講評締切

超-1/2011の講評が締め切られました。
これで、今年の超-1は後は著者同定とか集計とか著者推奨とか。
……まだまだやることはあるのだけど、というより主催者はこれからが本番なのだけど(^^;)、例年3月に終えてる自分の単著が今佳境なので、このへんの手順的負担時期が前後……。
要するにしばらく時間が厳しいので、ちょっと遅れますよ、というような感じ。
3年前くらいに比べて余裕が少なくなってきてるのは出版点数が全般に増えてるせいか、それとも何かの呪いか。


さて超-1。
この後、「アレを書いた人は、他にどれを書いていたか?」の種明かしを、作者名はまだ伏せた状態で公開することになります。
これが著者同定。著者名は完全な結果発表までの間、エントリーNoで。
これを見ると、作風の傾向がわかってきたり、また「あの傑作を書いた人が、あの失敗作を書いた人と同じなんて!」とか、「あれもあれもあれもこの人か!」というのがわかったりとかで、作者の安定性とかチャレンジャー精神とかも見えてくる、という。
文体が際立って個性的な人、たまたま似ていただけの別の人などもこの時点である程度見えてきます。作品単位での評価、名前に恣意的な感情を抱かせない、の成果がこの辺で明らかになってくるんだけど、「○○○を書いたのは×××に違いない」みたいな先入観で決めつけ講評をしていた人は、このへんで講評者としての信憑性・公正性を問われることに(´・ω・`)


名前はわからないが、作者の傾向がわかってきたところで、「エントリーNoで言うと誰を推しますか?」「作品単位で言うとどれが推しですか?」という質問をさせていただきます。
これは参考値というか、「今年の審査員はどういう傾向のものが好きだったか」について、講評値と照らし合わせるもの。例年だいたい作品ランキングと一致しますが、ときどき作品ランキング=点数が低い、つまり「評価がきっぱり割れた」のに、推奨値は高いものとか、その逆というのがあったりします。数字で割り切れないもの、無難に高い評価をされたのに推奨には名前が挙がらないもの(つまり永遠のNo2的な)などが出てくるわけで、そこらへんに人生の機微を感じたりもします。トリッキーなものというのは、評価枠的には別腹。
また、どの作者を推すか、というか「もっと読みたいと思わせた作者は誰か」という、既存作への評価+次回作への期待なども合わせて訪ねることになります。これらを鑑みつつ、講評傾向や姿勢なども評価しつつ、怪コレへの収録作の選定*1が行われ、同時に期待値が高い著者*2に改めて書き下ろしをお願いすることにもなります。


超-1は予選。ここからが二次予選、と言われる所以はそこらへん。
二次予選*3に供えて大ネタを温存していたとしても超-1で成果が出なければ二次予選のチャンスは巡ってこず。ネタを使い切っても、書き下ろし依頼までに再充電できなければ、これまたチャンスを生かせず。
そんなルールです(´・ω・`)
あるべきものがあって、そうする必然があって、当人がそれを望み、条件が揃う人に機会を拓くのが超-1というシステム。
金融街へようこs



とりあえず、超-1はまだまだ続くけど、とりあえずはGWをゆっくり楽しんで下さい。

*1:大部分はランキング上位からになりますが、先の理由から中位以下から抜擢されるケースも

*2:編集部注目も

*3:怪コレ書き下ろし