昭武と八重

家系ついで。
調べたら2007年にも書いている話なのだけど、最近小六の姪が同じように調べているらしいので、先達の伯父としてデータを。


母方齋藤*1氏に「青木さん」という大伯父がいて、生前の母方の祖母が「うちは青木昆陽の家系」と言っていたなあ、という話を中学生頃に聞きつけ、母方の家系図のコピーを本家から貰ってみたものの、漢文仕立ての文章が中学生の僕には全ては解読できず半ば諦めて放置しかけてたら、おもしろがった親戚が残りを調べていろいろ辿り着いていたよ、という話。
うちは常陸宮親王妃華子妃殿下と繋がりのある家系*2というのに、齋藤家の人々は満足した、というのが十数年前の話で、子細は2007年のさぼり記に詳しいw

テレビと家系図と豪快な歌声
http://d.hatena.ne.jp/azuki-glg/20070610/1181477502

このとき調べた家系図原簿の写しは、事務所にあると思っていたがどうやら自宅の何処かにあるらしい。
ということは……たぶん、どこかの隙間に挟んでいる可能性が高い気がする*3
それは追々探すとして……。


当時の記録の裏付けを取るべく調べて見ると、幾つかの確認可能な点と、確認が必要な課題が浮かび上がる。
まず、常陸宮華子妃殿下の係累について。
Wikipediaを見ると、華子妃殿下の曾祖父は徳川昭武とある。
1858年生まれの徳川昭武徳川慶喜の弟で、慶喜の将軍名代としてパリ万博や欧州歴訪留学をしているうちに倒幕されてしまい、明治新政府の帰国命令で帰ってきた。渡欧前には若干11歳で天狗党討伐に参加していたという筋金入りの佐幕派水戸藩最後の藩主でもある。
正室明治16年に亡くし、その後旧幕臣の息女齋藤八重を後妻に貰って、八重との間に三男三女を儲けている。
華子妃殿下の旧姓は「津軽」で、母上は津軽久子。この津軽久子の母親が毛利政子。毛利政子が徳川昭武の次女とあるのだが、生年がわからない。
明治17年より後なら齋藤八重の娘で、それより前なら昭武の正室だった「中院通富の息女」となる。この人の名前もわからないorz
いろいろ当たっていくと、昭武が八重との晩年を過ごした松戸市戸上邸*4に纏わる資料を松戸市公式HPがまとめていて、そこに辿り着いた。

松戸市公式ホームページ/H14.01.29からH14.02.21 【通常展】徳川家の肖像
http://www.city.matsudo.chiba.jp/index/profile/shisetsu-guide/rekishi/tojo/kakotenji/H140129.html

これによると、昭武の最初の妻の名は公家中院通富の娘「中院瑛子(なかのいんえいこ)」とある。瑛子との間には長女「昭子」を儲けるが、瑛子は明治16年に病没。つまり、瑛子との間にもうけたのは昭子のみであったことがわかる。
ほどなく八重を後添えに迎え、八重との間に三男三女をもうけるのが、

三男……武麿・武定・武雄
三女……政子・直子・温子

このうち武定は昭武の勲功から子爵に叙せられている*5
次女の「政子」というのが華子妃殿下の祖母に当たる毛利政子で、ようやく齋藤八重*6と毛利政子と津軽久子と華子妃殿下が繋がった。


この齋藤八重はウチの母方のどのあたりになるのかというと、旧幕臣(旗本)齋藤為儀貫之(齋藤家九代目)の長男として家督を継いだ齋藤誠之(十代目)の妹が八重。
この齋藤誠之から続くのがうちの母方の齋藤本家、となる。
で、僕が調べた齋藤本家の家系図原簿の写しについて、2007年のエントリでは、

八重の兄で直系の十代目・斎藤誠之→栄(長女)→庸(長女:ツネ)→で終わっている。この庸さんは昭和41年に73歳で亡くなったことまではわかっているのだが、この後が誰に続くのかがわからない

と書いている。
その後調べるつもりをしていて、やっぱりスコーンと忘れていたorz


齋藤為儀貫之は、五代目青木昆陽の娘というのを嫁に貰っている。為儀貫之には誠之以外にもう一人、斎藤泰吉という息子がいた。こちらは青木家に養子に出されているので、恐らく誠之の兄か弟ではないかと思われるのだが、泰吉は母の実家に養子に入り、七代目青木昆陽を継いでいる。この泰吉の後を継いで青木家八代目となったのが青木七男氏*7
平成12年の甘藷まつりのスナップに、往時の七男氏の写真がある。

甘藷まつり
http://www3.tky.3web.ne.jp/~ninokei/kansho/kansho.htm

この青木七男氏は僕の大叔父に当たる人なのだが、僕が中学生頃に「齋藤と青木の関係」などのルーツ探しに興味を抱いてわーわーやってた後に、青木昆陽について丹念に調査を重ねて自力で稀代の調査書「年譜 青木昆陽傳」という本を平成16年頃の上梓した。ちょうど「超」怖い話竹書房での復活を遂げた頃の話だ。
この本はどうも小部数出版だったようで、探しているのだが見つからない。Amazonにもない。
親戚筋からどうにか手に入れて貰えないもんだろうか。


もう亡くなってしまったが、生前の七男おじさんとは一応面識がある。
例のルーツ騒ぎを聞きつけた七男おじさんが、「姓氏名家系大辞典」というまともに買うと数万円するような分厚い辞典を僕にくれて、「興味があるなら調べてみるといい」と背中を押してくれた。
思えば、調べ物好き、歴史好きになったのはこれが切っ掛けだった*8
青木昆陽は甘藷や本草のほうが有名だが、書物奉行でもあったんだそうで、その流れで七男おじさんのところでは(泰吉の代から)書店を営んでいた。
その末裔の一人が僕でもあるわけで、加藤のというより齋藤・青木の血を考えれば、何代かに一人くらいモノ書きが出ていたって別に不思議ではないということになる。


ここまでは先代先々代の業で、ここから先は現代及び後代の宿題になるのだが……。


齋藤家の人々というのはどうにも長命な人が多くて、90歳代まで生きる人も珍しくないので、73歳での死没はかなり短命な部類に入る。僕が昭和42年生まれなので、僕が生まれる前年、ということはうちの老母がまだ30代前半くらいだったはずだから、この「庸さん」というのは年齢的にはうちの老母の伯母か祖母か大伯母大叔母に当たるのではないか、と思われる。
僕の祖母(老母の母)は僕が上京した後に亡くなってるので、「庸さん」ではない。
そして、少なくとも、僕が名前を覚えているような親戚に、その名前の人はいない。
ということは、僕より一世代上、老母伯母叔父とその姻戚関係者でないとわからないわけで。

  1. 「齋藤庸さん」が誰なのか?
  2. 庸さんと繋がっている死没者、僕の祖母の名前、現存する生存者の一覧
  3. 七男さんと今の齋藤家の繋がり
  4. 九代目青木昆陽(恐らく青木家の現当主)は誰か?(つまり、七男さんの息子さん、或いは娘さんの旦那さんは誰か)


このへんを可及的速やかに知らせて下さい。母よ。

*1:略字は斉藤

*2:老母によると「遠縁の親戚に当たる」らしい

*3:ハヤニエ癖があります

*4:最後の水戸徳川本邸

*5:4歳でw

*6:資料によっては「八重子」の表記もあり

*7:数年前に93歳で死没

*8:それ以前から百科事典好きではあった