中川昭一元財務相、急逝

衆院議員前職の中川昭一財務相が、10/4未明に自宅にて急逝された、との報。
酒について、自殺説、陰謀論……などなど、いずれも現状では断定的に言えることはひとつもない。
あまり拙速に話題にしたくなかったので、昨日は筆を取ることを控えていた。中川昭一の政治的背景と仔細については後日。


リーマン・ショック以来の金融的混乱の中で、財務基盤が不安定な新興国の経済的後ろ盾となるようIMFに注入した10兆円という成果については、自民党政権の逆風下であまり大きく語られることはなかった。朦朧会見と揶揄された自身の不遇も、この成果を覆い隠してしまった。
また、財務相としてIMF改革*1について多くの提案とその実現への尽力を行ってきたことも、ほとんど知られていない。
保守派、タカ派の政治家として知られ、核武装検討論などタブーとされてきた話題に触れたりもした。*2


かつて、「Google八分」という言葉があった。
Googleは、特定のスポンサーの依頼に基づいて特定のサイトをGoogle検索から完全に排除してしまう、ということが技術的に可能で、実際にそれをされたサイトがあった。また、初期の初音ミク画像がGoogle検索にまったく引っ掛からなかった、というような事件からも、それが疑われたことがあった。
我々が「知らないサイト」を探すときは、サイト名やそれに関連したキーワードなどを検索サイトからたぐり寄せて見つけていくわけだが、その検索結果から完全に外されてしまうと、そのサイトがネットのどこかに継続して存在していたとしても、情報を求める側から見れば存在しないのと同じになってしまう。
中川昭一財務相の場合で言えば、功罪のうちの罪の部分だけがひたすらクローズアップされ、功績の部分はほとんど表出しなかった。功績はあったが、国内では「酒で朦朧となって恥を晒した人」という印象しか残されていない。
報道されないことは、それはなかったのと同じ。
恐ろしいことだ。


中川昭一の死因については、このエントリをまとめている時点ではわからないことが多い。病死なのであろうと思うけれども、酒を飲んでいたのか、薬を飲んでいたのか、自殺か、事故か、陰謀による他殺か、それらのどれについても断定的に語れる段階ではない。
故に、今も書き倦ねている。
しかし、「落選の失意で断酒を止めて大酒を飲み、大量に睡眠薬を飲んで親父*3のように死んだのだ」という、繰り返されてきたマスコミのイメージに基づいた断定が飛びかい、その推論をして「酒で失敗して、酒と薬で死んだのだから自業自得だ」というような決めつけが横行し、さらには「いい気味だ」という言葉まで出てくるのを見ていると、正直辛い。


新刊で「殯」という本を上梓したばかりなのだが、殯というのは通夜を意味する。
通夜というのは、荼毘に付すまでの一夜で死者の生前を偲ぶという儀式だ。現在では葬儀社の都合もあってかなり形式化している側面もあるが、我々生者は通夜、死者と対面することで死者の生前の評価を決める……のではない。
我々は死者と対面するとき、自分が死者とどう接してきたか、死者に対してどう振る舞ってきたかを、省みることになる。
死者を前にザマミロ、自業自得だ、遺族もみんな死ねばいい、というようなことを言う、それを臆面なく言わせるために「死んだ奴は悪い奴だ。死後も指弾して当然なのだ」と煽る風潮も、あまり愉快とは言えない。
なんというか、誰かの死と対峙するということは、同時にまだ生きている自分の姿を映し出す鏡のようなものであるのかもしれない。


道半ばにして斃れた故人の無念を偲び、
謹んでご冥福をお祈りします。

*1:クォータ改革でぐぐれ。

*2:核武装論については、これもまたここで詳しく踏み込むときりがないので折りを見て別エントリで。先だってもちょっと書いたけど、日本は核武装を実際にしようと思わなくたって「するつもりがあるに決まっている」と警戒されているのだから、「そんなに言うなら検討しちゃうぞ」という議論を持っておいただけで、実際に開発しなくても開発するのと同じだけの効果が得られる。また、選択肢として「捨てていない」という意思表示を行うことが交渉相手からの譲歩を引き出すカードにもなる。そういう「役回り」を演じることができる貴重なタカ派政治家だった、とも思う。かつての民主にいた西村慎悟も既に舞台から消えてるし。

*3:実父・中川一郎元議員も自殺しているのだが、これも自殺ではなく他殺だったのではないか、という陰謀論が残っている。