕掛ける側にとっても非常に有効な兵器と言える。もし、悪意(というより、戦争を仕掛ける側にとっての全幅の信頼のおける正義)に基づいて、「日本人は悪いから、片っ端から殺してよい」という拠り所を持った軍隊が着上陸作戦を日本に対して行うとしたら、クラスター弾自衛隊などのハードターゲットを攻撃するためだけでなく、市街地と幹線道路を寸断し、避難民を混乱させて自衛隊の手間を増やすために、着上陸【する側】が使うだろう。
自衛隊は移動に通常の幹線道路を使わねばならず、兵站は市街地の民間のものをある程度共用することになる。仮に、民間用の給油施設その他を自衛隊が使わなかったとしても、着上陸【する側】は、こう考える。自衛隊が補給に使える兵站施設を予め潰しておこう。そうした施設の周囲に民間人がいたとしても、それはやむを得ない。
東京大空襲で東京が空爆されたのは、軍施設が市街地にあったため、とされている。戦争に勝った側は、その作戦について指弾されることはない。


クラスター弾を使ったら戦後に子供に犠牲者が出る」という理由で政府を批判するというのは、戦争終了後、日本が勝つかまだ主権を維持しているという前提に立っている。
だが恐らく、日本は使わないけど着上陸してくる敵がクラスター弾を使いまくって、市街地のあちこちにB-29の不発弾より遥かに小さくて見つけにくい不発クラスター弾がばらまかれることになっているはずだ。その場合、日本はその攻撃を行った側の国の支配下に置かれている。戦争に負けたら、一切の権利の主張などはできないのが歴史のルールだ。
「子供に犠牲者? 日本鬼子の子供が死んだ? だから何?」
常に慈悲深いマッカーサーが、戦後の支配者になるとは限らない。

クラスター弾廃止、ok。では、代替策は?

現状のクラスター弾に不発弾(自己破壊機能の欠如=信頼性の低さ)があるのは確か。
今回のクラスター弾廃止に向けた条約では、欧州(英軍)などは、「信頼性が高く、自己破壊機能があり、不発弾が少ない新型のクラスター弾は、廃棄の例外とする」という条件付けをしていて、旧来の信頼性の低いクラスター弾の廃棄と引き替えに、新型のクラスター弾の配備を進めている。
日本の場合は、旧型のクラスター弾の廃棄と引き替えに、新型のクラスター弾を配備できているかというと、実は予算の関係で新型クラスター弾の配備はまったく進んでいない。
つまり、現有のクラスター弾を廃棄してしまったとすると、敵の着上陸作戦に対する対応策(代替策)は、一切ない、ということになる。


最初の項でも触れているけど、日本に攻撃・着上陸を仕掛ける能力があるのは、中国とロシア。*13冷戦時代は、ロシア(旧ソ連)が北海道に対して着上陸作戦を敢行する可能性があったため、現在の陸自というのは北海道に新型旧型を含めた戦車/機甲部隊を多く配備していて、北海道への着上陸には備えてきた。
が、現在ではその着上陸作戦をする動機があるのは、ロシアよりもむしろ、中国・北朝鮮*14
双方を兼ねている中国*15が、もっともその対象となる可能性が高い。*16


そして、中国、ロシア、韓国、北朝鮮、いずれも今回のクラスター弾禁止条約には反対しており、参加していない。
日本がやめた、と言っても、日本と対立する国々はそれに同調していない。ここが重要。


もちろん、「戦争を仕掛けるほうが悪い」と、攻撃してくる相手を非難することはできるが、国際社会が声を上げてもチベットの上京が改善しないのを見てもわかるように、攻めてくる敵に向けて非難罵倒を浴びせかけても、実際にはなんの効果もない。
結局のところ、実力行使に対して実力で備えるという備えは、各自が自力でしておかなければならないところ。
卑近な例に例えるなら、「泥棒に入られた。泥棒するほうが圧倒的に悪い。だが、泥棒に入られる可能性を考えて、玄関や窓に鍵を掛けておく(=自衛)をしておくべきで、それを怠って泥棒に入られたなら、自衛をしなかったほうにも幾許かの手落ち(原因)がある」と言われるのは当然の話。
世の中が全て善人で、内心の善意に訴えかければ犯罪は起きないのであれば、全ての家の玄関に鍵は不要で、すべてのCDショップ&ゲームショップには、万引き防止ゲートなど不要ということになるのだが、実際はそうはならない。そして、それを阻止するための備えがなければ、結局の所「困るのは自分」ということにもなる。
犯人を罵倒しても現状復帰ができないのなら、犯人に犯罪を起こさせる意欲をなくさせるよう、備えておくほうが被害は少ない。
玄関先に監視カメラを設置し、セコムに入り、インターホンで確認し、玄関ロックは二重にし、という防犯のための投資は、泥棒に入られない限り「無駄な投資」でしかないけれど、そうした備えがされているということがわかれば、泥棒は危険を冒してまで盗みに入ろうという意欲を挫かれる。それがあることで、行使しなくても抑止できる、そのための備えに対する投資というのは、被害が出てみるまで価値がわからず、被害が出ない=効果が発揮されているときほど、ありがたみがわからない。
クラスター弾に限らず、軍備・防衛装備というのは抜かずの真剣であることが望ましい。しかし、いざとなればいつでも抜ける、鞘の中で決して錆びていない、ということが「斬られる側」にも承知されていなければならない。「まさか抜けるはずがない」「あの鞘の中身は竹光だ」そう思われてしまっては、刀は抑止兵器として意味をなさない。


これについては、吉田茂元総理による、防衛大学第一期卒業式での有名な訓辞が、その本質を言い表していると思うので引用しておく。

「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
 言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
 どうか、耐えてもらいたい」
昭和32年2月、防衛大学第一回卒業式にて)

防衛力は何のためにあるのか

軍隊が武器を持っているのは、それを使って戦争をしたいから……と考える人が反戦主義の人々には結構多いようなのだけど、これについては大きな声で反論を述べておきたい。
少なくとも、日本で言えばもっとも戦争に行きたくない人種というのは自衛官だと思う。いざ戦争になったら、真っ先に戦場に投入され、死んでしまう可能性が高いのは自衛官である。避難は許されない*17
僕のさほど多くない繋がりの中でも、自衛官の知り合いの方々というのは、いずれも血気盛んなわけでも早く戦争してー、と思ってるわけでもない。むしろ、「このまま戦争がないまま、平和に退役できたらどんだけー」というのが本音ではないかと思う。
しかしながら、「いざ」というときには真っ先に殺される覚悟をした上で、非武装の民間人の楯になるべく敵を排除……はっきり言えば敵を殺す覚悟を、訓練や防衛装備*18の操作の習熟によってその身に刻んでいるわけだ。


日本の伝統芸能の多くや、農業の多くは、担い手の不足を機械化で補うことで命脈を保っている。菓子職人、佃煮職人は昔ながらの道具に加えてカッターやクレーンを仕事場に持ち込んでいるし、農家の多くは田植機やコンバインの力を借りなければ農業の継続すら怪しい。
自衛隊も同様で、自衛官の手が回らない地域を、「高性能な、自衛官の代替装置/兵器」で補う必要はあるわけで、クラスター弾もそうした「足りない兵力を、工夫で補う」ために配備されたものであることは確かだ。


不発率の高さ=民間人への被害の可能性=信頼性の低さが問題だから、旧型のクラスター弾を廃棄すべきだ、というのはこれはこれで一理ある。
ただし、「旧型のクラスター弾の廃棄に伴う戦略上・戦術上の安全保障の空白を埋める、新型クラスター弾の配備と予算承認」はすべきではないかな、と思う。


この話が出るたびに、「だったら天下りを云々」「防衛省の役人の汚職を云々」という話が出る。もちろん、天下りの弊害や汚職については指弾されるべきだろうけど、比較されるコストや必要コストで補われる効果(投資対効果)の規模が桁違いに違う。
感情論や建前論、宗教的理想論、反戦平和を謳う自分の姿に酔いしれて、「危ない兵器の廃絶に賛成!」と両手を挙げて喜んでる場合でもないのである。





そういえば、アフガン戦争の頃だったか、社民党の福島代表が「米軍の空母からB52が毎日のように発進して空爆をしていて」というような発言を国会でしていたことがあった。
B52というのは、戦略爆撃機であって航空母艦から射出できるような大きさの飛行機ではないのである。物理的に無理なのである。アイランド(艦橋)が吹き飛ぶのである。
http://www.masdf.com/news/b52cv.html


僕は比較的程度の軽いミリヲタであるという自覚はある。
これは、技術が好きで安全保障に興味があるからなのではあるのだけど、ある特定の何かについて賛成/反対の意思表明をするには、それがどういうことで、どういう意味を持つのかについて、ある程度の知識を持つ必要はあるなあ、と思う。


「戦争は反対だし、平和なほうがいい」という総論について言えば、一も二もなく賛成したい。でも、「戦争反対、平和なほうがいいから、まず自分達が真っ先に武器・兵器を捨てて非武装になり、敵が上陸してきたら無条件降伏して命乞いをしましょう」というような各論には、あんまり賛成できない。
進駐軍が、いつも民主的な米軍とは限らないからだ。*19


持っている情報が偏っていると、その偏った情報を与えた情報提供者の意図に、いいように操られてしまう恐れがある。
新聞がそう言った、テレビがそう言ってる、テリー伊藤が言うからには正しい、みのもんたを信じよ。そういうソースへの盲従と、「自分は正しいことを言っているはず」「自分は当たり障りのないことを言っている」ということに身を委ねて、考えることをやめていると、「そんなことみのもんたは言わなかったよ!」っと慌てる日が来るんじゃないかなという気がする。



とりあえず、現職の国会議員の中でこの問題についてもっとも詳しいのは、ヒゲの隊長こと佐藤正久参院議員であると思う。昨年の参院選直前まで現役の陸自隊員であり、政治的発言や独自の政治的意志を持つことが許されない自衛隊自身が内包する現実や不安について、おそらくもっとも詳しい議員と言える。
http://east.tegelog.jp/index.php?itemid=1159&catid=164


戦争は否定されるべきだ。
兵器は忌み嫌われるべきだ。
ただし、それについて深く学んだ上で否定すべきだ。
腫れ物に触れず、診療もせず、治療もせず、ただ患部を忌み嫌って目を背けるのは、迷信に基づく無知に過ぎない。


僕らは、もっとたくさんのことをよく知った上で、判断をすべきなのだと思う。
そして、できるだけ多くの情報を得れば得ただけ、辿り着く政界は似通ってくると思う。


都合良く心地よいソースだけを重用し、批判して罵倒しても命までは取られない相手を心ゆくまで罵倒する、ってだけじゃ、ダメなんじゃないかなあとか思う次第です。


やめろ!って無責任に言うのは簡単だけど、やめた結果起きる問題をどのように解消するのかについて、事前に準備や代替策を講じないで、ただ闇雲にやめろやめろ、と言うのは無責任。
これは、昨今の「次期政権政党になりそうな政党」が盛んにやらかしていて、反対の声は喧しいものの、それをやめたときの対応策が庸として聞こえてこない。……まさか、無策なのではないよね? 旧日本帝国軍のように「気合いと精神力でなんとかせよ」とか言わないよね?





なお、僕は軽度のミリヲタ&安全保障好きではあるのだけど、「軽度」ってところがミソ。より深くより多くの情報を持っているエキスパートはこの世にごまんといるわけで、そうした人たちの意見も聞いてみるべきだろうと思う。
また、現役自衛官の多くはこの件について現場としての意見を「言いたくても言えない」という状況下にあるだろうし、それよりは多少は条件が異なる即応/予備役自衛官であっても、置かれている状況はあまり変わらないかもしれない。


付記

「地雷・クラスター弾は非人道的な兵器なのでよくない」という意見を、反戦平和団体系の方々の意見として散見した。
基本的に兵器というのは敵兵力の無力化(敵兵の殺害/敵兵器の破壊)を主眼に置いているので、人道的もへったくれもないのだけど、「敵兵を殺害せずに、人道的に対処する非殺兵器」というのも、一応ないではないので、余談として触れておく。
つい先頃、米軍が実際に実験してた暴徒鎮圧用の光線兵器wなのだが、ぶっちゃけて言えば電子レンジの中身のような光線を浴びせることで、対象の皮膚表面を高熱にする、というもの。よほど長時間浴びせかけない限り死なないけれども、「痛くて熱くて、死んだ方がまし」というほどの痛みを与えることで、戦意を喪失させるものらしい。
似た概念の非殺兵器には*20、猛烈に腹痛&便意を催させ、戦闘どころではなくさせてしまう、というものもあった気がする。その効果たるや笑い所ではないらしい。
ただ、これらはいずれも照射中止/効果が切れれば死にはしないのだから非殺兵器とは言えるが、人道的なのかどうか。
むしろ、非殺兵器ほど人間の命は奪わないけど尊厳を奪う兵器のような気はしなくもない。もちろん、殺してしまうよりは殺さずに無力化のほうが遥かにましと言われればそうだけど、命を救ったからといって敵が戦意を失うわけではないし、それを恩に着るとも限らない。(古代中国や戦国時代の日本の例を引けば、報復を根絶するもっとも効果的な方法は、情けを掛けて命を救うことではなく、報復されないように絶滅しておくことだ、ということになるが)


「自分がやらないから相手もやらないはず」というのが、非武装平和主義の考え方なのだけど、これは同時に「自分がやるから相手もやるはず。だったら先にやっておくほうがいい」という考え方を潜在的に肯定している。人間は自分を基準にしか相手を測ることは出来ないわけで、自分がしないことは相手もしないと、相手の自重を期待する割りに、自分がしたいことは相手もしたいと思っているはず、という部分を案外見落としがち。
戦争に限らないけど、「この人はこういう考え方をするはずだ!」という前提というのは、「自分はそういうことをする人間だ!」という自己紹介にもなっているのかもしれない。掲示板なんかに限らないけど、そうした「あなたはそれをするのではないか」というコメントや主張は、「自分ならそうする」という前提があるからなのかもしれんなあ。とか思った。今回のエントリーを書くに当たって情報収集した過程で、なんとなく。

*1:立場も判断材料としての情報のひとつだ。「もし相手の立場に自分が立っていたら」と仮定するのは、情報を共有均質化したことになるかもしんない。

*2:国民投票でEU加盟が見送られたりするケースもある。これは政権が不信任されたのと同じ。

*3:日本からは攻撃を仕掛けないという前提なのは、日本が専守防衛(敵地攻撃)を堅持するならという前提から。ついでに言うと、日本が敵地攻撃をしようと思ったら、戦略爆撃機戦略原潜、空母、空中給油機(これは最近導入した)などの装備の整備と、敵地攻撃のための訓練がされていなければならないのだが、空海陸の3自衛隊の全てが、敵地攻撃訓練を一切していない。味方拠点を守る防衛戦術/戦略と、敵拠点を破壊殱滅占拠する攻撃戦術/戦略というのは、根本的に異なる。

*4:というか、それ以前に「使わないように廃棄しましょう」というのが今回の条約なので、使いたくても使えなくなる。

*5:米ソ冷戦による戦略核兵器の拡大時には、この抑止論が核配備の正当性として言われた。今も言われているから全廃できない。そしてこれは北朝鮮の核取得の口実にもなっている。核というのは「誰も使えない」からこそ抑止力としての意味があるのは確かなのだけど、「いざとなったら使う」という覚悟を実際に見せておかないと抑止力としての効果は薄まるのかもしれない。世界には「ヒロシマナガサキは、実際には原爆は投下されなかった」という教育を受けている人たちもいる。これだけ復興した広島&長崎を見たら、信じられないという気持ちもわからんではない。

*6:自爆することで攻撃を無力化するアクティブアーマーも、側面に配備されている。

*7:そして真下

*8:イラクなどでは、対戦車地雷よりもっと安価で効果的な攻撃方法がお子憐れ、ハンビーなどの装甲車両が、装甲の最も薄い車両下部からの攻撃で相当やられてる。

*9:ここ重要

*10:コレに加えて、即応自衛官(予備役)が8400人、予備自衛官(予備役)が48000人、予備自衛官補(予備役)が4000人で、最大投入可能兵力は31万人前後。

*11:比較すると、北朝鮮は公称100万人。中国の人民解放軍は公称231万人+予備役50万人+人民武装警察150万人、民兵600万人で、合計すると投入可能な総兵力は約1000万人。

*12:主に遠浅の砂浜

*13:アメリカもあるけど、アメリカはすでに駐屯している同盟国なので除外。

*14:潜在的には韓国

*15:人数的にも最多であり、太平洋への出口を欲するという動機を持ち、尖閣諸島と沖縄を戦略的に自国領土にしようという意識を持っており、日本と決して友好的とは言えない。そう信じてるとしたら、ちょっと隣国を盲信しすぎ。隣国と仲良くやっていけるなら併合しちゃえばいいのであって、国境や文化や言語や歴史を「壁」として併合できないところに、隣国というのは「決して仲良くできない」相手であるということの証左がある。陸境を接する大陸国では深刻な概念なんだけど、海に囲まれた日本人には理解しにくいものでもあるようだ。

*16:平成元寇が起こる可能性があるとしたら、人民解放軍が雪崩を打って、という展開が想像しやすい。もちろん、韓国が人民解放軍の通過を黙認する可能性は低いだろうけど、北朝鮮が中国領朝鮮省になるなら話は別。

*17:ことはないだろうけど、民間人より先に安全な場所に身を潜めることは許されないだろう。世論的にも

*18:武器・兵器

*19:その米軍だって、沖縄戦では全然民主的でもなかったし、「極力捕虜は取らない」という方針で、ガマの民間人を火炎放射器で焼き殺している。悲しいけど、これって戦争なのよね。

*20:これは確かケミカル兵器に当たるとして禁止されてるはずだが