民主政権はどのくらい有権者に支持されているのか

政党は、有権者に支持されたということを「民意の代表」という正当な根拠として各種政策の実現にコマを進めることになるわけなのだが……その「民意の反映」「有権者の支持」というのは本当に正しく反映されてるんだろうか?

世論調査と選挙

現状、民主主義社会において、政党が支持されているかどうかを知る方法は大きく分けてふたつ。
一つは世論調査
もう一つは選挙。
世論調査は法的な裏付けがあるわけではなく、また設問の設定次第で回答を誘導できてしまう、また出てきた数字を分析者がどう取り扱うか、どう解説を加えるかによって、導き出された数字と逆の結論を得ることもできてしまう。
調査方法についても「電話番号をランダムに割り出して掛ける」という、一見すると公平な方法のようでいて、「平日午後に自宅に掛ける」とか、それ家にはテレビ見てる専業主婦しかおらんやないかwwwとか、まあ、いろいろ実は不備が多い。
選挙の出口調査を何度か受けたことがあるけど、面談式の場合、バイトの大学生は「話を聞いてもらえそうな人」を意図的に選んだりしている。また、回答する側も政治的になんらかの意識がはっきりしている人が多いので*1、全ての有権者に尋ねているわけではないので、数が如何に多くても偏りは出る。都市生活者と地方の一次産業従事者では意識も違うが、RDD方式(電話番号をランダムに選ぶ)だと、そのへんの対象者の従事産業まではバランスよく振り分けられないし。


となるとやはり、信頼性がおける「民意」の調べ方は選挙だ、ということになる。
選挙についても事前の選挙報道で、どちらか一方に肩入れするマスコミ報道など(本来は違法です)によってある程度、趨勢が左右されてしまう、つまり「繰り返し報道で洗脳されてしまう」というのは避けがたいところなのだけど、本稿ではそれとはちょっと違う話を。

現在の議席数、議席比率

昨年の衆院選では、民主が歴史的に大勝し、自民は雪崩を打って政権から転落した。
現在の議席数の差はというと、

Yahoo!みんなの政治 - 衆議院参議院議席配分
http://seiji.yahoo.co.jp/guide/giseki/

与党 317議席 :民主党 307議席
野党など 163議席 :自民党 119議席

連立与党とかその他の野党とかは、とりあえず端折る。
衆院全体の議席数は480議席で、
民主が単独で占める割合は全体の約64%。
自民の占める割合は全体の約25%。
若干の端数はあるけれども、残り44議席、約9%がその他の政党。

この議席数を見ると、民主は国民全体の6割以上に支持された、自民支持は国民全体では1/4程度、これじゃあ民主が民意を反映していると絶大な自信を持ってもおかしくない……となる。
自民に入れて負けた側になった有権者も、民主に入れて勝った側になった有権者も、程度の差はあれど、同じように考えているだろう。


しかしここには数字と制度のトリックがある。

小選挙区制の簡単なおさらい

衆院選小選挙区比例代表並立制なのだが、このうちの「小選挙区制」というのが結構なくせ者なのだった。
以前は中選挙区制で、これが選挙制度改革によって小選挙区制に変わった。この小選挙区制は民主党小沢一郎幹事長の実父・小沢佐重喜が提唱したもので、佐重喜の地盤を世襲で継承した息子の小沢一郎が実現にこぎ着けた。


これ以前の中選挙区制というのは、ひとつの選挙区が中くらい*2で、大雑把wに言うとひとつの選挙区の中で複数の候補者が当選するというもの。
一番多く支持された候補者が当選し、しかし二番目、場所によっては三番目、四番目くらいの候補者も当選する。
これは結果的に、有権者の死に票が少なくなる。1位じゃなくて2位、3位を押していた人の意見も採用されることになるからだ。
できるだけ主張の異なる民意も採用されるべき、という感じで死に票が少なくなるのが中選挙区のメリット。
しかし、中選挙区制だと「1位通過者はだいたい固定してしまう」ので、2〜3位以下は争うけど1位は安泰になる。つまり劇的な議席数の変化は出にくくオセロのような政権交代はおきにくい。
政権運営を安定させるというメリットは、同時に権力の安住による疲弊を引き起こす、というデメリットでもある。


中選挙区制による政権安定性というのメリットと、政権疲弊(腐敗)というデメリット、どちらに重きを置くか?という問いに対して、政権が不安定になってもいいから、政権疲弊(腐敗)を排除すべき、という方向に重きを置いたのが小選挙区制。


小選挙区制では、選挙区が小さく細切れにされるので、ひとつの選挙区から選出される当選者は一人だけ*3になる。
そうすると、1位当選だけが選出され、2位以下への投票はすべて死に票になる。
メリットとしては、政権交代が起こしやすく、政権疲弊(腐敗や失敗)に対して速やかに交代を申しつけることができる、という点。そしてデメリットはその逆で、「安定多数を得た政権であっても、その次の選挙で完全に逆の結果が出てしまう」ことがある。2005年の郵政選挙で空前の大勝をした自民が、2009年の政権交代選挙で空前の大敗を喫した例が記憶に新しい。
そして我が世の春を謳歌中の民主は、恐らく次の総選挙では空前の大敗を喫することが、すでに確定している。
というか、政権政党が選挙で大勝するには、よほど多くの支持を集めないと難しいのだが、日本人は「実行済みの政策に対する成果」で票を入れることは少なく、出来て当たり前。うまくいったことは評価しない。できなかったことは激しく批判する。そして、小選挙区制では候補者個人の資質はほとんど無関係*4で、政党が掲げる公約……というより、スローガンで決まってしまう*5
野党は「理想への期待値」を、与党は「実現できなかった政策への責任」を問われるので、4年ごとに政権政党が完全に交代する制度=小選挙区制と言ってもいい。
与党側は大規模議席を手放したくないから4年間は解散が行われることはなく、その間の政権交代は民主的手続きではなく「党内政局」によって変わることになる。小泉→安倍→福田→麻生と変わった自民政権と同様、民主も鳩山→菅→岡田あたりで回すことになるだろうことは想像に難くない。
それでも自民の総裁選は全国の党員・党友に選挙の機会があるものだったが、民主党の代表選って自由党と合流してからこっち、サポーターは一切それに投票できてない。無投票信任とか日程が厳しいから衆参両院総会だけでね、とか。


話は小選挙区制に戻る。
小選挙区制は死に票が出やすい、という問題点がある。
例えばある選挙区の有権者の総数が10000票で、立候補者が7人いたとする。定数は1。1議席を7人で争う。
当選に必要なのは最大で51%あればよいわけだが、最小はいくつなのかというと、実はもっとずっと少ない。
例えば1位から順に3000、2000、2000、1000、1000、500、500だったとする。全部で10000票。1位は3000票あれば他を引き離して当選できる。得票率は全体の3割程度、残りの7割は死に票になる。
1万人の有権者のうち、7000人の意見は無駄になるわけだ。
獲得票数は3割程度だが、議席は確実に取れる。そうすると、対外的には「その選挙区民は、選出された議員を支持しましたよ」ということになる。実際には3割しか支持されていなくても、1万人の代表、ということになってしまう。


これが国全体で見るとどうなる?

獲得票数比と獲得議席数比の違い

具体的なソースを探すのが面倒なので*6ソースは省略するが、2009年衆院選での民主:自民の獲得票数の比率は55:45だったそうな。*7
しかし、実際の獲得議席数差は317:109で、実に3:1近い開きがある。

*8

図示するとこんな感じで、実際の獲得票数と、手にした議席数に大きな開きがある。
もちろん、自民の得票数そのものが郵政選挙に比べて大幅に下がり、民主への期待値*9が大幅に上がったこともあって、獲得票数の総数も民主側が多いという事実は揺るがないが、獲得票数=支持率として見た場合は、実際には言うほど民主が絶対的な支持を集めていた、というわけでもないことがわかる。
議席数だけで見ると、民主自身も民主支持層も自民に入れて負けた有権者も、「国民の6〜7割は民主を支持している!」という気分になってくるのだが、実際にはそうでもない。


で、これを「潜在的な自民支持者が多いぞばんざーい」と脳天気に言いたいわけではないw


現状、民主政権は「自分達は国民の6〜7割の支持を得ており、自分達に刃向かうのは3割程度の少数派だ」という前提に立っている。
自民による審議拒否戦術の「無視」については、「与党がいれば野党はいなくてもよい」とするもので、少数野党に対して審議日程に応じたり修正協議に応じたりしていた、最大与党時代の自民に比べても、独りよがりな独裁的傾向が強い。これも、「6〜7割の代表」という意識があるからだろう。
先の長崎知事選で見せた「時代の趨勢に逆らうなら、政権与党は長崎に対して不利益になる対応をする」みたいな恫喝も、6〜7割の支持がある、民意である、数は力なんだよ兄貴ィ! という意識からくるものだろう。


だがそれは、数字と制度のトリックに呑まれ、「自分のついた嘘を自分で信じ込んでいる」と言い換えることもできる。


再三繰り返しているように、昨年9月の衆院選の時点でも、民主への支持は7割ではなく、自民との支持率の差も「3:1(6:2)」ではなかった。
実際には「55:45」つまり、約「6:5」。議席差の影に隠れた有権者の構成比は、案外近い。
郵政選挙で自民を大勝させた層が雪崩を打って民主に流れた結果民主は勝ったとされているが、この層は雪崩を打って逆に動く可能性が高い。
しかも、それらが動く量は、それほど多くなくてもいい。

現状の55:45が逆転して45:55になるには、全体の1割が移動するだけでよい、ということになる。
1割が動くと、議席数=勢力比は3:1から1:3に逆転されてしまうのだ。

敵対する有権者の規模

民主は正直、驕りすぎている。
日本には【驕れる者は久しからず】という窘めの言葉があり、また成功者・権力を振りかざすものについての拒絶感は極めて厳しい。
現実問題、わかりやすい形で「シンパだけを登用し、対立者は更迭する」「有権者であろうと恫喝する」ということを続けた場合にどうなるか。

本稿でさんざん繰り返してきたが、民主を支持する層は必ずしも全体の6〜7割を占めているわけではない。もう少し少ない。
そして、前回の自民支持から民主支持に転じた層は、おそらく全体の1割程度だ。
加えて、民主は「自民を敵」として認識してきたが、この考え方は恐らく間違いだ。自民も民主の思想を敵と認識した戦術を採っているが、当面は自民は何をやっても聞いてもらえないので、そのへんはさっ引くw
民主の政策について「酷い目に遭った」というコンセンサスが形成されるまで、自民が注目される可能性は低い気はするし。


が、民主が「民主に非ずば人に非ず」という戦略を続けた場合、いずれ「実は僅差の得票差」が響いてくるのではないか、とも思う。
日本人は潔癖で、成功を評価するより不手際の批判を強く行う。民主が自民に対して「腐敗した自民への拒絶」をあおり立てたことに有権者が賛同したのも、民主への支持というより「腐敗への拒否感への共感」が大きい。
民主が長期政権による疲弊と腐敗ではなく、無能力による無策を露呈している、と判断されるようなことがあった場合に、期待は全て逆転していくことにもなりかねない。
ここで「有権者の無能を批判する」というようなことを政権与党がやっているのは非常に危うい。


また、これも当たり前の話なのだが、「人数が多くなれば分け前は少なくなる」というのは避けられない。
民主支持層の分け前を多くするには、民主を支持しない層から奪えばいい。この考え方を反映させたのが、地方公共事業予算に関する箇所付けという奴で、「民主に協力する自治体には公共工事予算を満額、協力しない自治体のものは認めない」という露骨な差別行政を、小沢一郎幹事長に陳情を集約する形でやっているのが現状なわけだが、それでは全員が民主支持、民主に協力的になったら全員が幸せになれるのかというと、なれない。
予算は有限だし、人数が多くなれば分け前は減る。分け前を多めにすること、というのが効果を発揮するのは、分け前を減らされる人を攻略する必要がある間だけで、多数派を形成できてしまえば、釣った魚に餌をやる必要はなくなる。
結果的に、多数派についた「有象無象」も決して利益を多く得られるわけではない、ということになる。

小選挙区制は先々よろしくない

そんなわけで、個人的には与党が野党がというよりもなによりも、この小選挙区制というのは先々、安定した政権運営に向かないのではないか、と思えて仕方がない。
例えば、政権与党が交代しても、実際の行政を司る行政のエキスパート集団=官僚の基本的な業務や方針が変わらないのであれば、そこに若干の修正を加えたり監視したりをするにしても、政党側の負担は少ない。
例えば、まったくの門外漢が議員として当選したとして、議員になったからには専門知識が求められ、しかし全てを突然議員になった素人が担えるわけではないから、その補弼者ほひつしゃとして官僚がいれば、なんとか回していける。
そういう意味では、政権交代が起きても行政が安定していれば問題はない。


ところが、小選挙区制で与党を盗った政党が「行政=官僚の勢力縮小・権限縮小」を訴えた場合。そして、政党側にエキスパートが揃っていて、官僚並みの立案能力があるならともかくとして。
完全な経済金融素人である菅直人財務大臣になっちゃってる現状とか、年金以外のことはまったくわからない長妻昭が厚労大臣になっちゃってる現状とか、なんというか「エキスパートの助けを否定する門外漢」が政権政党になると、どういう悲惨なことが起こるのか……については、まあ今更言うまでもないか。この半年、僕は主にライトな安全保障趣味の人なのでそっち方面をヲチしているけど、かつて無いほどにヒデーことになっている。たぶん、それぞれの専門家の人々が見たら、それぞれ目も当てられないことになっているだろうことは察しが付く。


「初めての政権与党だから慣れてない」「自民だってそうだった、民主だけが言われる筋合いはない」「自民の尻ぬぐい」というのが民主の釈明の定番だが、いつまでが「素人」で許される期間だと思ってるのかとか、「自民との違いを強調して政権盗ったんじゃないのか」とか、「自民よりよくすると宣言してたんじゃないのか」とか、まあいろいろ……。

これまでの自民政権にしたって、有権者の最大多数が支持した結果、政権与党にいたわけで、自民政権の政策がダメだったのなら、それは「自民の失策」というより「有権者の失策」だったと思う。
今次の民主政権の政策がダメなのは、民主の失策というだけではなく、やはりそれを見抜けずに支持してしまった有権者の失策なのだろう。
民主政権が決めた法律には、我々は従わなければならない。
それが民主主義のルール。


だけど、暴走する政権与党を監視する野党は無視され、司法は軽視され。
いったい誰が政治権力を振り回す子供に鈴を付けるんだろ?

*1:ポリティック・アニマルでなかったら、普通は政治なんて意識しないで生活するものだし。特に働き盛りの人は仕事が忙しいから政治の深いとこなんか検証してる余裕ないし。そのために「代議制」があるんだし。

*2:比例代表全国区を大きいとし、地域を県東部、県中部、東京10区、みたいに区切ったものを小さい、とする。中選挙区制は、今の小さな選挙区と全国区の間くらいの規模

*3:二人区もあります

*4:郵政選挙ではフリーター議員・杉村タイゾーがその好例だが、政権交代選挙でも風俗ライター議員とか家事手伝い議員など、投票ロボット以上の機能も政治背景も地盤もない議員が続出している

*5:恐らく、あれだけマニフェストマニフェスト言われながら、マニフェストの中身をきちんと検証した有権者は全体の1%もいないと思うw

*6:たぶんさぼり記のどこかに……(^^;)

*7:与野党の、ではなくて民主:自民の

*8:グラフは拾い物

*9:いっぺんやらせてみよう