僕たちは日常に帰還する。

震災被害の全貌は未だ全てはわからず、地震発生から3日目が過ぎた今以て近付くことすらできず収容されていない遺体があり、引き波とともに海に連れ出されたまま戻らない人もいる。
全ては非日常で、何度寝ても何度起きても悪夢は覚めない。
驚き、悲しみ、怒り、悔やみ、その間、自分にできることを求めて右往左往した。
幸い僕の家は破壊されず、怪我もなく、電気と通信回線は無事だった。
だから、自分にできることをした。右へ左へ情報をTweetした。
怪我で病院に掛からずに済み、家が破壊されず、電気と回線が無事だったうえに、入稿直後で身体も空いている。まだボランティアがどうこうできる段階ではなく、物資を云々する段階でもない。
だけど何かできることはないか。
関東の住人である僕自身も被災者である。僕自身は比較的軽微ではあるが、70%の確率で来ると言われている震度7の余震は、フォッサマグナの北東にある北米プレートの上に乗った全ての地域に起こり得る。
僕がいつ、連絡途絶してしまうかもわからない。
それは明日かもしれない。今日かもしれない。
しかし次は50年後かもしれない。
今か今かと待たされ続けて、結局来ないのかもしれない。
普段なら自分に都合のよい未来が来ることばかりを、都合良く想像しているくせに、こんなときに限っては「7割は10割と同じ。必ず震度7が来る。明日には来る」と信じ込んで、不安な一日を過ごしてまた翌日には「明日にはくる。きっと来る」と思い悩む。
想像しうる最悪を想定するために感覚を研ぎ澄ますための、日常での練習こそが怪談の第一の存在意義だ。
だが、致命的な打撃に身を苛まれるという預言が当たるまで、不幸を待ち続けるなんてのは不遇だ。
バカみたいだ。


だから、こういうときこそいつも通りに。
もう大丈夫。もう手は打ってある。後はいいことしか起きない。
そう考えられるように。


僕たちは日常に帰還する。


バカやってダハハと笑い、怪談読んでコエーと震える。
そんな日常に帰還する。
目を瞑っても目を背けても、起きてしまったことはなかったことになんかならない。
だから、そんな日常をもう一度作る。


次の恐怖箱の準備を始め、自分の単著を書き始め、超-1を再始動し、そして竹の子書房の道楽も欠かさず、あいつまたバカやってるよ、と指を指されて鼻で笑われたい。
それが僕らの日常なら、そのつまんなくて馬鹿馬鹿しいあの日常に、もう一度戻る。


今すぐが無理なら少しずつ。
まだ無理な人は後からゆっくり。
もういけるって人は後から来る人の手を引けばいい。
ペースはそれぞれでいい。


だから、皆で。
日常に還りましょう。
電車の本数も、テレビが見られる時間帯も、地図も、スーパーの品揃えも、前と少し違うかもしれない。まったく同じじゃないかもしれない。
だけど、たぶん今度は前よりよくなるはずだ。


関東大震災で東京は壊滅したけど、瓦礫の後にレンガ造りのモダンな街を作った。今に伝わる銀座はそうやってできた。


3月10日は東京大空襲の日だった。
東京は一面瓦礫の山の焼け野原になったらしい。今の東京からは考えも付かないことだけど、僕らの父母、祖父母の代はそこから今の東京を作り直した。


阪神大震災のとき、犠牲者を示すカウンターがくるくる回るのをただ見てるしかできなかったけど、今はネットがある。ああしてくれ、こうしろ、なにやってんだ、と文句を言うだけでなく、じゃあ俺がやる、何かしてほしいことはあるか、そんなふうに言える。
その神戸の街だって、震災前よりもっとピッカピカの街に戻った。


親の代は、壊滅した街を前よりもっとよくした。もっと凄くした。
あの人らにできたのに、僕らにできないわけないじゃん。
もっと凄いのができるよ。きっとできるよ。
日本すげー。何アレ化け物?
そう言わせるのができるよ。
岩手、宮城、茨城、長野、新潟、その他多くの被災地は、前よりもっと凄くなるよ。
凄くするんだよ。今生き残った人達がそうする。
そのために、軽くて済んだ人間が、なんともなかった人間が手を貸すんだよ。大丈夫だ。僕たちならできるって言うんだよ。
笑い方を忘れちゃった人が笑えるようになるまで、大丈夫だよって言うんだよ。


今日は月曜日です。
会社も始まります。
前と同じとはいかないかもしれないけど、まずは「前と同じ」を目指しましょう。
平凡で退屈でつまんねー、実はそれが幸せの正体です。
もっとよくする、もっとよくなるは、その後でもいいや。


がんばれる人はがんばろう。
がんばれない人に、大丈夫だって言おう。


皆で日常に帰還しましょう。