笑顔で絶望を書く

今日から次の仕事。
自分の中の予定より4日遅れorz
正確には昨日くらいから脳味噌は切り替わっていて、コンセプトを絶賛煮詰め中。
今回も怪談ですw


仕事として怪談に関わるようになって、来年で18年。
20年越えたら誰かに祝って貰おう。
怪談を書く人としての自分の技量みたいなものは、同種先進の諸先輩方には遥かに及ばない段階であろうことは想像付くので、怪談作家として! と偉そうに胸を張れない。もっとも、怪談屋であることは胸を張って堂々と高らかに宣言するようなことでもない気がする。
なんというか、怪談とかそういうのって、「悲痛な顔をして絶望を売る仕事」じゃないかなあ、と思うときがある。もしくは、「悲惨な体験を代弁する仕事」でもよい。絶望を売る、絶望をメシの種にしているという一点は動かない。ここらへん、怪談屋は明るい日の下はあまり似合わず、日陰や夜陰にひっそりと佇むのがお似合い、という気がしなくもない。
ノスフェラトゥを気取るわけでは決してなく、実話怪談のように「原体験者」がいて、その辛い経験や恐怖の経験を扱う以上、遺体を扱う葬儀屋と同様、一歩後ろに引いた立ち位置であるべきかなあ、とも思う。本来、喜ばれる仕事ではないのだろう、と。


そういうこともあって、笑顔で希望を売る仕事をしている人、仕事ではなくとも笑顔で希望を語る人々が、とても眩しく思えるときがある。もっと言えば羨ましい。
もっとこうしたい、もっとこうできるはず、僕らにはなんだってできる、辛いことも踏み越えていける、というようなポジティブなメッセージを孕んだ歌を聞いたり、物語を目にしたりしていると、ああ、羨ましいなあと思うのだけど、それは僕には言えないなあ、と思ってみたり。


そんなわけで、これからも日の当たるところで笑顔で希望を売る人々を羨ましく、眩しく思い、憧れを持ちながら、夜陰に乗じて絶望を売る仕事を続けていくのだろう、と。


決意を新たにしたところで、自分の仕事を頑張ります。
ネガティブなことをハイテンションで考えないとならない仕事は大変っす(´・ω・`)