投票ハンドブック(2)

投票ハンドブック(1)
http://d.hatena.ne.jp/azuki-glg/20090617/1245205665

先月、投票ハンドブック(1)というエントリを書いたのだが、このエントリはその続きみたいな感じのもの。
都議選の結果*1を踏まえて、どうやら8/30投開票で衆院選を行うつもりらしい、という話が「麻生総理と与党の合意」という形で、速報テロップに出た様子。
いよいよのようだ。


さて。
選挙というのは「気分で決める人気投票」ではない。
でも、普通に働いている社会人の多くは忙しくてニュースの深層から政治を読み解く暇などない。
故に、車内吊り、携帯の1行程度の速報的ニュースの見出し、駅売り新聞の見出し、タクシーの車内や病院の待合室でなんとなく聞き流すラジオ、そういったものから「セケンの今の気分」を感じ取って、それに乗っかるという動きをとるだろう。これは避けられない点。
その前に、ちょっと昔話とかを。いや、その当時僕は運動に参加するような年齢じゃなかったんだけどw

学生運動って、何を目指してたんですか?」

今60代くらいの人達というのは、1960〜70年頃、つまり学生運動華やかなりし時代に、ゲバ棒を持って大騒ぎをしに行ったり、大学に立てこもって水掛けられたりした経験があるのだろうと思う。政府に立ち向かった青春の輝かしい記憶という奴だ。その後にシラケ世代とか新人類とかちょいと飛ばしてwゆとり世代とかいろいろ出てくるわけなのだが、そのへんは割愛。
で、その学生運動の主眼というのは、「日米安保反対」などに見られる安保闘争と「暴力的共産主義革命」という奴で、浅間山荘事件などに見られる「リアルな暴力」がクローズアップされると同時に急速に潮が引いていった。
この学生運動に何らかの形で参加したり、共感して一緒に怒ることを楽しんだりした人は、学生運動同世代には、いくらでもいるだろうと思う。我々の親くらいの世代、もしくは少し下のゆとり世代とされる世代から見れば祖父祖母くらいの世代で、たぶん大多数はまだ存命だ。ヘタすると現役の最終コーナーあたりだ。
で、このへんの人達に学生運動について聞いてみると、「俺達は勇ましかった」ということを目を輝かせて自慢したりする。すてきな思い出なのだろうと思う。で、「じゃあ、学生運動は何を目指していたんですか?」と聞いてみると、途端に口籠もる人が増える。
日米安保に反対していた」という回答が、たぶん判で押したように戻ってくる。「暴力的共産革命を目指していた」と答える人は恐らくは極左として今も活動中だろう。そこより若干ライト*2な人達は、市民運動に身を投じたりしているかもしれない。暴力で人を殺す人間の仲間と思われたくないから、「暴力的共産革命」という方向に賛意を示す人は少なく、「日米安保に反対していた」と答える人が大多数だろうと思う。
そこから踏み込んで「では、日米安全保障条約の締結内容を当時知っていましたか? 知った上で反対していましたか?」と聞いてみると、これに正確に答えられる人は格段に減る。というより、テレビ越しに「アンポハンターイ」と無邪気に怒っていた人のほとんどは、「なぜ反対しなければならなかったのか?」についての答えを持っていない。
「だって、みんなが反対って言ってたから」「一緒に大騒ぎすると楽しかった」
こんな回答をする人は、珍しい存在ではない。
何に反対しているのか、考えも付かなかったの?
と、思わず突っ込みたくもなる。


日米安全保障条約は、「アメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守らなくてよい」という片務的条約である。通常、アメリカは「自助努力をする国」に対してのみ傘を提供し、自助努力をしない国、ましてや先の大戦の敗戦国に対して防御力を片務的に提供する義務はない。
このとき、ソ連の南下(共産主義の南下)など、アメリカにとって日本を西側(資本主義圏)に留まらせたい、という思いもあって、「敗戦国日本の軍事を制限してきた分を当面アメリカがかぶる」「いずれ日本の再軍備の道を閉ざさない」という大盤振る舞いをしたわけなのだが、「かつての敵国が日本に軍を置き続けるのは目障り」「むしろ共産主義のほうが資本主義よりも薔薇色」というような、主に気分によって学生運動は広まりを見せた。
実際の所、日本はこの片務的な条約により「軍備に掛ける予算を産業振興に投入する」ということができた。団塊世代学生運動世代は、その膨大な人口層の割に、安保条約のおかげで軍備に使わずに済んだコストを振り向けた高度成長期の恩恵を受け、大いなる売り手市場で世に出て行くことになる。
そうした経済成長の機会獲得が、自分達が反対していた日米安保のおかげであるという皮肉を、どれほどの人が理解していたのかは知らないけど。


正義の怒りという免罪符

学生運動について、目指す中身を多くの人は知らないまま賛同していた、という話について触れた。
これらの学生運動に盲目的に身を投じた人が多かった理由を時折考えてみるのだけれども、恐らくこれは怒りと不可分ではないだろうと思える。
人間はそれぞれにとっての理想というものを常に持っている。それは即物的に「自由にできる金(可処分資産)」の獲得であったり、「自由に出来る時間・余暇(可処分時間)」の増大であったりするのではないかと思う。金と時間を使ってなにをしたいかは、個人の趣味嗜好によって細分化するであろうので、ここでは掘り下げない。
で、その理想というのは、現実には概ね叶えられない。
叶えられている人もいるのだろうけど、「それで足りた」と満足する人は少ない。「これじゃ足りない、もっと欲しい」となるのが情というもので、満ち足りるということはほぼない。


故に、基本的に、理想というのは必ず到達できないものである*3と思う。
だから、理想が叶えられないと「100点とは言えない」として、不満を漏らし、怒り始める。そして、100点には絶対にならないのだから、いつでも都合のいいところで自由に怒ることができる、ということになる。
「0点でなくてよかった、50点ならまずまずだ」とは思わない。「100点以外なら、99点でも論外」という思考に陥ってしまう。
つまり、100点以外は常に「怒って良い不満な状態」ということになるわけだ。


政治は常に100点を取ることというのは不可能であると言える。なぜなら、大多数が賛成したとしても、何割かの不満を持った人は必ず出る。
「子育て養育費を月に28000円上乗せします*4」という政策には、「うちは子供がいない。できない。育て終わった」「子育て養育費と引き替えに扶養控除が廃止されるなんて聞いてない」という不満は必ず出る。
そうなると、「不公正である」「不満足である」そして「自分は弱者であり、これは不正義である」として拳なり声なりを上げて、「不満足を訴える正義の怒り」という、怒る権利を手に入れることができてしまう。
「自分は弱者であり、被害者であり、不公正な不正義の犠牲者である。故に、怒る権利がある」
というものだ。
怒る権利は誰かが発行してくれるものではない。また、単に我が儘で怒るということだけだと気が引けるけれども、「不公正な不正義の犠牲者」「故に公正な正義の代行者」として怒りを示す機会を得た場合、それはもう我が意を得たりというくらいの勢いで気持ちよく怒る。


この「正義の怒り」という免罪符を得てしまうと、「何について怒っているのか?」「どうすれば怒りが収まるのか?」という怒りの矛先や解消方法は、どうでもよくなってしまう。カラオケで大声で歌うのとあまり変わらない。

政府の不正義を征伐するために怒り、その処刑執行者として民主を選ぶ

そういったことを勘案すると、恐らく次の総選挙は政策選択或いは政権選択のための選挙ではなくて、政府自民を掣肘し罰を与え、政治家の多くを投票によって処刑、粛正する。その遂行者(破壊者)として民主を選ぶという投票行動を取る人が増えるのではないかと思う。
ここに政策の精査、交代後に何が行われていくかについての見通しはない。
「そんなことはない、民主党政権になれば自民党政権よりはマシなはずだ」と胸を張る人に、「では具体的に民主党が目指している方向性や、政策の詳細について知っていますか?」と訊ねてみるといいかもしれない。
学生運動が何を目指していたのかと同様、「政権交替友愛による素晴らしい世界今よりはマシになっているはず。だってテレビでそう言ってた」という以上の答えを出せる人は、恐らく極少数派ではないかと思う。


でも、たぶんこの流れを止めることは不可能だろう。
自民党という犬は、水に落ちて棒で叩かれ、無残に死んでいく様を晒さないと、怒れる有権者は許さないだろうし、それを見せても許さないだろう。
たぶん、次に期待されるのは、「次の失政者執政者*5がやはり理想に届かず、それに失望したとき」であろうかと思う。
小泉以後の三代の為政者は、それぞれ期待の最高潮で迎え入れられ、現実離れして高すぎる理想への期待に添わなかったが故に引きずり下ろされてきた。


同じことが民主党政権になれば起こらない、民主党政権になれば全面的な擁護が恒久的に続く、と考えるのは難しい。
なぜなら、有権者は常に「権力者の転落」を求めているからであって、満ち足りてしまうということはあり得ないからだ。



このへんを踏まえて、次項「投票ハンドブック(3)」へ。

*1:自民は10議席を減らし、民主は20議席を増やした。自民の負け分以上に、割を食ったところがあって、さらに全体的に民主という勝ち馬に雪崩を打った、という感じ。個人的には、自民はさらに割り込んで、自公合わせて30議席前後になるのでは? と思ってたのだけど、民主単独では過半数を超えないとか、民主・共・ネ・無の合計と自公の合計が実は6議席くらい。勝ち負けで言えば明らかに自民の負けなんだし、得票数で言えば薄氷を踏み抜く直前なのは確かなんだけど、思ってた以上に完全勝利にもなってないな、というのが正直な感想。

*2:右ではなく、軽いという意味でw

*3:到達した途端に目標上限は引き揚げられてしまう。車を買うのが目的だった人は、中古車を手に入れた瞬間に満足できなくなって新車が欲しくなり、新車を手に入れると満足できなくなって上のクラスの新車が欲しくなり、それを手に入れても満足できなくて今度は外車が欲しくなる。終着点はないのである。

*4:ちなみにコレは民主党の公約。

*5:直してみたけどあんまり変わらないw