ロシア・グルジア戦争

正式名がどうなるのかは他の誰かに任せるとして、北京五輪と時を同じくしてロシアとグルジアの戦争が始まった。
まだ、どこをどう理解していいかわからんので、情報をちまちまと集めているところなのだが、本格的に事に当たる前に現在僕が把握できていることの整理と陥りがちなミスリードへの警戒。情報不足の補足や、自身の誤謬の補正は後日改めて。


まず、戦場となっている南オセチア自治州は、グルジア国内で分離独立運動が盛んな地域。住人の多くは共産主義*1で、宗教や民族問題ではなく政治思想的な背景があって、グルジアからの離脱独立という動きがあったらしい。
グルジア大統領はユダヤ系で、ユダヤ系勢力と南オセチア自治州の間に思想的確執があるらしい、という話もあるんだけど、そのへん詳細がよーわからん。このへんの地域についての基本的知識がまだ不十分なので、「そういう話もある」くらいで。ユダヤ云々というより、「ロシアに帰順するかしないか」という親露派(野党独立勢力)と親欧米派(与党中央政府)の綱引きが根幹にある様子。グルジアの野党(旧与党)幹部が、現与党と揉めた挙げ句にロシアに逃げたりしてるし。*2


ロシアは南オセチアによる分離独立運動を応援していて、形としては
グルジア政府軍に対する反政府運動南オセチア独立革命運動的な動きを、ロシアが軍事支援している」
という状態。
ロシア自身は今回急に派兵したわけではなくて、ずいぶん前から「平和維持軍」的な名目で南オセチアにロシア陸軍兵力(主に機甲師団)を派遣・駐留させてきていたらしい。
これに対して、グルジアNATO参加のため、兵力を絞ってきていたという軍事バランスの崩れというのもあったようだ。


現時点では「戦端を開いたのは(先制攻撃を仕掛けたのは)グルジア側で、ロシアはそれに応戦した」という事になっている様子。これについては、そのまま受け取ると「悪いのは先に手を出したグルジア、ロシアは南オセチアを庇っただけ」というように聞こえてしまうのだが、戦争というのは単純な善悪で判断してはいけないものなので、ここで早のみこみして、「独立運動を暴力で潰そうとしたグルジア政府が悪で、気の毒な独立運動を庇ったロシアが正義」という図式の単純化してはいけない
例えば、日米戦争(太平洋戦争)では真珠湾に先制攻撃を仕掛けたのは日本軍側*3だが、これに先立つハルノートアメリカ側の最終通告(事実上の宣戦布告)と受け取った結果、という説がある。既に資源ルートが途絶された上、大陸からの追放をハルノートによって通告された日本は、座して滅亡するか、一矢報いるかの瀬戸際に追い詰められ、文字通り「殴らされた」という考え方もある。*4


グルジアとロシアの話に戻ると、グルジアにとっては以下の二点の正義がある。

  • 南オセチア問題は自国内の国内問題であり、これにロシアが関わるのは内政干渉である。
  • 南オセチアがロシアの援助によって分離独立した場合、実質的に南オセチアはロシアの衛星国になってしまい、『南オセチアグルジアから守る』という名目でロシア陸軍が常駐することになれば、実質的な国境線が変わってしまう。

この問題は、実は中国にとってのチベット新疆ウイグル自治区問題と密接な関連性がある。北京五輪に先立ってチベット問題が注目を集めたが、これについて各国世論は「チベットの中国からの独立支持」であったように思う。ただし、世論とその国の政府の取った態度は一体ではないので、注意が必要。

もし、中国からのチベットや新疆ウイグルの独立を支持するなら、同様にグルジアからの南オセチアからの独立を支持=ロシアが正義、という判断を下さなければダブルスタンダードになる。
各国首脳はチベット問題*5については「中国の国内問題」という中国政府の主張を、一応支持している。
これを支持するということになると、今回のグルジアからの南オセチア独立問題は、グルジア国内の問題でありグルジア政府の行動は「内戦、軍事行動」ではなく「国内治安に関する警察行動」ということになり、そこにロシアが関わるのは内政干渉ということになり、ロシアが非難される側ということになる。

南オセチアの独立を阻止し、自国領土*6を勝手に割譲されてしまうことに抵抗する、というのがグルジア政府側の正義。
南オセチア独立運動を支持、応援するというのがロシア側の正義。

チベット・新疆ウイグル・台湾の独立を阻止し、自国領土*7を勝手に割譲されてしまうことに抵抗する、というのが中国政府側の正義。
チベット・新疆ウイグル・台湾の独立運動を支持、応援するというのが(それぞれ事情が違うので、十把一絡げにするのはかなり乱暴だけど)国際世論や日本国内の反中国的主張における正義。


少数民族による独立運動というのはどこの国も大小様々に似たような事情を抱えている。アメリカの場合は、独立するより世界最強のアメリカ合衆国の一員でいることのメリットのほうが大きいため、今のところ州や民族単位での独立運動が洒落のレベルを超えることはないのだろうが、ハワイ州や米本土のネイティブアメリカンなどのように、民族的な分離独立を考える可能性がある人々が、まったく皆無というわけでもない。
比較的民族/文化/伝統/価値観/言語などについて一体性の高い日本にも、「沖縄独立」や「アイヌ独立」を言う勢力があるわけで、現時点では左翼のアドバルーン程度でしかないものの、まったく可能性が皆無というわけでもない。


中国やロシアのような大陸型多民族国家では、そうした末端が勝手に独立してしまうということに対する恐れと、同時に「国境線をどこまでも拡大したい」という本能的拡大主義が強い。強いが故に、そうした独立運動的なものを強大な力で押さえ込むために共産主義という暴力が必要だったのかもしれないなあ、と思わなくもない。
中露両国ともに、現在は経済体制については共産主義ではなく実質的な資本主義経済にシフトしつつあるが、その拡大主義は別に縮小してはいない。
南オセチアの独立は、「悪いグルジアから独立しようとする南オセチアを正義のロシアが手助けした」というよりは、「プーチン下で勢力を取り戻し、大ロシアの復活を狙うロシアが、グルジア領を削り取ってロシアに編入しようとしている」*8という見方を、僕はしている。


少し前、中国とロシアはアムール川黒竜江)の国境線確定について合意していて、国境を巡る中露の軍事的緊張感が緩和された、というニュースがあった。
http://jp.rian.ru/politics/20080728/115045150.html
国境線が未確定な地域は、自国の主張する国境線をアピールするために、軍事的優位を敵対する相手に見せつけなければならない。
このため、「この線からこっちに入ってきたら、いつでもぶっとばすぞ」という素振りを見せ続けないといけないわけだ。
尖閣諸島に近付く艦艇を日本の海上保安庁が追っ払ったり、本来は軍事的要衝でもなんでもないのにも関わらず、実態以上の大きなコストを支払続けて韓国が竹島に分不相応な軍事力を常駐させているのも、「隙を見せたら取られる!」という警戒心があればこそ。
だが、こうした「にらみ合いのためだけの軍事負担」というのは、本来回すべき地域に軍事力を回すことができず、ただただ「見せつけるため」だけに貴重な軍事力を貼り付けておかなければならないわけだから、非効率*9であることには違いない。
ロシアは中国と手打ちをすることで、アムール川方面の軍事力を引っ込めて、それを南オセチアのほうに振り分けていたのではないか。*10


また、グルジアの現政権は得票率75%(2004年)の大与党でもあったのだが、得票率が低かった現野党が、各地でデモを起こし、これを政府側が反政府運動として制圧、弾圧するなどしているらしい。
現与党が最大議席数を獲得する以前の与党(現野党)は親露派だったが、政権交替によって現大統領の所属党が与党になってからは親欧米派。
グルジアが親ロシア派ではなく親欧米派に転じてしまうと、ロシア的には「チェチェンを親露国で囲みたい」「地中海への出口が親露的ではないグルジアに抑えられてしまう」「石油パイプラインがロシアを介さずに素通りしてしまう」などなど、いろいろと不利益がある。
「ロシアの言うことを聞くグルジア」にするか、グルジア全体が言うことを聞かないなら、南オセチアを分捕ってロシア連邦編入*11て、グルジアに圧力を掛けよう、という腹がある。


こうして考えていくと、グルジア政府がロシアに先に手を出すことにはメリットがあるようでいてない。
純粋に装備の精度、規模、性能、継戦能力で言えばグルジアよりロシアのほうが上だろうし、ロシア有利で決着した場合のメリットはどう考えてもロシアのほうが大きい。また、ロシアは「殴らせておいて自国有利にする自信がある」わけで、グルジア政府与党は「南オセチア/ロシアに殴りかかった」のではなく、ロシアに「殴らされた」のではないか? というのが、現状から見る今の時点での推察。


旧ソ連から離脱した東欧諸国には、NATOへの参加、EUへの参加などを目指す親欧米国が少なからずあり、現与党に率いられるグルジアもそのひとつ。*12
ここでアメリカがグルジアの危機を見捨てる/看過するようなことがあると、「アメリカは親米国の危機を助けてくれない!」という既成事実が出来上がってしまうことになるわけで、ここでブッシュ・アメリカが完全に座視を決め込む、或いは「グルジアの国内問題にロシアが介入することを支持する」ようなことがあると、「アメリカという反撃装置による軍事バランス」が張り子のトラということになってしまい、旧ソ連衛星圏から離脱した東欧諸国が、安全保障を求めてロシア連邦にぞくぞく再編入……という展開に進んでいってしまうこともあり得る。


既に、ロシアは大国ではあっても超大国ではなく、唯一の超大国であるアメリカをビビらせる存在ではなくなっている。アメリカが貿易上もそして急速な軍事力・科学力・生産力の向上からも警戒している中国の躍進*13を歯がゆく思っているのが、プーチン・メドベージェフ下での復活を目指すロシアであるわけで、勢力圏拡大、大ロシア連邦の再構築のために、グルジアに打って出た、という読み方もできる。


よく、「戦争に正義などない」というロマンチストがいる。
が、実際には戦争とは異なる正義の力比べであるわけで、正義がひとつではないから戦争で決着を付けざるを得ないというのが、世界の実態であると思う。
もし、「オリンピックの金メダルの数によって、領土や所有できる核兵器の数が変わる」ということになったら、多分各国ともに血反吐を吐くほどのスポーツ振興をすると思う。*14
どちらの側から見るかで、正義の色合いが変わるというのが戦争であるわけで、これからこの戦争を「誰の立場に立って解説するか」で、どちらが悪、どちらが正義、という図式は180度変わってしまうと思う。


もし、「南オセチアの独立を支援したロシア」を正義とし、親欧米派のグルジア中央政府を非難する解説があるとすれば、それはグルジア中央政府を擁護しロシアを非難しなければならない立場に立たされるアメリカを、批判したいが為の主張であると見ていい。また、「五輪開催中の戦争」という視点から、「中国のメンツに泥を塗った奴を批判」というような論考も出てくるかもしれない。


もし、「南オセチアに侵攻したグルジア中央政府」を正義とし、内政干渉したロシアを非難する解説が出てくるとしたら、チベット問題を念頭に中国を擁護する意図があるのかもしれない。「分離独立云々はその国の国内問題であり、他国が介入すべきではない」のような。


つまりは、どちらの側に立っても、もっともらしい正義論で解説を行うことは可能であるわけで、これを善悪二元論に押し込んで理解しようというのが、そもそも無理がある。*15
戦争は外交の一部であるというのはクラウゼヴィッツ戦争論あたりに出てくる話を要約したものだが、「喧嘩両成敗」や「戦争をする奴はどちらもいけない」的なロマンチックな理想論で決着が付かないからこそ、実力行使が具現化するのだろうなと思う。


ともあれ、「なぜ、グルジア中央政府は先に手を出したのか?(グルジア中央政府の先制攻撃が事実なら)」というのが、現時点で僕にとってミステリー。
このあたりの情報の真偽や詳しい情報次第で、ここで書いてきたことがどっちかにぐっと傾くとかひっくり返ることもあるかもしれない。


が、これだけははっきり言える。
悪意を持って行われる戦争はない。
戦争という手段に訴えるとき、多くの場合先に手を出す側の正義が切羽詰まったところまで追い詰められているということだと思う。
相手に先に手を「出させる」ことに成功すれば、停戦後(そして実際に戦争になってから勝つことが出来れば)、戦後交渉は有利に働く。
それもまた外交である。


1941年12月から45年8月にかけて日本はそれを経験しているはずだが、「終わった」「負けた」「悪かった」という単純化された刷り込みだけで納得している限り、我々は戦争の経験を教訓になんかできていないと思う。


先の戦争を経て、日本はこういう経験則を得、日米安保条約やその他の外交環境を活用しながら貫いてきた。
「勝てない戦争は最初からするな」→現実認識能力の向上*16
「殴り合いは先に手を出すな」  →専守防衛
「始める前に、確実に勝てる布陣を敷いておけ」 →自衛隊の充実*17
このことをロマンチックで夢想的な平和論を口実に捨て去ることは馬鹿げている。


EU加盟国はNATOに統合参加する方向で、自国の固有軍備を削っているらしい。フランスですら、独自の軍備コストを削減している。EU内では戦争は起きない、という前提でならそれは正しい。これからは低強度戦争/非対称戦争*18の時代であり、正面装備を削ってでもそっちに力を入れるべきだというのも説としては正しい。
だが、世界がEUになったわけではなく、かつてNATOと対峙したワルシャワ条約軍がなくなっているにせよ、固有の軍事力を持って再び復活しようとするロシアがいる。アジアで言えば、日本にとっては中国・北朝鮮・決して同盟国ではない韓国がそれに当たる。


今年は通り魔事件頻発の年だが、「こちらが手ぶらで非武装なら殺されない」というのが真実なら、無防備な人々が通り魔に殺害されるようなことは起こらなかった。ダガーナイフを規制しても、百円ショップで誰でも買える包丁やドライバーがあれば、殺人事件は起こせる。
あらゆる被害は、加害者側の意志によって起こる。
戦争は加害者側が自己の正義を自覚していれば、被害者側が恭順していようがいまいが起こる。被害者側の正義や正論は、加害者側の正義の前には無意味であるからだ。





僕はこういう理由から、戦争のない世界を夢見ない。
グルジアとロシアの戦争は、決して僕らにとって無関係な世界の話ではない。
この星の上で、今起きていることだということを忘れることなく、明日を生きる材料としたい。
*19

*1:もっと厳密には、現政権与党との政争に敗れた親露派の野党の勢力が根強い地域でもあり、ロシアへの帰順意欲も強いらしい。民族的にはグルジア人とは別民族・別言語の住人が多いことが、この問題を「民族独立問題」に見せかけている。ここでミスリードされる人が多いかも。特に政治系記者に。

*2:ソ連離脱後の初期の指導者は、あのシュワルナゼだったらしい。

*3:打電遅れにより宣戦布告なしの奇襲攻撃となってしまったものの。

*4:日米戦争は当時の日本にとって侵略戦争ではなくて生存戦争だったという研究は、日本よりむしろヨーロッパなどの戦史研究の間では進んでいるのだそうで、これもまた皮肉な話。

*5:もっと広く言えば台湾も

*6:グルジアが認識している

*7:と中国が認識している

*8:例えとして正しいかどうかわからないけど、グルジアもそしてウクライナも、ロシア影響圏から離脱してEUに参加しようとしていたのを、旧ソ連の影響圏に引き戻し、ロシアの影響力を拡大しようとしている、と見ることもできなくもない。

*9:兵器を実際に使うことを効率的というなら。

*10:これはそのままアムール川から兵器や兵隊を連れてきて配置転換するという単純な話ではないのだけど、アムール川の駐留コストが緩和できれば、余剰コストを南オセチアの駐留コストに振り当てられるというのは、順当な話。

*11:旧野党の影響力の強い南オセチアはそれを望んでいる

*12:余談だが、日米安全保障条約というのは、東欧各国には激しく羨ましがられているという話を聞いたことがある。「だって、世界最強の米軍が常駐してくれて、自分達の代わりに軍備を担ってくれるなんて贅沢」。日米安保条約は「日本が攻撃されたらアメリカが反撃するけど、アメリカが攻撃されても日本は反撃しなくていい」という日本に好都合な片務的条約なのだが、それについて不満を言う日本の世論というのは、東欧諸国からは奇異に映るのだそう。

*13:この先もゴム紐が伸び続ける、決してゴム紐は切れないという前提の場合。

*14:実際、1970年代の東欧圏はそんな感じだったw

*15:これはこの戦争だけでなく、近年から古代に向かう全ての戦争に同様のことが言える。

*16:この対極にあるのが、「やってみなければわからない」「やれば勝てるかも」であったり「相手も戦争はしかけてこない」であったりするもので、思想の左右に拘わらず、「全ては自分の都合通りに動く」と考えてしまうのは、現実認識能力の欠如としか言い様がない。自重すべきだが、自分が自重すべきだと言うことに多くの場合は気付かない。

*17:自衛隊の装備充実は「抜き身の真剣」であるために意味があるのだが、鞘の中が竹光であったりすると、相手に「勝てるかも?」という欲を持たせてしまう。「あいつとやるのは無理」と事前に思わせるために、抜かない鞘の中には研ぎあげた真剣を入れておかなければならない、ということ。そして、それを抜かないで済むのがいちばん効率のいい勝ち方だと言うこと。

*18:テロとかゲリラとか

*19:しかし、ヨシフ・スターリンの出身地であったグルジアが、ロシアに回帰しようとする野党と欧米圏に参加しようとする中央政府に割れるというのも、なんかいろいろ歴史を感じさせる。