どうしても怖くて苦手なもの

調べ物をしていて、「なんだか異常に身体が柔らかい少女が、ぽっきりいく寸前まで身体をぐにゃぐにゃ曲げて海に入る前の柔軟体操」という動画に行き当たった。どういう経緯で何を調べていたらそんなことになったのかについては割愛。頭が逆エビで尻に付く系の軟体少女。もう千切れて、ヘソの辺りからピンク色してぴちゃぴちゃと湿った太めの芋虫みたいなのが、どぶばぶでろぼずる、と出てくるんじゃないかと思うと、怖くて怖くてついタブを閉じてしまった。弱虫でスミマセン。


標題にあるどうしても怖くて苦手なものといえば。
人体損壊、損壊遺体、水死、狭隘水死。
うあー、怪談屋として致命的だorz


子供の頃、ちょっと溺れかけたことがあって、あの絶望感を今もときどき思い出す。別にカナヅチではないし、海でもプールでも普通に泳げるし遠泳もできたりするのだけど、「水中に没していく、空が遠くなっていく」というのはなんだか凄く怖いし、水中に引き込まれる体験談を聞くと気が遠くなるし、それを再現するために描写しなきゃならないときなど、動悸すら速くなる。命が縮む。螺旋怪談の水中の話とか書いてるとき、提供者の方に「勘弁してください」とどうやって謝ろうかと本気で考えてたくらいだ。
海中洞窟に入ってくようなドキュメンタリーを見ると気が遠くなる。飛行機墜落ドキュメンタリーはよく見るけど、潜水艦沈没モノとかはダメだ。墜落よりも絶望感で一杯になるorz
プールの排水口の鉄柵が外れていて、そこから排水口に頭から吸い込まれちゃって……というニュースを聞くたび、頭がブラックアウトしそうになる。最近はあまり聞かなくなったなと思ってたんだけど、この間の集中豪雨で下水工事中の突然の増水で流されてしまった工事作業員の絶望を思い浮かべるだけで倒れそう。


恐怖にはいろいろある。薄気味悪いとか因果応報とか。
ショッカー系というか、「びっくりする」系というのは、驚きはするけど怖くはない。まあ、実写版「超」怖い話*1の試写会で、椅子から50cmくらい飛び上がったけど。怖くないシーンで。
んじゃあ何が怖いのかというと、やっぱ「絶望」が怖いのだなあ、と思う。生理的嫌悪、不愉快感、身体や心に厭な感覚、そういう「気に触るもの」というのは、絶望に続く序章である。
世の中には序章を聞いただけで、最後にくる絶望が想像できてしまう人と、絶望に自分の精神と身体――生命を賭けて対面しないと、絶望を認知できない人とがいるんじゃないかなと思うときがある。
痛い目に遭ってみないと、それが痛いということを知らない。*2
痛い目に遭う前に、「実現したら酷い目に遭う」ということが想像できるようにするために、「架空の体験談」または「事前演習」として、フィクションが存在するのだろうけど、フィクションは所詮フィクションであって、そこに実在する絶望はない、と考えてしまうと、結局は「フィクションを楽しめるかどうか」という視点になってしまって、絶望を事前に訓練するということには繋がらない。


そういや、子供の頃に座頭市の最終回をたまたま見ちゃって、三下相手に手足が千切れるほどズタボロに斬られた市に見かねてチャンネル変えたら、オーメン2のメイキングやってて、氷結した川の上でホッケーやってたら氷が割れて落水、川に張った氷の下を流されていくというシーンを見ちゃって、ここでまた「逃げ場のない溺死」(それはフェイクであったのだけど)を見てウゲーとなって、チャンネル変えたら、またまた市が血溜まりの中でビクビクと痙攣しててギャーとなって……というトラウマになるようなフィクションを見たことがあった。
オーメン2は1978年公開なので、僕が溺れたのよりこちらの映像を見たときの記憶のほうが僅かに早い。人体損壊と水死、狭隘水死を異様に怖がる原因はこれかもしれない。


恐怖を扱う商売をしているのだから、たいがいの怖いものに対して耐性がなきゃいけないんだろうかとか思う。いや、恐怖に対して耐性がある人に、恐怖感を抱いて貰うのが恐怖屋の仕事なのだから、「そんなものじゃ俺を怖いとは言わせられないぜ」という強さが、恐怖屋には求められるんだろうか。もしそうなら、無理。絶対無理。


溺れる絶望と何かが壊れて元に戻らない絶望と裏切りと孤独に苛まされる絶望と、一応一通りそれに近い体験はしているけれども、幸い致命打まで行かずに済んだのでここにいる。
でも、怖くて絶望的だったのに、済んでしまえば「あとちょっと行ったらどうなってただろう」という余計なことを考え始めたりもする。
そうやって、いつか戻れない致命打に向かってじわじわ近付くというのは、恐怖屋の本能なのか、人間の本能なのか、それが生きるってことなのか、それが「もう死んでOK」ということなのか、まことにもって想像が付かない。
体験談を聞き、実話怪談という結実を書かせていただくとき、その結びについて「確かめないことによって、僕らは運良く死なずに済んでいることというのは、いっぱいあるんじゃないか」と思わされることはしばしばある。
知らぬが仏、知らぬが花。
昔の人は本当にうまいことを言う。

*1:「超」怖い話A 闇の鴉(竹書房

*2:そういえば、こないだ麟太郎が目薬(生理食塩水のみの人工涙液)にやたら興味を示して困ったので、興味を向けさせておいて一滴垂らしてみた。次に何が起こるか想像できなかった麟太郎は、ぎんぎんに目を見開いていたため、人工涙液は的中。その後、大いに驚いて首を振り、目から染み出た人工涙液(生理食塩水です)を舐めとっていた。何が起こるか想像できないということは、その災厄wが現実になったとき、もたらされるダメージを真正面から受けてしまうのだな、という実例だなとか思った。だが、所詮猫というか麟太郎は痛い目に遭ったことを全然覚えてなくて、やっぱり目薬を向けると興味深げに見上げるのだった。