お囃子

本日、明日に掛けて、東長崎は例祭の由。
子供達による祭り囃子がさっきから五郎久保稲荷周辺をぐるぐる周回している。
小学生に上がった子数人が毎年募集されていて(競争率は高いらしい)、彼等は毎月毎週お囃子の稽古を重ねている。五郎久保稲荷の前を通りかかると、境内にある公民館の前にたくさんの自転車が並び、とことんとことんぴーひゃららと叩き物と笛の稽古をしているらしい音がしばしば聞こえる。
秋の例祭が一番の見せ場であるのだけど、それ以外のお祭りやイベントにもしばしば駆り出されている様子。
少子化の折にも関わらず、毎年欠かさずに人を入れ替えながらお囃子を維持し、また一時だけの人集めではなくて恒常的にきちんと稽古も重ねている。
こういうお囃子を人手不足からカセットテープに置き換えてしまっている町内、そもそもお祭りそのものがない町内、寂れていくばかりでお詣りもない神社は増えつつある。東長崎だって、子供不足で閉鎖された学校があるくらいで(しかもつい数年内の話だ)、子供が有り余っているわけではないのだけれど、こうした催しが維持されているというあたり、「長崎村」の息吹を感じるような気がする。
東長崎周辺は行政区上は「豊島区長崎/南長崎」に相当する。明冶、大正、昭和に掛けての行政区分整理で地名も随分替わったりしたらしいのだが、「このへんに住んでて長崎神社の氏子」という自覚のあるちゃきちゃき(嫡々)の古住人はまだまだ元気だ。
あと何年、何十年して、マンション住まいのニューカマーのほうが多くなるような時代も来るのかもしれない。そういったニューカマーに氏子の自覚wが芽生えるかどうかはわからないけれども、秋のこのお囃子はこの先もずっと続くといいなと思っている。
日が落ちた頃、仕事部屋の窓の外から幽かに流れてくるお囃子の稽古を聞くだに、いつもそう思う。