毎日新聞の虚報事件(予告)
毎日新聞英語版による虚報事件について、近々。
今日はちょっと予告編のみで。
これ、飛びかってる情報を整理していくと、
- 朝日新聞による「虚報を定着させて自社の手柄にする」前例の踏襲
- 英文虚報を特に選んで翻訳していた外国人編集長はオーストラリア人
- 問題の虚報は5年間、毎日新聞はノーチェックだった、または「問題だと思ってこなかった」<コンプライアンス意識の欠落
- 指摘された記事を削除(なかったことに)しただけで問題は解決した、とする、炎上中の個人blogなみの対応の無責任さ
- 週刊誌のタブロイド記事の内容を無検証のまま大手新聞社が報じることにより、デマが真実になってしまうソース・ロンダリング
などなどが浮き彫りになってきた。
これに、捕鯨問題と児童ポルノ関連問題を重ね合わせると、かなりのマッチポンプな図式が浮かび上がってくる。
全てのオーストラリア人が気違いということはないだろうけど、虚報期間とそこまで踏み切って平然としていられる理由を考えたとき、「正義は自分にあるから、相手を徹底的に侮って貶めても自分は正しい」という正義感に基づく確信があってこその行為だったと考えれば合点がいく。
人間というのは(人種国籍に拘わらず)、自分がしていることが悪いことだとか、後ろめたいという自覚があることを長く続けることはできないものだ。しかし「自分は正しいことをしている、自分を押しとどめようとするのは悪い奴らだ」と思いこんでいるときは、それがどんな犯罪でも残酷な行為でも破廉恥なイカサマでも揚々と継続できる。
該当するオーストラリア人が「捕鯨を止めない日本への正義の鉄槌」のつもりだったなら、日本人からどんな誹りを浴びようが平気な顔でいられるだろうし、毎日新聞も自社が展開するつもりのキャンペーンのために「ありもしない事件をあったることのように報知」し、それによって起きた問題を「非常に問題」といってしたり顔をする。これも正義感があってこその振る舞いだろうし、正義の名の下に立っている自覚を持っているからこそ厄介なんだよなとも思う。
こうした確信犯な、そして正義感に基づいて自覚のない悪意を発散する態度については、遠藤周作が「善魔」という的確な言葉(作品)を残している。
人は悪魔ではなく、善魔に取り憑かれたときが怖い。善であると信じるが故に驕り、如何なる非道も正義の名の下に行うようになる。今でいうわかりやすい言葉に置き換えるなら善魔=独善。
独善は、善でも正義でもない。
作業山積みなので、とりあえず子細は後日。
PS.業務連絡
氷原君、久しぶり!
生きてるみたいで安心しました。