WTIと景気と怪談wと移民と(ry
僕は経済はまったくの門外漢だけど、日経平均と為替金利とWTIだけは、一応チェックしている。ワロス曲線の後くらいからときどき見るようになったのと、ローンの金利変動が気になったりするから。
というか、僕の扱っている怪談という出版物分野は、世の中の景況・不況と結構連動してたりするので、1年後、向こう3年間くらいの読者傾向、規模について当たりを付けるために、そういうものを眺めるクセが付いている。体験談の内容、文章のインパクトなどのクオリティに関わる部分とはまったく別の視点ながら、経済の動き(財布の紐の締めつけ度)と怪談という分野の動きは、「人の心の揺れ動く様」と連動していろいろ緊密なので。
さて。
今年の初頭から夏くらいまで続いた戦後最長の好況は、あんまり実感されないまま、リーマンショック以降のリアル不況に突入してしまった。
これは複層的な原因が絡んでるわけで、そういうのの細かいとこはテレ東の経済アナリストの解説でも聞いたほうがずっと正確だろうなーと思うので、ここでは「僕がなんとなく理解していることを、10年後の僕のための覚え書き」として残しておく。わかっとけ。10年後、まだ住宅ローンを抱えてる僕。
日本の景気から言えば、バブルが90年代頭まで、それが弾けたのが90年代初頭で、そのときの不良債権*1処理が完了したのが小泉政権になってからの2000年代最初の数年間。
この不良債権処理は公的資金*2の注入*3によって行われたものだが、よくある誤解としては「焦げ付いた金貸し(銀行)に税金をタダでやった」というもので、これは正しくないらしい。不良債権で苦しんだ国内大手銀行は公的資金注入を受けて経営を健全化し、その後は一次的に借りていた公的資金は、すべて返済しているのだそう。公的資金を返済できた=健全化した、という状態でお金が回っていたのが、この春から夏くらいまでで、銀行にも借金がない、金にゆとりがあるから企業や個人に金を貸すことができる、故にお金が回るので経済が活性化して「景気がいい」という状態に、実際になっていた。
ただ、「さほど景気が良かった気がしない」という意見が多かったのは、バブル時代にじゃぶじゃぶした気分を味わった人たちの感想じゃないのかなあ、と思わないでもない。80年代末から90年初頭までの株価はだいたい4万とか5万とかいう鼻血が出るような金額。現在の株価はだいたい8600円から8700円の間をうろうろしていて*4、リーマンショック以前が14000円から17000円くらいでじわじわ動いて、18000円をピークに急落したって感じなので、株価4万、5万という時代を知っている人から見れば、2万に届かない株価では、およそ景気がいい気がしないんだろなー、と。
日本の実体経済に見合った身の丈に合った株価というのは、16000〜2万前後くらいらしいので、ホントはちょうどよかったのかもしれないけど、いっぺん狂乱価格の蜜の味を知ってしまうと、どんなに貧乏のどん底を見ても『あの時代はよかった』って気持ちになってしまうもんなのかなー、とかなんとか。
実際にはこんなふうに好況だったはずの2001〜2008年までがなんで景気がいい気がしない、とされてきたのかというと、失業率を下げるためのワークシェアリングの普及によって、実際に雇用は生まれたんだけど、正社員じゃないからワーキングプア、というような感じの気分報道が多く流されたからじゃないのかな、という気もする。
なんでそう思うかと言えば、この10年間わりとみんなモノ買ってた。
派遣社員だフリーターだといいながら、超高額商品はともかく、付加価値製品を買う人は結構多かったし、一時期「価格破壊!」と言われてきた小売り商品価格が、「品質本位」とか「ちょっとゼータク」というキーワードを伴ったものに移行したりもしてた。
僕の業界では出版不況と言われて久しく、確かに初版発行部数はバブル時代wに比べて大幅に下がったけど、出版点数そのものはむしろ増えてるんじゃないかー、という気がしないでもない。それでも出版不況が下げ止まらないのは、テレビ人気の翳りや新聞社の赤字転落なんかと深いところでは原因を同じくしていて、「可処分時間の奪い合い」において、ネット、携帯、携帯ゲームなどが普及してきたことと大きな関係がある。10000円、1000円はなかなか出せなくても100円や時間あたり、パケットあたり何円、ということだったら出費する人はいるし、2時間の映画やDVDに時間を注ぎ込む人や、予め開始終了時間が決められた番組に時間を使う人は減っても、10分、5分、好きな時間に好きなだけ、という形で細かく崩した時間を使う人はいる。
テレビ、新聞、書籍のうち、1単位の時間が長く大きく束縛されるものほど、下落傾向に行くだろうなー、というのは「超」怖い話を続けていたなんとなく思っていたことで、1話が長い長大な読み物より、1話が数分以内で読み切れる短編、それよりさらに小さい掌編の需要が、「一駅で読める読み物」という需要を見出し、それをさらに「1話単位かそれ以下で購入でき、書店に行く手間を省いた」ものとしての携帯小説の興隆に結びついている。
娯楽書籍主流の出版社は、例えば講談社などがそうであるように携帯を念頭においたコンテンツビジネスの開拓をしているけど、テレビや新聞などは「紙や放送で流しているものを要約したモノの再利用」という以上には、最小化された可処分時間利用は行われていない。
てか、テレビの本業である「決まった時間に視聴者をテレビの前にしばりつける」や、新聞の本業である「でかい紙切れの前に何時間も読者を縛り付ける」というスタイルは、最小化された可処分時間を奪い返すには、根本的に向かないというか時代遅れの「スタイル」になってしまっているかもしれない。ラジオはテレビの登場で絶滅すると言われたけれども、「これ以上は減りようがない」というギリギリのところまで小さくなって踏みとどまった。テレビの登場で同じく絶滅すると言われていた映画も、映画館は減少したもののテレビと同じ装置を利用するビデオ・DVDなどに形を変えることで踏みとどまった。
現代の消費者はとにかく忙しく、すべきことがたくさんあり、ひとつのことに予定を合わせてたっぷり時間を空けてくれるようなことはしてくれないわけで、それを見越すことができるかどうかで生存競争の結果が決まるんじゃないかなと思われる。
大幅に脱線した。まあ、いつものことか。
今年に入ってからの原油価格の上昇は、リーマンショックによる大崩壊の予兆であったらしい。
サブプライムローン問題というのは、日本の土地バブル問題に似ていて、「本来はそんなに価値のない家を担保に、また返済能力もあんまりない層*5に金を貸して、担保を証券化して価値をつり上げて売買してた。ある日、『じゃあ金返せよ』という話になったとき、担保にはそんなに現金価値がないことが露呈して、取り付け騒ぎになった」ということなのだと思う。
価値が永遠に右肩上がりになるというのがそもそも間違いで、どこかで誰かが夢から覚めて、全てが引き揚げられて本来の価値を取り戻し、さらにそれ以下になっちゃう……という経済上の悪夢は近代に限ったものではない。日本では米相場の瓦解という形で、国内の原初的経済の変動や騒乱は江戸の昔から繰り返されてきている。……にも関わらず、煮え湯を飲んだ世代が一巡しちゃうと、またみんな夢を見ちゃうんだろな(^^;)
で、サブプライムは右肩上がりだ、と金を突っ込むだけ突っ込んでた投資家が、『これからはサブプライムは儲からなさそうだから、サブプライムからは金を引きあげて、もっと儲かりそうなものに金を貸そうぜ!』と、目を付けてガンガン投資に走ったのが原油先物取引。
原油というのは火力発電の原料として電気エネルギーの元になるし、自動車、船、飛行機などの駆動燃料として物流の根幹を担う。さらにプラスティックなどの樹脂製品、包装紙、インクなどなど、様々な製品の加工原材料にもなる。燃やすだけではない。そうしたものの多くは、「毎日使う、毎日同じだけ使う、増えることはあっても減ることはない」というような用途のものが多い。
その上、オリンピックや万博やらを目前にした中国やロシアを始めとするBRICsなど新興国の経済が活発になる=産業が活発になって、燃料と原料の使用量が増える、ということでもあるわけで、そうした新興国の資源消費が増えることを見越して「よし、これから石油の値段はあがるに違いないぜ!」と先物に資金が突っ込まれた。
サブプライムから原油への資金の環流とゆーのは、そういうことらしい。
そうすると、当然原油の奪い合いになる。産油量(供給)は需要が増えてもそうそう増えるわけじゃないから、値段が上がる。
その結果、1バレル=20ドル前後だったはずの原油価格は、180ドルくらいまで急上昇した。乱暴な説明をすると、「2000円で買えるはずだった原材料がいきなり18000円になっちゃった」というようなものであるわけで、原材料費はそのまま小売価格に直結する。それまで1000円の値段のうち200円分が原材料費だったのが、いきなり1800円分掛かる、ということになったら、儲けが出るどころか赤字になる。だから、「値上げ」をするか、「値段据え置きで分量少なめ」などの工夫をしないと儲けが出なくなる。
企業は儲けの中から社員の給料や所有する生産機器の維持、稼働経費も出してるわけだから、儲けが減るとなれば選択肢は絞られてくる。工場を止めて社員全員の給料を減らすか、給料据え置きで給料を受け取る人間の人数を減らすか。
リーマンショックがあってもなくても、今の「減産、値上げ、給与減、雇用整理」は、原油高の時点で十分予想できたことで、起き得たことだったんだろうと思う。燃料が高けりゃ車は売れないし、原料が高ければやっぱり給料は圧迫される。金がないからもちろん、最低限必要なこと以外には金を使わなくなる。また、いつ金を使えるようになるかわからないから、金があるとき以上に貯金に回すようになり、市場に出回る現金が減る。市場に現金が出回らないから、小売りはおろか、サービス業、付加価値産業など、「別になくても困らない商売」というのが減速する。第三次産業・付加価値産業というのは「余裕・余暇を消費するための仕事」なので、余裕や余暇の消費にお金を払おうと思わない人が増えると、もちろんそういうところは衰退する。
僕はこの10年くらい、大きなモノを買う人はともかく小さなモノや付加価値商品に対する消費は衰えてない気がしてた、と述べた。それだけ少額の付加価値商品の点数とそれを買う人の人数がそれなりにあって、それらに供給を続けられる程度の付加価値産業が稼働できるゆとりがあった、ということであるわけで、やっぱりこの何年かは景気よかったんだな、ということの確認がここでもできる気がする。恋と同じで、その最中には気づかないけど、ターニングポイントを通りすぎて振り返ったときに「あの時代がそうだったのだな」とわかるようなものなのかもしれない。
そんなわけで、サブプライムからの投資の逃避→原油への投資の移動→原油価格高騰に伴う超物価高と雇用整理という動きは、それでは政治で事前に察知、回避できなかったのかというと、たぶんほぼ無理だっただろうと思う。なぜなら、日本政府の権限が及ぶ日本国内だけの原因でこういう事態が起きたわけではないから。これが共産党でも民主党でも事態は避けられなかっただろう。
サブプライム→原油高の流れは、アメリカ国内の金融政策に日本を除く世界中が乗っかって作ったものだ。日本が乗っからなかった理由は、国内立て直しで手一杯で、投資する体力がなかったから、という感じ。ゼロ金利政策*6とかそのへんは省略。
今回日本はアメリカにあまり投資をしていなかったのでダメージが小さかったが、じゃあ「どこにもお金を出さずに温存しておけば日本だけが一人勝ちか」と言えば、鎖国してるわけじゃないんだし、そういうわけにもいかない。
公的資金の話と同じで、「日本のものを買ってくれるお金を相手が持っていなければ、売り手も売れなくても困ってしまう」ということであるわけで、「今すぐ全額返せ」ではなく「当座の金は貸すからこれでモノ買って食って金に余裕ができたら少しずつ返せ」という感じで、現金資金に余裕がある側(多くは売り手側)が買い手側を支えないと、売り手側もモノが売れなくて困っちゃうね、という。
んで、リーマンショック。
これはサブプライム問題のメルトダウンというか完全に底が抜けた、というか。「今すぐいきなり全額返せ」と言われたら、どんなにデカイ会社でも潰れちゃうということの実証になって、不安になった人々が連鎖的に金融機関に「金返せ、やっぱり返せ、いますぐ返せ」と取り付け騒ぎに繋がって、銀行や金融関連企業が次々に倒産。そうすると、誰も金を貸してくれないので、金がない会社は潰れるか、雇用(=人件費と福祉費)を減らす方向に流れるので、失業者が出る。失業者は金がないのでものが売れず、将来が先行き不安だから、できるだけ金を使わず貯金をなるべく取り崩さないようにしようとするので、ますます金が回らなくなる。*7
リーマンショックで「たいへんだ、現金がない!」ということにビビった層は、とにかく今手元にある金を少しでも増やさないと、何かに投資して価値が減殺して資産が減るのを防がないと! ということになって、原油先物に突っ込んでいた資金をどんどん引き揚げ始めた。というか、原油が凄い価格になってたんで、「これを売れば金が手に入る」ということで、利益確定売りに走り始めた。
供給量が変わらないのに、需要が多すぎると価値(値段)が上がる。
逆に、供給量が同じなのに、需要が減り売り手の人数が増えた場合。買い手が少ないのに売り手が多いのだから、もちろんその値段は下がる。
春、ガソリン値下げ隊wが暫定税率がどうのと言ってた頃のWTI*8は、120〜140ドルくらいだったか。2005年くらいから1バレル40〜50ドルくらいになって、2008年に89ドル、それが100ドル超えて大変だあって話になった。夏頃1バレルあたり180ドルにもなって、年末には200ドル超えちゃうんじゃないか、というような話も出てた。
が、リーマンショックと歩調を合わせて、サブプライムから原油に鞍替えしていた資金が一斉に引き揚げられた結果、先週末のWTIは1バレル33ドルまで落ちた。週明けは42〜3ドルから始まって、火曜の時点で39ドルまで落ちてる。
OPECは「値段下がりすぎだから減産して供給量を減らす」と宣言した。今までは、OPECが減産を決めると、減った原油の奪い合いになるから値段が上がったはずなのだが、今回はOPECの減産が決まっても下げ止まらない。OPECだって売れなきゃ金は入ってこないから、生産をゼロにするわけにもいかないわけで、減産が価格下げ止まりに繋がらないのだとすると、33ドルでもまだ需要と供給の正常な供給値ではないのだ、ということになる。*9
たぶん、まだまだ下げる。
日本では、原油価格が変動した場合、それが市場に反映されてくるのに二カ月くらいのタイムラグがあるのが一般的とされている。*10
だから、年明け2月くらいになったら原油が安くなって、物価も下がってるといいな〜という感じなのだが、今回は物価が下がってもそれを買う消費が進まない可能性がある。雇用調整で派遣を切られた「ワークシェアリングの枠の外」にいる人々の再雇用が進めば個人の消費力は戻ってきそうだけど、それがいつになるかわからない。
また、こういうことが今後も起こるのだとして、「仕事がなくても正社員は解雇できず、給料も払わねばならず、福祉費用も掛かり、人件費コストが会社を圧迫する」ということになった場合、やはりもっともコストのかかる人件費を、状況に応じて自由に変動させられるようにする派遣制度はなくならない気がする。
これがイヤなら、「正社員で身分保障はされるけど、給与は状況に応じて半減したりする」というような形での給与シェアリングを受け入れなければならない、というようなことも起きてくるのかもしれない。現在、多くの企業は賞与の支給額で調整することはあっても、よほど明日をも知れない企業でない限り、正社員への月々の支給額で人件費調整をする会社はあまりないんじゃないかと思う(やってたら、先行きヤバイ会社、と言われるだろうし、大きい会社なら組合が黙ってないだろう)。
All or Nothing、ゼロサムな、「仕事はあるが派遣、それもなくなって失業」という状況を受け入れるか、「社員だが仕事はなく、給与は下限ギリギリ」を甘んじるか、という選択はどこかで強いられるんじゃないかなとか思う。
もし、「正社員じゃなきゃイヤ。給料は30万じゃなきゃイヤ」という条件に固執したとして、「じゃあ海外で生産するわ」ということになって生産拠点が海外に出ちゃって、結果的に職を失ってしまった、というのが90年代の「生産拠点を中国などにシフトする」という現象だったと思う。会社の台所も厳しい、それなら質の高いものを国内で作り、なおかつ派遣雇用という形で就職機会を増やしましょう、ということで、派遣法改正は国内への雇用回帰をもたらしたんじゃないかなとは思う。
今の「派遣じゃなく正社員じゃなきゃイヤ。給料は30万じゃなきゃイヤ」という、地位向上闘争みたいなのってのは、結局は「余力があったはずだから正社員にして救済しろ」ということであるわけで、やっぱり景気がよかったときの意識から来てるんじゃないかなあ、と思われた。ワープアワープア言ってたけど、こういう思考が出てくるってことはやっぱり景気よかったんじゃないのかな。ずっと景気悪かったら危機感から「正社員とはいわない、派遣でいいから、30万が10万でもいいから雇ってくれ」と言い出すはずであるわけで。
いずれ、恐慌を脱して派遣を再雇用という機会は来るだろう。そのときに、「前より条件としては厳しく、賃金も安い、それでも働く人を雇用」というような厳しい条件での雇用募集になってくんじゃないかなと思われる。そうなったとき、仕事を選ぶ余裕がある人は「もっといい条件」を望むだろうし、余裕がなく底辺に近い収入でもいい、と考える人はそれを選ぶ。そうなると、海外から出稼ぎにきて、収入のほとんどを自国に送金する外国人が、「日本国内で調達できる安い労働力」となって、日本国内の望みの高い失業者を圧迫することになる。
そうなってくると、日本はたぶん恐慌から復興の合間くらいの時期に、移民労働者が増え、それらに対して「仕事を奪われた」という意識で接する単純労働失業者が増え、結果的に「失業・経済的困窮を原因とした、外国人排斥意識」が増大する可能性がある。
これは、二次大戦前夜のドイツを手始めに、イスラム系移民が増えた現在のドイツ、イギリス、オランダ、フランスなどの安価な労働力の調達手段として移民を受け入れた移民先進国が抱える共通の病理で、単純な民族意識からの排斥ではなく「仕事を奪われた」という経済的困窮に起因する排斥意識に繋がる可能性が非常に高い。
こうした外国人排斥感情は、「右傾化」「極右勢力の台頭」というような言い方で表現されることが多い。
日本人の多くは右翼=街宣右翼=戦争肯定の暴力的少数派集団を連想することが多いためか、自分が右翼的だ評されることについて恥辱を含むアレルギーを持つ。
だが、日本人というのは長い襷には巻かれる国民性を持つ。
経済的困窮に端を発した外国人排斥意識が醸成されて、それが多数派と意識されるような状況に発展したら、「それが民意」となる可能性は高いと思う。
その場合、「単純労働力としてきた人々」に対しては「仕事を奪った泥棒」として憎み蔑み、さらには既に日本国内に定着し、象徴としての成功者も輩出している日本国内最大のマイノリティである在日韓国朝鮮人*11などに対しては、二次大戦前夜のドイツにおける金融業者としてドイツ人の怨みを買っていたユダヤ人の位置に置かれる可能性がある。
また、在日外国人200万人を有力な票田として迎え入れるために在日外国人参政権を整備するという政治的動向は、恐らくこの「安い労働力の移民」と「雇用機会簒奪者への怨み」が交錯する時期に起こるだろうと思われる。
まさか、「日本国内のそうした不満を外に出してガス抜きするために、国外に明確な仮想敵を想定する、或いは現実の防衛対象国として定義し、目先を外に逃がし、消費を促進するための戦争を起こす*12」というような古典的な手段が取られるとは思わないけど、いつの時代も古典というのはシンプルでわかりやすいからこそ何度も使われる手管であるわけで、その時点での為政者が「わかりやすく支持されやすく効果がすぐに出る」という政策を欲していたとしたら、またぞろ同じようなことは繰り返されないとは限らない。
前回の世界恐慌は、完全に終結するのには世界大戦を挟んで25年を要した。前回の場合、日本はもっとも最初に恐慌から脱出したものの、立ち後れていた欧米列強のカウンターパンチを食らって、結果的に戦争→大敗という流れを踏み、景気回復は朝鮮特需まで待たねばならなかった。
今回の世界恐慌では、今のところ世界大戦の可能性はあまり高くないだろう、と思う。
なぜなら、例えば中国やロシアのように外交的・安全保障上、完全に警戒を解いていない相手とも、日本は経済的な関係を維持している。経済的な関係というのは、「物を売る、物を買う」という関係であるわけで、「資本主義国同士は互いに商売相手であるので、商売相手を滅ぼしてしまうことは自分自身の利益にも繋がらないため、資本主義国同士*13が戦争を行うことはない」とされている。
例外は領土紛争、民族紛争などと、低強度戦争であるテロ戦争などか。
テロは根絶方法がない疫病のようなもので、国が「秩序」に向かってツリー構造で組織立つのに対して、テロは「秩序の破壊により混乱をもたらす」方向に向かって細胞単位で無秩序に活動するものなので、対症療法以上の対応が現状では難しい。
かといって、テロ戦争への対応が特需を生むということも当面はなさそうなので、今回の恐慌に対する物理的な特効薬というのは、なんだか皆目見当が付かない気がする。
……僕は経済は門外漢なので、わかんなくても、自分のここまでの理解が完全に的外れであっても、全然恥ずかしくないw
まあ、言えることは。
現実に不況、貧乏だったり、実際にはそうではないのに「ワープアだ!」という感じで困窮感を持っている人*14が多くなると、「他人の不幸」や「成功者・権力者の失墜」という分野の商品がよく売れるようになる。
そういうわけで、たぶん来年も怪談は売れるでしょう。
皆が幸せな気持ちのとき、特に自分は幸せだという自覚がある人は、他人の幸せを祈り、望み、そのために手を貸すことを厭わない。利他的になる。だから、景気のいい話、幸せな話、そうした商品がもてはやされる。
逆に皆が不幸せな気持ちで、特に自分は世界でいちばん不幸だという自覚を持つ人は、他人の不幸を祈り、望み、自分のことだけで手一杯になり、極めて利己的になる。だから、他人の不幸話、成功者・権力者・金持ち・大企業・権威者が転落していく話を非常に好む。
また、現実には自分にできないことを、自分の代わりに遂行してくれるヒーローの出現を歓迎し、ヒーローが描かれたものも好まれる。
ただし、その場合のヒーローは正規の手段を用いた優等生ではなく、不正規なヒーロー或いは、「既存の秩序の枠外におり、既存の法秩序では捌けない特権的地位にある絶対的なヒーロー」であったりする。しかも、正義のヒーローではなく、既存秩序を無視する悪のヒーローなど。
世間的には唾棄されるべき大量殺人犯や、テロリスト、それでいて法が適用されない狂人であったりとか。そういった絶対的ヒーローが、既存秩序を破壊する様を、自身のどん底の不幸を好転させるかもしれない、転機の使者として歓迎したりする。*15
商品としての不幸が飛ぶように売れる時代というのは、あまり喜ばしい時代とはいえない。自己否定になっちゃうけど、怪談が売れる時代というのは、たぶんあまり良い時代ではないんだろうと思う。*16
ただ、同時にどん底の時代には「希望」という商品も喜ばれる。
僕は仕事としてはあまり得意な分野ではないけれど、希望を売る仕事は羨ましくも思うし、眩しくも思う。そうしたものがもてはやされることを救いのようにも思う。
パンドラが災厄の詰まった箱を慌てて閉めたら、箱の底に最後に残っていたのは希望であった、というのはギリシャ神話の有名なくだり。
なんで「災厄の中に希望まで一緒に入っていたのか」については、「希望もまた災厄のひとつだから」という説がある。希望とは「自分に次に起こることについて知ることができない、無知なまま自分にとって都合の良い幸せな未来を、無根拠に期待する愚かなことだから」ということで、「無根拠な期待=希望」はこれもまた災厄である、という悲観的な考え方から来るものらしい。
日本語で言えば「知らぬが仏」ですか。
まあ、後ろ向きなことばかり考えて一歩も踏み出せないでいるよりは、ドブを踏み抜く未来が確定的ではない、必ずそうとは限らない、という楽天的な気持ちで今を生きるほうが、幸せと言えば幸せかもしれんなあ、とかなんとか……希望的な何かに対していつも羨ましく思ってしまうのは、そういうところかもしれん。
*1:金を貸しても戻ってこないので、焦げ付いてしまった債権で、銀行がたくさん抱えていた。原因は金を無理矢理貸しすぎたから。バブルの華やかさは、10円しか価値がない担保に10000円分の価値がある(出る)から、と10000円を貸してまわっていて、みんなその借りた金をじゃぶじゃぶ使ってたことに由来する。もちろん、そんな価値はないので、いざ「返して」という段になったら担保相当のものでは10000円も利子も用意できず、「もらっても役に立たない担保」だけが残った。これが不良債権。 このバブルの頃に課長や係長などの中間管理職として、実際の責任以上のお金を動かしたり貰ったり使ったりしていたのが、高度成長期に就職した団塊の世代で、現在つぎつぎに退職を始めており、もうじき膨大な年金受給者になる日本の年金制度のお荷物、とされている層。よく言えば全時代の勝ち組とも言えるけど、その費用負担は後世に回された。ちなみに、バブル時代に「一年目の新入社員なのに、ぶいぶい言わしてた」り、「世間を知らずにベンチャーをばんばん立ち上げていた」のが、現在40歳半ば以降くらいの世代。僕は、タッチの差で崩壊してその後が大変だった世代の筆頭w
*2:回り回って税金ですが
*3:今、アメリカがビッグ3などにタ対して行ったり、イギリスが銀行を再国有化したりしてるアレは、日本の事例を参考にしたもの。
*4:こないだ7000円台に突入して大騒ぎになってたけど
*6:金利がごく低いので、貯金してもあんまり利息で儲からない。だから、使ったほうが得。借りるほうも、利子が安いので借りやすい。借りる人が増え、貯めないで使う人が増えるので、市場にお金が回って景気が良くなる、というような感じ。時間軸効果とかそういうのは面倒くさいので説明省略。
*7:アメリカ人はほとんど貯金をしないそうで、「借りてでも使う」ほう。使うために借りるという金融行動が、アメリカの消費と購買を支えていたといえばそうかもしれない。日本人は世界でいちばん貯金をする民族なのだそうで、金への余力の有無、経済的余裕の上位層から下位層に至るまで、預貯金はかなりしているクチらしい。もっとも日本国内では預貯金が多いのは、バブル時代に溜め込んだ老人の類で、バブル後の「派遣雇用」というワークシェアリングで職にありついた層は預貯金が少なかったり、月に25万も40万ももらってたのに、まったく貯金をするという概念がなかったりしてるらしい。一部の特例じゃないかという気もするけど、それだけもらってるのに貯金ができなかったのだとするなら、生活経費が高すぎたのか、よほど残らない何かに投資していたのか。やっぱ、ワーキングプアは幻想だったんじゃないか、という気がする。(´・ω・`)
*8:テキサス州産の米国原油のニューヨークでの先物取引市場価格の目安
*9:96年から2002年くらいまでの間は17ドル前後で推移してた
*10:ガソリンに関してはこの秋くらいから週間単位で卸値が変動するので、今の時点で100円台やそれを切るくらいまで下落している。
*12:国内雇用を励起するために戦争を起こすというのはヒトラーの経済政策でもあったし、結果的にニューディール政策がコケたルーズベルトがアメリカを恐慌から脱出させるための方策になったし、朝鮮特需は戦後日本の復興と高度経済成長のトリガーになっている。
*13:貿易関係にある国同士、と置き換えてもいいのかも。
*14:自意識が不幸というか、自分の置かれている境遇に対して絶えず不満を持っている人
*15:「解決ハリマオ」や「月光仮面」は、必ずしも秩序だった正義ではなく、非正規なヒーローだった。「鼠小僧ジロキチ」も同様で、「源義経」もある意味では同様。白馬に乗った王子様は、自分の元に辿り着くときに障害になる「敵」を破壊殺戮するが、それが罪に問われることはない。北斗の拳における「ケンシロウ」はどう足掻いたって殺人者だけど、それもまた正義とされる。ラオウすらもw
*16:実際、「超」怖い話というのはバブル崩壊とともに歩んできた。この数年間は好況であったはずにも拘わらず、「ワープア」「格差問題」といった、不幸意識が醸成され続けたことによって維持されてきたのではないかとも思う。「怪談は読者の憂さを晴らすもの」という喝破は、怪談の消費者の求めを見たときに正しい。僕が意識している「体験者の届かぬ声、信用されない記憶を記録に残すもの」というのとはまた別確度からの正論なのだろうと思う。