楽しいことを考えたい

僕は怪談を生業にしている。
怪談というのは、要するに怖い話である。
実話怪談は特に、実在する本当にいるどこかの誰かが不幸な目に遭った、というできごとを記録するもので、一種のドキュメンタリーでもある。それを娯楽として提供する、というのが実態であって、そのことは関わっているとしばしば自家中毒的なストレスになることがある。称賛されるような仕事ではなく、忌み仕事なのだ。しかし読者の必要や、また発散することで楽になれるかもしれない体験者からの必要に応えるために欠かせないのだ。アンダーテイカーと同じだ。
仕事としてこれに関わることを恥と思ったことはないけど、誇り高く思ってよいことだと思ったことはあまりない。手柄を誇ってよい仕事ではないのだ、と自分にそれを言い聞かせている。


仕事としての怪談は、やはり必要だ。
いろいろな側面がある。例えば「危機を想像しそれに対応する能力」は、事前にどういった種類の脅威があり、それが自分に襲いかかったら――といったことを考えられるようになるために必要だ。
訓練であり、センサーの精度を上げるトレーニングであり、想像力、連想力を高めることで、自力で自分のことを守れる人間になるために、演習のための標的として、仮想敵として、「もし自分にそれが起きたら」を考えるための火種として、怪談は必要だ。


ただその怪談を書くということはどちらかと言えば闇に属する仕事だ。
有り様も暗い。そうでない話も多くあるし、突飛で奇妙なもの、笑うしかないようなものもある。心霊落語と称されるカテゴリの怪談は大好物だ。少し救われたような気持ちになれるからかもしれない。救われたいのだろう。僕も、〈彼ら〉のように。闇の眷属は結局のところ闇から出たいと思い続けていて出られず、光の中にある者達を羨ましく思い続ける。


かつて、ハイトニックというストリートギターデュオがあった。
去年の4月頃に活動を休止してしまって、彼らはもうストリートでは歌っていないのだが、随分とお気に入りで毎週末に彼らの演奏を聞きたいがために用もないのにいそいそと池袋に通ったりしていたものだった。
彼らの歌は楽しくて元気が出た。光を与える仕事、というものについてとても羨ましく眩しく思った。だからとても好きだった。
僕はどちらかというと闇の眷属のような仕事をしていて、日常は夜間に働いてることが多く、さらには仕事に集中しているときには誰とも会わずにひとりぼっちで作業している。例えば急病や致命的な打撃を受けるような災害があったとしても、傍にいるのは万夜室長くらいで、恐らく発見されるのは家族が帰って随分経ってからだ。
割と寂しい環境で働いていて、成果物もどちらかといえば暗い物だ。


怪談を生業にすることを恥じてはいないけれども、やはり光の中にあって人を勇気づけたり元気にしたり楽しい気分にさせたりする事、仕事をしている人に対する憧憬はある。
何か明るい話を。楽しいことを。
いい気分になって、緊張した気持ちがほぐれて。
そういうことの力になれるスキルを持っていて、またそれを仕事にできている人達のことを、とても羨ましく思う。
あの、光のある側に自分も行きたいと思うことはしばしばある。


今できること、それぞれができることで、誰かを元気に、被災地以外のショックを受けてる人達にも明るい気分になれるようなことってないか。
怪談多めの竹の子書房は、怪談以外にもBLやらなんやら雑多なものがごった煮になっているけれども、そこには怪談以外にも、心に光が射すような暖かいものもある。


「今、そんなことやってる場合じゃないでしょう。不謹慎だ!」
そういう声もあるかもしれない。
でも、皆が皆、暗い顔してため息をつくべきなのか?
違うだろう。
そうじゃないだろう。


井上雄彦先生は、震災発生からずっと笑顔を描き続けていると聞いた。
http://matome.naver.jp/odai/2129990722246642201
http://www.narinari.com/Nd/20110315201.html

人は、誰かの笑顔を見ると自分もその影響を受けて笑顔になるものだという。そして、笑う門には福来たる、のことわざにあるように「嘘でもいいから、楽しくなくてもいいから」顔を笑顔の形にするだけで、痛みが緩和されるのだそうだ。
それは身体の痛みも、心の痛みも、どちらも含まれる。


僕にできることはないかな。
怪談屋だけど、編集屋だよ。怪談以外だってやるよ。
何か楽しい気分になれることはないかな。




そうだ。
本作ろう。
僕にはそれしかできないから、僕は本を作ろう。
何か楽しい気分になれるものを作ろう。
明日、ホワイトデーだから、それに間に合うものを作ろう。


始めよう。