36000キロの瞳

1992年に書かれた小説【36000キロの瞳】が、竹の子書房から復刊された。
1992年のパソ通上での初公開、インターネットに移って2000年だったかもうちょっと前だったかにも、Web公開されている。
そして今回の電子書籍版ではPDF公開。
Web版では「手書き原稿用紙」という演出があったのだが、今回は表紙、章扉、その他挿絵が、絵本作家・よしはるkさんの手によって新たに描き下ろされた。
1992年版の頃、イメージイラストは青木邦夫十六夜清心)が描いてくれていたのだが、36000キロの瞳については当初は絵が用意されていなかった。Web版でも情景や小道具のみで人物などは出てこなかったのだが、今回ようやく命が吹き込まれた感じ。
元々データのみ公開されたものとはいえ、枚数が少ないことから紙の本になる可能性は極めて低かったのだが、電子書籍ではこういう小規模著作物も「1冊」というパッケージにまとめることができるのがおもしろい。
お忙しいなか、何度かのイメージのすりあわせ、リテイクにお付き合い下さったよしはるkさんの尽力なくして、本作がこの出来を獲得することは難しかったのではないかと思う。


本作は児童書っぽい表紙、児童書っぽい内容なのだが、これはライトノベルである。ちょっとジュヴナイルっぽいけどラノベである。
というか、長大なwライトノベル的物語群のごく一端に位置する。
というより、この話以外のほとんどはラノベに属するものであって、同じ世界観の中にあるこれだけが、非常に異質なのである。
でも、好きな話だ。
25歳の頃に、楠原笑美名義で一晩で書かれた。
今回、ごく僅かに手を入れているが、大部分は当時のまま。
その後、書く仕事から編集仕事に軸足を移して執筆から遠ざかっていた時期、「今僕が死んだら、アレが遺作になる」と言い続けていた。
それから再び、書く仕事に舞い戻って、今は書いたり編集したりどっちもどっちもで、「今死んだらコレが遺作に」というのも転々と変わった。
今回、何年かぶりに読み返してみた。
1992年当時、27年後に相当する時代を俯瞰して書かれたものだけあって、当たった未来予想もあるし、大空振りだったものもなくはないけど、案外面白かった、と自画自賛
というか、25歳の荒削りな自分が、それなりに夢中になってそれなりに面白いと思って書いた話に、43歳の歳食って小さくまとまった僕がどれほど敵うだろう、とも思った。
オトナ視点で見たら痛々しいwところもあるので本当は今更出したくない気持ちも半分くらい(いやそれ以上)あるんだけど、でもやっぱ出しておこう。20代前半より前の人が自信付けると思うよ。あいつ、昔こんなの書いてやがったのか、この程度かとかw


今後の電子書籍では多分、「既に絶版になったもの」が復刻される機会が増えるだろう。旬を終えているもの、今更痛々しくて著者が出したくないものw、時代の空気を反映させたり先取りしようとしたりしたものほど、そういう痛みが強いんじゃないかなあと思う。
思うけど、出しちゃう。
モノカキは、なんだかんだ言って誰かに読ませたい、読まれたいから書くのだ。エカキも同じだ。
見せたがり、露出癖から僕らは逃れられない人種なのだ。


そんなわけで、僕の恥ずかしいのを見て下さい(^^;)


36000キロの瞳
楠原笑美 著

竹の子書房